家系図作成に関する語り(余談多め長めやや個人的思想あり)
◯序文
数年前、祖母が亡くなり、祖母の戸籍簿(以下からは戸籍と表記)を取り寄せたことをきっかけに家系図を作ってみることにした。私は日本史が好きであるため、家系図づくりは、なかなかにテンションの上がるイベントであった。
そこで、ありきたりではあるが、
「私の私による私のための家系図作りに関して」
として、家系図づくりに関してのさまざまを自由に記述することにした。
◯家系図づくり事始め
まず家系図づくりは、役所から戸籍を取り寄せることから始めた。今では最寄りの市役所から遠方の地の戸籍でも取り寄せられるようになったらしく、その点はありがたい。ただし、戸籍の取り寄せ自体それなりにお金がかかり、祖母から辿って取り寄せられるだけ戸籍を取り寄せてみたところ、1万円弱かかった。明治19年式のものまでしか取り寄せができないとはいえ、それなりの枚数となった。
私の場合、祖父母4人から辿って、ほとんど全員分取り寄せをしてみたのだが、一部すでに家系図を描いてくれた先人がいたため、その部分だけは戸籍の取り寄せをしなくても済んだ。とは言っても、取り寄せにかかった総額ではそこそこの額となってしまった。家系図づくりは楽しいのだが、自分でやろうとしても、なんだかんだお金も時間もかかる趣味である。
個人的には、人に頼むと数十万かかるとかかる上、家系図づくりという楽しい作業ができなくなるという機会喪失にもなるため、人に頼むのは“なし”だと思うのだが、実際のところ何を目的に家系図を作りたいのか、それによって人に頼むかどうか決めるのがよろしいかと思う。注意点として、戸籍という個人情報の塊に他人がベタベタ触るのをよしとするかどうか、というのも一つ重要な観点と言えるだろうか。様々言いはしたが、なんだかんだ頼んでやってもらうと楽で、しかも綺麗に仕上げたものを家系図として渡してもらえるため、そこは本当に、何を目的に家系図を作るかによる、としか言いようがない。
◯家系図を読む・書く
<読むフェーズ>
戸籍は比較的現代に近い言葉で書かれているから、江戸時代の書籍なり、明治時代バリバリの書籍なりと比べれば遥かに簡単に読み進めることができる。ただし、崩し字が当たり前に使われているため、判読不明な部分もある。そういう時は、読みたい戸籍に対して、古い戸籍と新しい戸籍を用意し、同じ人物に関する記述があればそれを参照すると読める場合もある。それでどうしてもダメならば、崩し字辞典を参照したり、名前部分のみが読めない場合などは墓石をみたりするのが良いだろう。これらでもダメなら、各自治体などが開催している、古文書解読を目的とした勉強会などに参加するのがよいかと思う。
戸籍に載せられている情報は確かに限られてはいるが、本籍地(昔の戸籍ならば居住地と本籍地が一致する場合もある)や家族構成、本家と分家の関係、場合によっては私生児の有無、といったことはわかる。直系尊属(直接血がつながった先祖のこと)の範囲だけでもわかることは多く、場合によっては直系尊属でない親戚につながる情報程度ならば簡単に得られる。
現在は明治19年式までしか戸籍を辿ることはできないとはいえ、先祖探しのエッセンスはきちんとここから得ることはできるため、気合いを入れて戸籍を読んでみると様々に発見があって大変楽しい。
<余談-冒頭だけ読むといいかもカモ>
明治19年式の戸籍、という単語を何度も出しているが、これが日本で現状取り寄せ・閲覧可能な最も古い戸籍である。国により作られた最古の戸籍は壬申戸籍と呼ばれ、明治5年にできたが、あまりに精緻に書かれていたがために、現在では閲覧不可能となっている。
精緻、という言葉で誤魔化したが、実際には明治以前の寺請制度においての宗門人別改帳には記されなかった浮浪の民や被差別部落の人々に関してもこの戸籍では記載されたということが問題の起こりなのである。詳しく書くと、この壬申戸籍において、そうした差別を受けてきた人々に関して、「新平民」などという差別的表現で表現していたということが問題なのである。
この当時(明治期)、四民平等という言葉ばかりが先行して、実際には旧時代の身分を引きずったままの社会であった。その中で、いわゆる被差別階級の人々(穢多・非人など)も平民として扱われるようになったのだが、それをよく思わない平民層も多かったことで、新平民という差別語が生まれたのだろう。とにかく、こうした事情や、就職において企業がそのような情報を元に不当に採用を行わないようにする等の問題が発生したことから、国によって壬申戸籍の閲覧は不可能となった。詳細な情報が記載されているであろう壬申戸籍が閲覧できず、場合によっては廃棄されているのを聞くとやるせない気もするが、性悪説派の私としてはそれも仕方ないことであろうと、思わざるを得ない。
*以下の余談は読み飛ばし推奨。次節に進むことを勧めます。
最後に余談ついでに色々語ってみる。
被差別階級の人々の解放令を例に、制度に対して、人身の心がついていかないというのはいつの時代も変わらないのだとよくわかる。現代でいうと、残業や育休などに関する会社内での問題などが挙げられるだろうか。詰まるところ、会社の先進的なことをやっている感と、実際に社員が感じている現実とのギャップが、制度において人身の心がついていっていないこととイコールである。会社が働き方改革と称して早く社員を返しても、実際は社員が仕事を持ち帰って仕事をしているだけであったり、報告する残業時間を減らさないといけないからという理由で、実際よりも残業時間を減らして申告させたり、というのが具体例と言えるだろうか。
とにかく、いつの時代も先進的な政策がを真に受け入れられるのには時間がかかるのは変わらないという証左だろう。
おまけついでにもう一丁。
被差別階級の人々の解放令に対して反対した平民(元農民)たちを事例に考える。現代の価値観からは、
「肌の色や国籍を理由に差別をする、というのは悪である」
、というのがおおよその人々の間で一致するスタンダードな考え方と言えるだろう。しかし、実際に今の世の中をみると、多くの偏見や差別というのが現在も存在しているのは確実である。
「いわゆるブルーカラーの人々を職業を理由に見下す人々。
23区内カーストという言葉で住んでいる場所を格付けし、優越感に浸る人々。
信仰する宗教を理由に差別をする人々。」
などなど様々である。個別の事案に対して意見がおありの方もいるだろうが、その人の内面などを知りもしないで、その人の価値を判断している場合には、そこには確実に偏見があるといって良いだろう。
さて結局何が言いたかったかといえば、人はどこまでいっても野生動物の性が抜けない、ということである。野生動物は何かに秀でていなければ、競争に負け生き抜くことができない。それは同種の生物を相手にしても、別種の生き物を相手にしても同じことである。これは人間も結局は同じで、自身が優れていることを示したい、という心があるのは当然なのである。優れていることを示すことが野生界ではイコール繁殖に繋がっていくのだが、実際問題人間もその例に漏れないのだから、理性のある生物を装っても基本的な気質は野生とは変わらないのである。
----以下結論の先の議論----
ただ、一応「理性ある」人間としては、可能な範囲で自分の周りや同族などに対してはフラットな目線でみるくらいのことはしたいというのも事実である。ただし、そのあたりの考え方と、現代に跋扈している多様性を盲目的に受け入れろという言説には大きな隔たりがあることは示しておきたい。
今言われる多様性の落とし穴として、どう頑張っても分かり合えない思想の持ち主同士に対しても相互理解・強調を強いるケース、悪くすれば一方だけが我慢することで2者が同じ空間にいることを可能にしているというケースがある。簡潔にいうと、海外の移民問題などがこの多様性の落とし穴、に該当するものである。あまり語りすぎるとお怒りになる方もいるだろうからなるべく短く書くが、つまりトラブル回避のためにも、最低限の棲み分けをした上で、身近なところには自身の属性に近しい集団を置かざるを得ないというのが、結局多様性の存続しうる条件ではないだろうか。現在のすべての国で、人種や文化関係なくごちゃ混ぜに人間を混ぜて共存させる、という狂気の考えを多様性と考えたがるものもいるが、結局可能なのは地球というスケールで考えて、他属性の人間の権利や文化を尊重し、それを自身の価値観だけで判断して侵犯したり、破壊したりしないということだろう。またさらに、これも実際には難しく、他の文化圏にいった人間と現地の人間との間でトラブルが生じることがしばしばあるのだが、要するに必要以上に他属性を持つ人間と関わらないことが実は多様性には必要なのではないか、と私は思うのである。多様性を実現するために、多様な人間や文化に触れすぎないようにする、というのは一見矛盾したように見えるが、真に平和主義的に多様性を実現するならばこうするしかないだろう。
しかし、実際にこれを行うにしろ、
・どのスケールでの集団を組むのか(小スケールだと血が近くなりすぎる等の生物学的問題も生じる)
・結局同属性同士での比較になり、その中で序列ができるのではないか
・他の文化や国、種族を知らないからこそ決めつけで自分たちが一番優れている、と考えて侵略戦争にならないか
などの問題が新たに生じてきてしまう。
上記一番下の侵略戦争云々を除き、つまりは、別属性の人とも共生(地球規模)しようとすると、同属性の間で序列が生まれて新たな差別が生じるという、今度は内輪での問題が出てきてしまうのである。
同属性の間での差別をなくす、という問題についてはここまで語ってこなかったので述べる。結論として、その根絶は不可能である。なぜなら同属性と言っても、同属性の中からだんだんスケールを小さくしていく過程で優劣は生まれるため、1人というスケールになるまで属性を細かく規定しない限りはその差別は根絶しようもないからである。(例:同属性同人種でも性別や年齢などで細かく分類可能)
かなりの少人数のスケール感なら可能だと言い張りたい人はいるだろうが、それはその人の周りだけで成り立っているだけであって、すべての人間を同様のスケール感(例えば2人1組)で組んだとして、すべての組で同様の関係性が成り立つようなことは絶対にないはずである。
先に述べた結論は、人も野生を捨て切ることはできない、ということだった。結論の先の議論などとほざき、追加でさまざま述べたが、やはりどう足掻いても人は野生動物と変わらず、他者と比べずにはいられない生物である、という考えを強固にしただけであった。
そのような考えの上で、真剣にどのように差別をなくしていけばいいかを議論するのは非常に難しいことだが、それでもあからさまに一線を超えた差別をなくしていくためになにができるか、個々人で考えていきたい問題ではある。
余談の余談だが、人の理性が反転して迷走したことによって新たに生まれた逆差別などをみていると、人間の野生的本能に抗う様愚かしい様が見えて、もはや滑稽にも見える。白人に対する逆差別やカーストによる逆差別、日本でもそれに対応する問題があるが、詳しくは興味を持たれた方ご自身で調べてもらえたらと思う。これはこれで根深い、何を持って差別の解消がなされたか、という問題につながるわけだが、ここでは詳しく述べることはしない。
----余談終わり----
<書くフェーズ>
家系図を書く段階では、家族構成などを意識した上で文字の大きさ調整をする程度しか気をつけることはないかもしれない。
家系図をを書くことそのものというより、戸籍と向き合い読み解く過程にその喜びの大半が詰まっているのだから、ここは綺麗に書くことを意識すればいいだけである。
生没年や婚姻の年、場合によっては離婚や死別時の年齢などを入れておくと、その裏にあるストーリーなどが読み取れて大変楽しいのだが、そこは個々人のやり方によると思うので、その有無はあくまで個人の裁量次第ということにしたい。
◯“単なる家系図”の先へ
一般的な家系図づくりであれば、以上の工程をもって終了だが、私が満足する私の定義する家系図は、単なる系図ではなく、私のルーツを探る歴史書のことである。よって以下では、家系の系図を描き終わった後で行ったことなどについて書いていく。
<先祖の名前などから探る>
先祖の名前や本籍がわかっている場合、国立国会図書館のデジタルアーカイブで検索をかけたり、戸籍が書かれた本籍地の近くの図書館で郷土研究資料を漁ったりするとなかなかに面白い発見がある。
この場合にはかなり個別の詳しい事情がわかることもあり、さらに詳しい系図を書くのに役立つようなこともある。こうした歴史を紐解くと、京都から流されてきた貴族や武士が地方に土着してその地の有力者などになっていった、とか、公卿や武士が没落して被差別階級の人間になっていた、など多くの歴史に触れることができるのだが、後者のような歴史の闇部分にも触れることはあるので覚悟は必要かもしれない。戸籍から、家族の複数人が同じ日に一気に亡くなっていたことがわかったから、その日その地域に関する情報を検索したら大量殺人事件があって、自身の先祖がその被害者だったなんてことも考えられる。また、戸籍の死亡情報の記載に不審な点があったので、その先祖の名前を検索したら犯罪者だったなんてことだって起こりうる。それゆえに、この方法には一定のリスクがあることを理解した上で行ってほしい。ちなみに、私の場合曽祖父の兄がナタで殺害されていたということが判明し、かなりの衝撃を受けた。
次に、仮に国立国会図書館などの検索のピンポイントの検索にかからなくても、苗字と本籍地がわかっていれば、姓氏家系辞典などからどこから移ってきた人なのか、がわかる場合もある。私の一部の先祖も実はその例で、どこからきた人間かわからなかったが、おおよそ居住地と苗字から、どういうルーツを持った人かが判明した。
<当時を知る人から話を聞く>
これはなるべく早いタイミングで行うのを勧める。80代の方などの場合、若い頃のようなきちんと論理の通った説明ができなくなってしまう方もいらっしゃるので、聞けるうちに聞くのが本当に大切である。
私の場合、家系図づくりを本格的に始めた際には父方の祖父母が二人とも亡くなってしまっていたので、聞けなかった話もかなり多い。父方の祖父の場合、従軍経験があるので貴重な話を聞けたはずであるが、私が中学に入ってすぐくらいに亡くなってしまったので、話を聞くことができなかった。
一般には、祖父母の場合は特に、気軽に会いに行って話を聞くことができるため本当におすすめである。場合によっては曽祖父母がご存命の方もいらっしゃるだろうから、そのような場合にもいろいろとお話を聞き、孝行も併せてしてあげられたらなお良いだろう。
そのほか、直系でない親戚の方にお話を聞く場合はそこそこハードルが高い。知り合いの親戚のツテをたどれれば良いが、そうでなければ直接乗り込むなりしなければならない。ただ、知らない方の家を訪れること自体この時代にはなかなか厳しいものがあるため、なるべく、というより知り合いのツテを辿って聞ける範囲の人に聞く程度にとどめておいた方が良い。また、知り合いのツテからお会いする方も、自分からすれば初対面の方ということがほとんどであるため、手土産は必須である。また確実に聞きたいことをあらかじめきちんとリストアップした上で聞くようのするのも大切である。
<現地を訪れる>
ここでいう現地、とは先祖が住んでいた土地のことである。
現地を訪れる際には、当然あらかじめアテをつけた上で行く必要がある。
例えば、宗門人別改帳を見せて頂きたい場合、現地のお寺の住職さんに連絡する必要があるだろうし、先に述べたように親戚の方からお話を聞く場合にも事前の連絡は必須である。
そのほか、事前の連絡等が必要ないのは、現地の史跡や神社、お寺を訪れることくらいだろうか。この場合、お寺や神社に残された何らかの名簿(寄進や寄附をした先祖がいればそれが書かれた木札や灯籠などがおいてあることがある)をみることになる。あとは、墓地を訪れて墓誌をみるくらいだろう。神職や住職、遺跡の管理者等いれば軽く声をかけ、不審者扱いされないように気をつけるのも一つポイントではある。
<最後にメモをつなぎ合わせ、書く書く書く>
最後はここまでの情報を一つのファイルにまとめていくだけである。Wordなり、Pagesなりを使ってパッパと書いていけばよい。ただ、系図だけはExcelなどを使って書くとわかりやすくて良いのではないだろうかと思う。系図を書くためのエクセルファイルはネット上にも無料で転がっているので、自分でフォーマットを作るのが面倒な人はそういうものを利用すると良い。
ここまではpcでまとめることを推奨したが、いよいよ困ったら、系図だけは手書きで書くのも悪くない。丁寧に線を引いて書いて作った手書きの系図なら、スキャンするなり写真を撮るなりして、ある程度加工すれば、ほとんどデジタル機器で書いたのと遜色ないpdfを作成できる。
◯家系図を作った個人的感想
さまざま作ってみたが、制作の過程が楽しかったというのは絶対に間違いない。ただ、挙動を見ていて、こいつはやばい、と思うような先祖がいたのは残念だった。実際、資産家に婿養子に入っただけの人間のくせに私生児を作った人がいたり、自分の娘を捨てて自分は再婚して家を出ていった人がいたりと、実に多種多様であった。
現在の価値観で測りきれないものもあるが、今回の家系図づくりでは再婚や継母といったものについても考えさせられた。家系図づくりで人に話を聞いた中で、継母に関するトピックはいろいろ聞いたが、(前妻から生まれた)子供が継母によって幸せになった例は一例もなかった。
余談として、現代であれば継父の問題などもあるが、男子が家を継ぐことが多かったこの時代、よそ者の男を後からその家に入れて当主にする家などそれほど多くなかったのであろう。そのせいか、継父というのは戸籍には一度も登場していなかった。
閑話休題。継母の話だがシンデレラの話然り、現代の縦読み漫画にしても、ああいった描写はあながちフィクションとは言い切れないものがあると感じた。
せっかくなので、家系図づくりで出会った継母の中でも屈指のモノ(私とは血のつながりがない)を紹介してこのノートは終わることにしよう。ただ紹介するのでは味気ないし、物語チック?に、書いていく。
<本当にあった話>
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戦前、N町に商家を営む5人家族がいた。母Rと父S、そして子供が上から長男(K)・長女(A)・次男(C)の三人兄妹という構成だ。その家では、当時の家庭としては珍しく電話が置かれていたり、バナナを日常生活で食べられる程度には豊かな生活ができていたそうである。
しかし、その幸せな生活もいつまでも続いたわけではなかった。ある時期から、母Rの体調が悪くなってしまったのだ。このことをきっかけに、家事を行う人手が必要となり、店舗のお手伝い兼家のお手伝いさんを雇うことになった。しかし、Rの看病を行う人がいなかったため、長女のAは学校をたびたび休んで母Rの面倒をみた。
なんだかんだでAは高等小学校までは卒業できたものの、母のことがあり、結局はその卒業後、家のお手伝いをしていたそうである。
その数年後、戦争は終わったが、ついにRが亡くなってしまった。悲しみに浸る家族をよそに、父Sは当時の慣習もあってか、Rが亡くなった同年の年末に後妻Gを迎えた。Gは当時亡夫との間に生まれた幼い子供を抱えていたが、再婚に際し、その子を捨てて嫁入りしてきたのだった。
Gがその後、前妻の子に具体的に何をしてきたのか。詳しい記録はないが、Aは特に虐められてきたらしく、継母であるGのことを「お母さん」と呼んだことは一度もなかったそうだ。(ただ、実際のところは、Gが「お母さん」とは呼ばせなかったのが本当であろう。)
結局Aは、継母に追い出されるのに近い形で、他家に嫁に行くこととなった。
後年になって、Aの息子Mが、Aと共にN町に訪れると、「おばさん」と呼ばれる正体不明の女性をみたそうだ。そのおばさんこそがGであるのだが、Mもその時はその人がAの継母とはわからなかったらしい。
Aが嫁に行ったのち、Aの兄KもWと結婚した。
その頃には、次男のCも独り立ちし、家には父SとG、K・W夫妻、そしてGとSの子供が一人いる五人家族となっていた。
しばらくすると、K夫妻の間には娘が産まれた。Sにとっては可愛い初孫のはずだったが、Gにとっては自分とは血のつながらないただの赤子である。
Gが赤子に危害を加えることはなかったが、Kの妻Wに対して苛烈ないじめを行った。当時の一般的な嫁姑の関係、そして父SとGの仲は良かったため妻と父との狭間でどっちつかずの立場をとったK...
Wは誰も味方のいないこの家での生活に心を病んだが、それに追い打ちをかけるように、Gの手によって、Wは家を追い出されることになった。
詳しいことはわからないが、Wがいなくなったことに関して、この家では表向きは円満離婚に見せかけ、町外にいる親戚には、嫁を追い出すようにし、無理やり離婚させたことを秘匿していた。
結局は数年後、この家の近隣の住民が、Wが受けた処遇に関して、たまたま遊びに来ていたKの弟のCに漏らしたことでこの一件は判明した。普段温厚で優しいCも、義姉に対する一家の対応に大激怒し、兄のKや継母Gに怒鳴り込んだらしい。ちなみに、この時にはSはすでに亡くなっていた。
この怒鳴り込みで、Cが実家の一家と縁を切ることになりかけたが、ひとまずAの仲裁やCの妻の説得などにより、縁を切ることにはならなかった。
この怒鳴り込みにより、KがWに対してさまざま思い直したのか、KはWのその後の行方を探しはじめた。しかし、Wが追い出されて数年経っていたことで、Wの行方を追うことはできず、結局Wの行方は掴めなかった。
また、Wの実子である娘も母を探し、何年もその行方を探したそうだが結局見つけることはできなったそうである。この子は一人娘であったが、大学進学を機に遠方の地にゆき、大学卒業時にそのままその土地で結婚して、現在までN町とは関係ない地で現在も暮らしている。
Wの気持ちを思えば、自分を追い出した人たちが自身の行方を探すというのは恐ろしいことであったに違いなく、Wの身近な人間にも、自分が受けた仕打ちは話をしていたのは間違いないだろう。だとすれば、K一家がWを探したとて、Wの情報をまともに話してくれる人はほとんどいなかったのも当然のことであろう。
考えてみると、Wと同様に気の毒なのはKの一人娘である。幼少期は父だけでなく、自分とは血のつながらない義祖母と、父の腹違いの妹と暮らし、大人になって実母を探してもその行方は掴めず...
この子のみならず、Aもそうであったが、親の再婚に際して、そのデメリットを被るのは必ずといっていいほど子供である。
誰もがシンデレラにはなれないし、誰もが強い真のある王子様になれるわけでもない。
何歳になろうと、誰しもが幸せを掴みたいのは当然だが、大人として、親として、子供がいるのなら一歩立ち止まって、冷静に物事を考えたい。さもなければ、バットエンドのシンデレラや王子様になるのは、自分の子供かもしれないのだから...
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