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子どものことで、心が折れそうになった2月

2月に入ってから、
子ども達のことで、立て続けに辛い出来事がありました。

それぞれ別々のこと。
なのに、なぜか一気に押し寄せてきたように感じました。

正直に言うと、
「どうしてこんなことが続くの?」
と、自分だけが不幸を背負っているような気持ちになりました。


子どものことは、私が代わってあげられるものではありません。

親として何ができるのか。
どうするのが正解なのか。
どんな言葉をかけるのがいいのか。

正解は、どこにもありませんでした。


精神的には、きっと最初から、かなりきつかったのだと思います。

でも最初のころは、
「私が何とかしなくちゃ」
そう思えていました。

今できることは何か、と考えて、
小さなことを一つずつやってみよう、と前を向けていた。

けれど——
一見うまくいったように見えても、
翌日には元どおり。

そんな日が続くと、
少しずつ気持ちにゆとりがなくなっていきました。

早く結果がほしい。
でも、焦ってはダメ。
気長にやらなくちゃ。

焦る気持ちを、さらに抑え込む。

その状態が続いたある日、
感情があふれました。

イライラして、
子どもにきつい態度をとってしまった。

そのあとで、自己嫌悪。
「子どものほうがつらいのに」
そう思うほど、苦しくなりました。

二人の出来事が重なった夜は、
1〜2時間おきに目が覚めて、
ほとんど眠れませんでした。


眠れない。
その事実を、ただ受け入れました。

「つらい」
「落ち込んでいる」

そんな自分を否定せず、
いっそ、とことん落ち込もうと思いました。

解決策も出さない。
前向きにもならない。

ただ、
「今、つらい」と認める。

それだけでした。
でも、それだけで、
ほんの少し気持ちが軽くなりました。


そして、話を聞いてくれる友達の存在。

アドバイスを押しつけるわけでもなく、
結論を急がせるわけでもない。
ただ、否定せずに聞いてくれる。

「こういうことなら力になれるから、必要なときはいつでも声をかけて」
その言葉が、どれほど救いになったか。

「私はひとりじゃない」
そう思えただけで、
また少し立て直すことができました。


もし、私が
「また私ばかり大変」
「私はいつも搾取される側」
「私は被害者」

そんな思いの中にとどまり続けていたら、
今回の出来事は、もっと重くのしかかっていたと思います。

でも、このシリーズを書き続ける中で、
私は何度も自分に問いかけてきました。

「私は、どうしたい?」

誰かが悪いかどうかではなく。
正解がどれかでもなく。
私は、どう在りたいのか。

今回も、その問いに戻ることができました。

落ち込みながらも。
揺れながらも。
被害者のままで終わらなかった。

これまで自分と向き合ってきた時間が、
ちゃんと活きている。
そう思えました。


親でも、どうにもできないことがあります。

でも、そんな中でも、
できることはあると思いました。

子どもの人生は、子どものもの。
それでも、
そばにいることはできる。
ずっと見てきたからこそ、分かることもある。

完璧な親にはなれなくても、
迷いながら一緒に考えることはできる。

そして何より、
自分の心まで壊してしまわないこと。

それもまた、
大切な役目なのかもしれません。


今回、強く感じたことがあります。

「搾取されない生き方」は、
自分のためだけのものではないということ。

自分が搾取されない生き方を選ぶことで、
子どもを支える余白が生まれる。

本当にしんどいときこそ、
自分を追い詰めない。
無理に強くならない。

「つらい」と感じる自分を、そのまま認めること。
それが、
私にとっての搾取されない生き方でした。


眠れない夜もありました。

それでも、
私は大丈夫。
揺れても、戻れる。

そう思えた2月でした。

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