第1部 最終話。どしゃ降りの雨と、それから。〜スズさんと旅するある日のきおく〜
連日、雨が続いたある日のことでした。
ねこタクのドアが静かに開き、
ずぶ濡れの、一匹の猫さんが
乗り込んできました。
その猫さんは、小さく震えながらも、
どこか凛とした声で言いました。
「……駅まで、お願いします。」
その声を聞いた瞬間、
スズさんの胸の奥で、
チリン、と鈴の音が聴こえた気がしました。
…あ、
この声。
「…かしこまりましたにゃ。」
忘れようとしても、
決して忘れられなかった声でした。
スズさんは、控えめに返事をして
ただ前を向き、静かにアクセルを踏みました。
ねこタクの中には、
雨の匂いと、
胸の奥に沈んだ想いだけが漂っていました。
しばらく走っているうちに
ずぶ濡れの猫さんは、ふと口を開きました。
「……僕の兄ちゃん、
どうして、いなくなってしまったんでしょうね。」
スズさんの指が、
ハンドルの上で、ほんの少しだけ揺れました。
猫さんは続けます。
「さみしくて、苦しくて……
戻ってきてほしいって、
ずっと思ってたんです。」
一度、息を吸って。
「でも……
気づいたんです。
兄ちゃんは、自分の場所で、
自分の役目を果たそうとしていたんだって。」
雨音が、バタバタと屋根を叩きます。
「だから僕も、
追いかけようと思ってるんです。
兄ちゃんの背中を。」
その言葉を聞いて、
スズさんは、確信しました。
──きゅうべえ。
やっぱり、君だったか。
ちゃんと、生きているのが分かった。
でも、スズさんは何も言いません。
名乗らないし、その名を呼ぶこともしません。
お互いがお互いの時間を、
それぞれの世界で生きているから。
触れないことで守れるものがあることも、
スズさんは知っているのです。
代わりにスズさんは、
帽子を少し深くかぶり直して
口元だけで、そっと微笑みました。
「……お客様、
大変すてきなお兄さまだったのですね。」
きゅうべえの瞳が、
一瞬だけ揺れました。
でも、きゅうべえは、何も言いません。
雨の中で、
別れは静かに形づくられていきます。
駅に着いたとき、スズさんは、
目は合わせずに、深く一礼しました。
「もし、またお兄さまのお話をしたくなったら……
どうぞ、ご乗車くださいませ。
わたしは、ここで、
いつでもお待ちしております。」
「…ありがとう、運転手さん…。
お元気で。」
きゅうべえは、小さく息を吸い、
雨上がりの空にかかる
虹のふもとの方向へ歩き出しました。
その背中は、
確かにどこか、
スズさんに似ているようにも見えました。
深い霧が、立ち込めていて、
その背中はすぐに見えなくなってしまいました。
ねこタクの屋根で、
最後の一滴が音を立てて弾けました。
静かな再会は、
何も持ち帰らず、
それでも確かに、
ここにありました。
ねこタクは、今日も走ります。
生きている誰かを、
見送るために。
第1部 最終話。おわり。
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