岡山県猿神村奇譚(第3話)
滅
薄暗い廃屋の中をさまよいながら、吉岡巡査は憔悴しきっていた。
「畜生。スマホの充電が切れた。」
天井からの雨漏りで廊下に出来た水溜まりにムカデがはまってもがいている。
中国地方は朝から大雨警報が出ていた。
本来ならばいまごろは平和な交番で淹れたての旨いコーヒーを飲みながら妄想の世界でショットガンをぶっ放していたろうに、なぜこんなことになったのか。
朝早くから先輩の刑事、真下健吾が交番に訪ねてきた。
「俺の代わりにお前、猿神村へ聞き込みに行ってきてくれんか。」
消息を絶った移住者と拝み屋の焼死事件との関連性が出てきたという。だが「それを裏付ける証拠がなく、かつまた俺みたいな岡山出身じゃない刑事に猿神村の村人が非協力的で困っとるんよ。」
真下は大分県出身。父親も警察官で、警察学校では先輩と後輩の間柄だった。同郷でもなく共通点も特になかったが何故かかわいがってもらった。吉岡より2年ほど早く卒業したあと岡山県の玉島署に配属、今回の事件の担当になっていた。
「お前は地元民じゃけえ、同級生もおると聞いちょるけえ、頼まれてくれんか。」
(頼むも何も上からの命令に派出所の新米警官が逆らえねえじゃろ・・・。)
午前10時。吉岡は、パトカーを飛ばしてひとり雨のそぼ降る中を猿神村へと急行した。
村へ到着したことには、本降りとなり風も強くなっていた。
吉岡はまず村長の家を訪ねた。
形ばかり歓迎してくれたが、事件の話を振るととたんに渋面になり、知らぬ存ぜぬの一点張りで埒が明かず時間ばかりが過ぎていく。いったん退いて、一軒一軒絨毯攻撃を仕掛けるもほぼ門前払いの様相を呈するばかり。頼みの綱の同級生の藤本は東京へ出張中で、捜査はたちまち暗礁に乗り上げた。しかも雨風は強くなる一方で、吉岡の心は既に折れていた。
「俺、刑事じゃないし。無理。帰って旨いコーヒー淹れて一息つこう。」
パトカーを停めた路地へ戻りかけた時、草ぼうぼうの空き地の向こう側にいわくありげな廃屋を見つけてしまった。
パトカーに戻り、真下刑事から手渡された猿神村の地図を広げて確認したところ、そこは移住者がかつて住んでいた住居にあたっていた。
(見なかったことにして帰りたいけど・・・。)
手柄を立てる気はさらさらないが好奇心に勝てず、吉岡は廃屋に足を運んだ。
建物というものは、人が住まなくなると急速に老朽化が進む。
移住者が消息を絶ってから1年に満たないにも関わらず、天井からの水漏れで畳が腐り始めていた。
狸か狐かが住まいにしているのか、そこかしこに小動物の糞が落ちている。
薄暗がりを懐中電灯で照らしつつ奥へと進んでいくと、仏間の床に巫女が祈祷で身に着けるような衣装が散乱していた。衣を手に取ると、下から錆びた直刀が出てきた。
刀の柄には煌びやかな装飾が施され、手に持つとおもちゃではない重みがずっしりと伝わってきた。
吉岡の脳裏に何故か一瞬、天満屋の駐車場で拝み屋が自らの体にガソリンを撒いて焼身自殺した光景が浮かんだ。
吉岡が衣装と直刀を携え再び村長の屋敷を訪ねてみると、苦虫を潰したように黙っていた村長が重い口をようやく開いた。
脳に悪性の腫瘍が出来た拝み屋が入院したあと、彼女が死んだと勘違いした村人たちが住居に立ち入り、中にいた数十匹の猫を処分したのだという。
保健所が動かないことに業を煮やした村人の一部が車で遠く離れた河川敷あたりへ運んでいって捨てたり、逃げた猫を捕まえては沼に沈めて殺処分したということだった。
「猫塚」の石碑は、猫の祟りを恐れた村の石屋が掘って建てたものだった。
そのことを見舞いに来た知人から聞いて逆上した拝み屋が、病院から抜け出して村に戻ってきてガソリンをまき散らし火を放とうとしたが消防団が取り押さえて未遂に終わった。
病院に連れ戻そうとした途中で立ち寄った天満屋の駐車場で自らガソリンを被って自殺をしたというのが、例の焼死事件の顛末だった。
吉岡は、仏間で見つけた直刀を村長の目の前に取り出して見せた。村長の口元が小刻みに震え出した。
「それをどこで見つけてきた?」
吉岡は雷親爺の怒号を思いのほか冷静に受け止めつつ「岩見さんからが住んでいらした古民家から拾ってきたんです。仏間に転がってましたよ。巫女さんの衣装みたいなのも散乱していました。」と言うと、どかっと座って深いため息をついたあと腕組みした状態で黙り込んでしまった。
しばらくあって、「猿神様の御陵の石室から出土した直刀で、産土の神社の蔵にしまってあったのに紛失して皆で探していた村の宝よ。おそらく良子が持ち出したんじゃ。売っぱらって金に替えようと思ってたんじゃろ。あの女はどこまで強欲なんじゃ。」と、吐き捨てるように言った。
「良子さんはもともとこの村の人なんですか?」
吉岡が気にかかっていたことを切り出すと、
「そうじゃ。じゃけんども高校を卒業すると歌手になるというて東京へ出て行った。子どものころから目立ちたがりで派手好きじゃったから田舎暮らしを嫌っていた。地方のキャバレー、温泉宿をどさ周りして鳴かず飛ばすでしまいにマネージャーに騙され4桁の借金こさえて戻ってきてな・・・拝み屋の看板を掲げて村のもんをカモにえげつない商売しよってからに。借金取りが村まで追っかけてきよるから不憫に思った村のもんがなんかしら祈祷してもらって金を払ってやってたけどボランティアよ。それもわからんで良子のやつは、自分には本当に霊能力があると思い込んでおかしくなっていった。猫は神の使いとか言い出してな。このあたりはみんな農家じゃけえ放し飼いしとる猫が畑を荒らすんで迷惑しとった。」
「ちなみに南部良子さんのご実家というのは・・・。」
「さっきお前が行ってきたところじゃ。」
「えっ?」
2019年の夏、南部良子は祈祷中に突然倒れて矢掛市民病院に緊急搬送され、脳に悪性の腫瘍が見つかった。両親は既に他界しており、近くに親族もいない良子の治療代を捻出するために移住者に彼女の留守宅を提供し、家賃収入を入院の費用に充てていたのだという。
「良子は猛反対した。じゃけえそれしか方法がなかったし、村のもんも全員一致で賛成したからみんなで猫を処分して、移住者支援サイトに連絡してきた岩見さんを迎えたんじゃ。」
「岩見さんはそのことを・・・。」
「なんも知らん。知らせんかった。それじゃから、岩見さんが飼うようになった猫を見て心臓が止まりそうになった。捨てたはずの猫じゃったのよ。」
「猫って帰巣本能あるんですか?」
「調べたもんがおった。40キロも離れた場所から元の家まで帰ってきたという話があるそうじゃ。」
岩見は、そこが拝み屋の祈祷所であったことも知らず、ふらりと戻ってきた拝み屋の猫を、それと知らずに飼っていた。
そして、失踪した・・・。
吉岡は廃屋から持ち帰った衣装と直刀を真下刑事に渡した。
衣の一部と直刀からルミノール反応で血液が検出され、DNA鑑定の結果、岩見真輔の血液と一致した。
