見出し画像

私の為に書いている

心理検査を実施した。
一つ、分かったことがある。
私は書くということが相当に好きらしい、ということだ。

性格や発達に関する心理検査の経験がある人なら知っているかもしれないが、今日は自宅で「文章完成法テスト(SCT)」という検査に取り掛かった。
文頭のみ与えられた文章を、思うままに完成させるというテストだ。

この検査をすることで、認知の偏りやコンプレックス、社会性等を知ることが出来るらしい。
全部で60問もの文頭を与えられ、全て手書きで完成させる。
通常の所要時間は40〜60分らしいが、私は2時間掛けて超大作を完成させた。


最近は専らPCやスマホを相棒に文章を書いていたので、長時間ペンを握るのは久しぶりだった。「そういえば私こんな字だったな」と、自分が書く文字がなんだか懐かしい。
仕事をしていた時に「頭の良さそうな字ですね」と言われたことがあったが、「良さそう」ってなんだ。しかもそれ褒めてないよな。
ちなみにその言葉を投げてきた相手は、「お習字でも習っていらっしゃるかのような字ですね」と言いたくなるような字だ。
つまりめちゃくちゃ達筆だった。故に返す言葉が無い。

右手から作り出されるへろへろの文字に、「随分長いことメモ書きや書類手続きくらいでしか字を書いていなかった」と実感させられる。名前や住所などは書き慣れているが、「漢字やひらがな、数字を交えて文章を書く」というのは、いつぞやに投げ出した日記ぶりだ。

「60問も耐えられるか…?」と心配したし、半分過ぎた頃には脳も右手も痺れ始めていたが、終わる頃には「おいおい書くっておもしれえじゃねえか」と、変なドーパミンがダバダバと溢れていた。


あくまで「テスト」のはずなのに、一つの文章を完成させるのに夢中になっている自分がいた。心理士に見守られた状態でテストをする場合もあるようだが、テストという形態をもはや無視し、文章を作るのにやや興奮している人間が目の前にいたら、ちょっと怖いと思う。自宅で取り組むことで私の変態的側面を露呈せずに済んだ。いやしかし、異常な量の文章を見られたらすぐにバレてしまうだろう。

このテスト、もちろん一文だけ作って完成としてもなんら差し支えない。ただその文頭を見て思い浮かんだことを、自由に記述するだけなのだから。
「一文だけでも良いですか?」と心理士にわざわざ確認したくせに、行がびっちり埋まるくらい書いてしまった。

ちなみに夫に「男」という例題を出してみたら、「オンナァ!!!!!」とバカでかい声で返ってきた。もちろんこれでも良いのである。元気があってよろしい。


私はいつから書くことに飢えていたのだろう。
日記をつけたのはメンタルの調子を崩してからが初めてだったし、それも長くは続けられなかった。現実主義過ぎて、「架空のストーリーを1から作る」ということもしたことがない。興味はあれど、百番煎じくらいのありきたりなストーリーしか恐らく作れないだろう。私はそういう人間なのだ。

ただ、ずっと頭の中がうるさい感覚があった。考え事は尽きないし、考え事の合間には頭の中でずっと音楽が鳴り響いている。今日は『にんげんっていいな』がずっと流れている。「人間ってイイよな」なんて微塵も思ってもいないのに。

だから夫から、「頭の中が静かな時がある」と言われた時、開いた口が塞がらなかった。それってどういう状態なんだろう。音楽も流れない静寂が頭の中に流れるということだろうか。寝落ちする前のあの感覚だろうか。

頭の中がずっとうるさい私にとって、「書き出す」という行為は必要なものだったのかもしれない。現に、ほぼ毎日記事を作っている私がいる。毎日更新を目指しているわけではなく、毎日書き出さないとすっきりとしなくなってしまったのだ。
「流石に今日はテストで疲れたから記事は作れないだろう」と思っていたが、自然とPCに向かい、noteを立ち上げ、頭の中を整理する作業に向かっていた。


今、「書く」という行為が奪われてしまったらどうなるだろう。想像するに、なんとなく、メンタルの調子が悪くなりそうだ。頭の中がごちゃついて、逆に思考停止してしまうだろう。『にんげんっていいな』が流れるだけの頭になってしまうだろう。

「書きたい」「書こう」と思えるのは幸せなことだ。もしもこの気持ちが「書かなければいけない」になった時、それはただ苦しいだけの作業に化けてしまうと容易に想像がつく。

でももし、「書きたいことが無くなった」時、私はどうなってしまうのだろう。私が私で無くなってしまうのだろうか。いや、私という人格が完成した時にそんなふうに思うのだろうか。考えても考えても分からないし、なんなら分かりたくもない。


「書く」という行為に随分と救われた。
もし書いていなかったら、今頃死んでいたかもしれない。
ベッドから起き上がれなかったかもしれない。
ずっと鬱屈と過ごしていたかもしれない。
「死にたい」という気持ちにずっと支配されていたかもしれない。

きっと私のように、「書く」という行為に知らず知らずのうちに助けられた人が他にもいるだろう。
未だ気付いていない人もいるだろう。
私のエッセイの前を通ってくれる人は、なんとなく、そんな人が多いように思うのだ。


テストの中に「私はひそかに」という設問があった。
私は迷うことなく「エッセイを書くことを楽しんでいる」と書いた。
書き始めた頃の恥ずかしさはどこへやら。
書き続けているうちに、「好きなことだ」と堂々と語れるようになっていた。


私は、今日も明日も明後日も、毎日毎日書き続けるだろう。
書いては残し、書いては残し、恥ずかしげもなくその足跡を残すだろう。

「またおんなじようなこと書いてやがる」なんて思われたって、全然へっちゃらだ。
だってこれは、私の為のエッセイなのだから。


✌️




いいなと思ったら応援しよう!