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暗算への長い道のり

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「頭が回らなくなるとき」というものがある。


◆ 登山中に起きた認知の不具合

例えば、作家の島田雅彦氏が、登山のときのことを話していた。
「足し算はできるけれど、引き算ができなくなってしまった」と。
だいぶ昔、10年以上前にテレビで言っておられたことなので、細かい部分は定かではないが、本格的な高山に登ったときに、暗算が一部できなくなったという意味だったと思う。
たぶん、高山は空気が薄いので、脳の酸素不足により、そんなことが起きたのだろう。
それは特殊な例かもしれないが、人間は、睡眠不足や疲労などで、一時的に認知力が落ちてしまうことがある。しかし、大概は、休息を取るなどして、日数が経てば、その不調は元に戻っていく。


◆ 認知機能障害の可能性と病気の関係

逆に、そういう脳の不具合が治らない時もある。何らかの病気や老化などの場合だ。
うつ病などの精神疾患や脳卒中、脳の外傷などによる高次脳機能障害の場合、そういうことが起きる。ブレインフォグなどと呼ばれることもある。
私が患っている線維筋痛症も、そういうことが起きた。
線維筋痛症は極端な形で体が痛む病気で、私の場合は、痛みで座っている姿勢が保てないということが起きた。寝ていても、自分の体重で布団と接している部分が痛いなど、通常ではありえない痛みだった。


◆ 疲労症状の重なりと日常生活への影響

線維筋痛症は、しばしば、慢性疲労症候群と呼ばれる、これまた極端な疲労症状と合併する。
洗濯物を干すのに立っていられないとか、掃除機を持っていられないとか。
洗濯物を干したあと、雨が降り出しているのに起き上がれず、放置せざるを得なかったこともある。
天気が晴れて勝手に乾くまで。


◆ 認知力の低下と精神的負荷

もともと、頭の回転が速いほうではなかったし、頭のまとまっている人間ではなかったが、病気でさらに悪化した。
あのときは、痛みだけでなく、精神的にも非常にまずい症状が出ていて、希死念慮が出ていたし、簡単なことに対しても頭が回らず、できなくなっていた。
この病気は、難病指定されておらず、深刻な合併症を併発するか、あるいは筋力低下で、明らかに介助がないと生きられない寝たきり状態になるなど、相当な重症化をしない限り、公的な支援は受けられない難しさがある。

役所から「気の毒だとは思うけれど、私たちができることは、ありません」とはっきり言われた。法律の枠組みが無いのだろうから悪意ではないのは理解しているが、今でもその言葉は頭の中で鳴り響いている。


◆ 健常なら簡単なはずの手順が困難に

これでは、生きていくこと自体が難しいので、感覚を無理やり切り離すようなことをやって、リハビリのために、プールを歩いたりしたが、頭が回らないので、プールでのコインロッカーを使うのにさえ苦労した。
コインを用意して、鍵を回し、開ける。服を脱いで、ロッカーの中に入れて、水着を着る。
こんな簡単なことが難しくなっていた。一連の手順中にコインをどこかに入れたのか、置いたのか、わからなくなってしまったり、ロッカーの鍵をどこに置いたかわからなくなってしまう。着替えた服をたたんで、ロッカーの中に置くことが難しく、ロッカーの中から着替えが土砂崩れのように床に落ちてしまう。

どこに空間があって、どこにどんなふうに物が置いてあるか、空間の構造を理解して把握する能力の低下。
もう一つは手がうまく使えず、整えた場所に置けないという二つの不具合の合わせ技での出来事だったのだろう。

常に張り詰めたような気を付け方をしないと、健康だったらなんでもないようなことができない。あるいは、気をつけても、まったくできなくなったことがある状態で、日々が過ぎていく。


◆ 医療の分野分けの壁と実感

これが痛みによる脳の興奮・不安・不眠によるものなのか、あるいはうつ病などを併発していたからなのか、それはよくわからないが、それを切り分けようとすること自体がナンセンスな話かもしれない。
ただ、医療では整形外科なのか、内科なのか、精神科なのかという分け方があるため「それは、〇〇科に行ってください」などと言われることがあった。

これは、線維筋痛症について、私自身が感じてきたことをもとにした理解である。

人間には、さまざまな感覚のボリュームを自動的に調節する機能があるが、それがどこかで破綻してしまい、普通はもっと小さいはずの感覚を、ものすごく大きなボリュームで伝えてしまうようになる。
そのストレスによって、ホルモンや自律神経の変調、それに伴う体の炎症の多発、血流の異常、筋肉のこわばりや動きの硬直による関節へのダメージなどが起こり、それらが悪循環を繰り返すことで、結果的に体のさまざまな部位に障害を引き起こすというイメージ。

そういう側面があるため、線維筋痛症は整形外科的に問題がある人も多い。
自己免疫疾患が併発している場合もあるし、心の病の延長で体の方面も具合が悪くなったのか、体の調子が悪くて生活困難から心の病を発症したのか、判然としない人も多い印象がある。

さまざまな要因が絡み合うため、どのように分類したらいいかも混乱しがちだし、その上、始まりとして、原因がどこにあるのか、わかりにくいのも特徴的だ。

原因と結果をたどって治療やリハビリのガイドラインを構築する現代医学とは、非常に相性が悪い病気ともいえる。

あくまで資格のない素人としての理解ではあるが、実感として強く感じている内容である。


◆ 認知力の低下が日常に与える影響

話がそれたが、痛みなどの感覚過敏や疲労だけでなく、認知力というか、作業記憶、遂行機能の低下で、日々の生活が難しくなって、非常に苦しかった。
非常にしんどい話を書いてしまって、読む方もしんどくなってしまったかもしれない。申し訳ないと思う。
でも、こういう状態が、紆余曲折があったけれど、いろいろなリハビリの結果、回復してくることもあるということを伝えたかったのだ。


◆ 新しいPCと過去の照明トラブル

8年間使ったノートPC。液晶が映りにくくなったので、新しいデスクトップPCに買い替えることにした。

病気の症状が酷かったとき、部屋の天井の照明が壊れたことがあった。
照明のタイプを調べる必要があった。
世の中の照明が蛍光灯からLEDに代わっていく時期だったので、接続のタイプを調べて、場合によっては電気工事をする必要もあった。
それを把握して、店員や業者の人と話し合い注文する必要がある。
プールのコインロッカーで苦戦しているような頭では、到底無理で、ランタンで過ごしていた時期がある。

そして、PCの交換。これは、寸法や配置を考え、PCの中身もセットアップしたり、前のPCから移行し、様々なアカウントのアカウント名やパスワードの引継ぎなどもする必要がある。
認知力が落ちた状態では、これまた無理な作業なのだ。
だから、ノートPCも液晶が映りにくくなる前から、キーボードも壊れて打てなくなっていたのだが、外付けのキーボードを繋いで、なんとか使い続けていた。


◆ 自作机の修理と認知力への負荷

それと、もう一つ問題があった。部屋が狭いので既製品の机が使えず、病気になる前にPCを置く机を自作していたのだ。既製品ではないので、お粗末なところも多く、机の天板がずれて外れそうになっているという不具合もあった。
デスクトップPCは、ノートPCよりも重い。重さに耐えきれず、天板が壊れてPCが落下したら大惨事である。
だから、買い替えるなら、PCの机を修復するところから始めなければならないことになる。
簡単な計算や目測・手順ができなくなっていた時期よりも、認知力はずいぶん回復した。
とはいえ、いろいろ自分には、難しかったタスクが多くて気が重かった。それでも、PCは、わずかばかりの仕事に使っているので、この作業を放棄すると、仕事も放棄することになる。


◆ 深呼吸と対処力の回復

基本的な作業は、採寸して、金物でずれないように固定する。これだけのことなのだが、それが、難しかった。
簡単な計算・目測ができないので、木ネジの寸法を間違えてしまい、最初、板を貫通してしまっていた。
ネジの寸法が合っていなくて貫通しているのに気づかず、数十本のネジをそのまま打ち込んでしまう。
それ以前にも、電動ドライバーの力加減がうまくいかず、二十くらいのネジの山を潰したあとに、作業が終わったと思っていたら、実はそんな状態だった。
病気が酷かったときは、ここでパニックになっていたのだが、今回は違った。
深呼吸をして、ネジを外し、天板の厚みに合ったネジを買い直して、留め直した。
できた。


◆ PC設定と過去の困難

次に、PCを注文して、配置、今セットアップをしている最中だ。
当時は、パスワードの入力が難しかった。腕や指の状態が悪くて、傘やペットボトルが持てなかったり、パスワードを覚えられない(メモを見て、画面の方を向くと思い出せなくなったり)、指の動きが変なので、間違った場所を押してしまい、覚えていても入力しにくい、など、これでもかというくらい、いろいろな困難があった。
しびれなどで腕や指が動かないというのはわかりやすい。
動かないのではなく、動かせるけれど、微妙な調整ができない、調整できたとしても異常に疲れるというのは、自分も周りの人も、わかりにくい困難で、こんなことが山のようにあった。
それはともかく、PCの設定も、今、順調に進んでいる。


◆ 作業判断と暗算のよろこび

ずいぶん、回復していると思う。
もう一つ認知力の回復を感じるうれしいことがあった。
ノートPCを置いていた机は、作業できないことはないのだが、やはり、モニターとデスクトップのPCを置いたら手狭になった。
天板の修理だけではなくて、PC本体と、プリンターを置く棚を、机の上に取り付けられないかと思ったのだ。
通販の写真と寸法だけでは不安があったので、ホームセンターに行って、様々な材料の点検に行った。
ここの場所は、長さ・高さ・幅・〇〇の××が、2つ必要で、つなげると長さが、2倍になるから……
電卓を使わないでも、ある程度暗算で計算ができるようになっていた。
とても嬉しかった。
Aの方法とBの方法があったのだが、Aの方法は、規格上長さの限界を超えているので、明らかに採用できないということが判断できた。凄く嬉しかった。
前までだったら、先ほどの天板のときのように、やってみて失敗して多大なモノと時間のロスをして、ようやく変更ということになっていたのだが、その前に気づけたのは大きな進歩だ。
それと、思考と体力の持久力が持ちこたえられたということだ。
これをホームセンターの中で、立った状態で、途中で投げ出さずにできたこと。
立ったまま、ある程度長い時間、何かを考え検討し、やりきる。
これも、仕事をする上では、非常に重要なことなのにもかかわらず、私には難しいことだ。
今回、たまたまできただけなのかもしれない。実際、天候に体調が大きく影響されたり、理由がよくわからない不調で、何もできない日が続くこともある。だが、まったくの0が1になったのは大きい。


◆ 操縦席に誰もいないような感覚

体や遂行機能の障害だけでなく、心の恐ろしい状態も起きたことにも少しだけ触れたい。とても怖い体験だった。
病気が酷いときは、多くの人には、わかりにくい感覚だと思うが、体というロボットの操縦席に誰も座っていないような奇妙で怖い感覚があった。

フロイトという人が、自分というものを考えたとき、「馬」に「人」が乗っているような存在・構造があると言った。その「人」の部分をフロイトは「自我」と呼んだ。

その、心の中心存在が、薄くなってしまったような感じで、体の感覚も思考も、非常に混乱しているし、異常な不安があるのだ。
寝ていても「心の地面」が無いような感じ。
眠ると、浮かび上がれない暗い水の中に沈んでしまいそうな感じがあって、疲れているのに、眠ると、狂気の感覚から抜け出せないような気がして、怖かった。
前にも書いたことがあるが、「死にたい」と感じるのを通り越して、勝手に、分解写真みたいに「死ぬ方法と死んだ自分の映像」が次から次へと出てくるようなこともあった。
心の病気を併発していたのだろうか。これが進むと、心のまとまりが無くなるような、ぞっとするような感覚だった。


◆ 社会の中で生きる困難

読んでくださった方は、健康な方も多いかもしれないが、私のような形でなくても、不調を抱え、生きているのが、しんどい方も多いはずだ。
私も、こんなに回復しているのにも関わらず、人との会話は大変で難しい。
相手とのキャッチボールのタイミング・話題を合わせるのが、まだまだ難しい。切実な課題だ。
それでも、回復した方だと思う。
リハビリ・治療・取り組んだことは、本当にいろいろある。恵まれていたことは多い。そのお陰で酷かった時期よりは、はるかに生活がしやすくなった。


◆ 絶望しないでほしい

不調を抱えながら、生きていくことがしんどい方に、お伝えしたいのは、こういうわかりにくい無数の問題を抱えていても、こんなふうに改善することがあるので、絶望して、人生を諦めないでほしいということなのだ。
見た感じ、痛みや疲労、遂行機能の障害、高次の脳機能障害が起きている人は、非常にわかりにくい。
「何に手間取っていたり、困っているのか」、「何がどうなっているのか」、本人にとっても、周りにとっても理解しにくい。
こういう人々の支援は、困難極まりないし、制度や社会の仕組みからこぼれ落ちているというのが現状だ。
発達障害の方面に対する取り組みは、少しずつ進んできたと思うが、それでも、足りないことは、本当に多い。


◆ 知ってほしい

健康な人に対して、こうしてくださいという具体的な提案は、私には、うまく言えない。
残念ながら、本人にも専門家にもわかりにくいものを、一般の人が何をどうしたらいいのか、良い案を思いつかないのだ。
自分だって、健康だったら、こういう人に出会ったとき、何をしてあげたらいいのか、見当がつかない。

でも、こういう人たちがいて、必死に生きているということを、知ってほしいと思う。
知るのは、相互理解と、お互いの歩み寄りの第一歩だから。


◆参考になった本について

自分の病気を理解する上で、いろいろな本を読んだが、中でも、鈴木大介氏の「脳が壊れた」「脳が回復する」「それでも愛しいお妻様」という著作が、非常に参考になった。
鈴木氏は、脳梗塞を発症して、高次脳機能障害になった。わかりにくい障害ゆえの、生活やコミュニケーション、人間関係、家族関係の困難に直面したが、彼はルポライターだったことで、自分に取材して、自分の状態を言語化していく作業を行っている。
また、鈴木氏の奥様が、かなり強いADHD傾向のある方で「当たり前のことができなくなった」ことで凹んでいる鈴木氏に対して「ようやく私の気持ちがわかったか」と言い放つ。
しかし「あなたが苦しいと言ったら、誰が何を言おうと苦しいんだよね」と、奥さんが一番の理解者になってくれたという、凄い状況があった。

それが、鈴木氏の病気や障害への理解や人生の向き合い方の転換の大きな要素になっている。

お二人が「多くの人が当たり前にできること」「自分にできないこと」「できなくなってしまったこと」「できるようになったこと」それらのはざまで、さまざまな苦しみを調整しながら乗り越えてきたことを、ユニークな形で書かれている。

たまたま、お二人が、違う経緯で、共通することが多い困難を抱えたことで生まれた考え方だが、

脳卒中であれ発達障害であれ精神疾患であれ、どんな病気やケガがきっかけであれ、脳の不具合による困難を包括的に考える視点

を教えてくれたことも、非常に私にとって参考になることが多かった。

病気や障害、そして、家族や社会との関わり方について、非常に気づきが大きい本であるのと同時に、人生や家族関係の機微について、読み物として読んでもおもしろい作品なので、このような分野に、ご興味がわかれた方には、ぜひ、おすすめしたいと思う。


■参考文献

◎『脳が壊れた』
出版社:新潮社(新潮新書)
出版年:2016年

◎『脳は回復する ― 高次脳機能障害からの脱出 ―』
出版社:新潮社(新潮新書)
出版年:2018年

◎『されど愛しきお妻様 ―「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間―』
出版社:講談社
出版年:2018年

いずれも鈴木大介氏著

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