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又吉直樹『火花』ー失われた師弟関係ー

★はじめに

 2015年3月出版された又吉直樹さんの小説が第153回の芥川賞を受賞したことは世間に衝撃を与えました。又吉さんといえば、お笑いコンビ「ピース」として相方綾部さんと人気を博していたとはいえ、ゴールデン番組の司会等はなく賞レースでの優勝もありませんでした。そんな又吉さんが、小説家の憧れである芥川賞にデビュー作で到達してしまうとは。当時の自分も世間と同じように驚きを隠せずにいましたが、芸人さんが書いた本というのもあってか、手を出さずにいました。しかし、とある理由でちょうどいい知名度の純文学を探すこととなり、ふと『火花』を読んでみたいと思ったのです。10年もの月日を経て読了したこの作品は、繊細な描写、丁寧な文章、隠れた熱情、ハイライトから余韻のある終わりへと、まるで線香花火のような味わいの素敵な物語でした。
 すでに何人もの人が感想を書いていると思いますので、自分はこの本を「師弟関係」というテーマで読み解いてみたいと思います。

★あらすじ

 売れない芸人の徳永は、熱海の花火大会で、先輩芸人である神谷と電撃的に出会い、「弟子にして下さい」と申し出た。神谷は天才肌でまた人間味が豊かな人物。「いいよ」という答えの条件は「俺の伝記を書く」こと。神谷も徳永に心を開き、2人は頻繁に会って、神谷は徳永に笑いの哲学を伝授しようとする。吉祥寺の街を歩きまわる2人はさまざまな人間と触れ合うのだったが、やがて2人の歩む道は異なっていく。徳永は少しずつ売れていき、神谷は少しずつ損なわれていくのだった。お笑いの世界の周辺で生きる女性たちや、芸人の世界の厳しさも描きながら、驚くべきストーリー展開を見せる。笑いとは何か、人間の本質とは何かを描ききった傑作。

amazonのあらすじに筆者加筆

★師弟関係を描くこと

 あらすじにもあるとおり、徳永は神谷の弟子になりますが、数ある人間関係の中から「師弟関係」を選択したことがこの小説の1つの成功のように思います。現代において、人間を描く際の関係性はだいたい3つに分けられるでしょう。1つ目に家族、2つ目に恋愛、3つ目に学校又は職場の関係です。世の中の小説の90パーセント以上はこの3つの中のどれかの関係性を主軸に書かれているといっても過言ではありません。「師弟関係」なんてものが残っているのは、専門性が強い世界(職人、芸術、芸能の世界)に限られます。「師弟関係」の特徴は師匠を絶対のものとして扱うことです。師の論理を疑うことなく受け入れ、実践し、師に追いつくことを目標とする、ストイックで、非対称な関係性です。
 さて、神谷に弟子入りした徳永は、神谷から様々な理論を学んでいきます。それはお笑いの理論から、人間としての生き方まで幅広いものです。そう、師弟関係は一つの分野の技術だけでなく、生き方など人生に関わるところにまで影響を受ける、強く固い線で結ばれることでもあります。

漫才師である以上、面白い漫才をすることが絶対的な使命であることは当然であって、あらゆる日常の行動は全て漫才のためにあんねん。だから、お前の行動の全ては既に漫才の一部やねん。漫才は面白いことを想像できる人のものではなく、偽りのない純正の人間の姿を晒すもんやねん

文庫版21頁

 徳永は神谷の行動を観察し、話を聞き、同じ時間を共有することで、神谷になろうと足掻きます。しかし、どれだけ頭で考えようと、努力をしようととも神谷との差は縮まりません。

こういう時に僕は打ちのめされた。発想の善し悪しが、日常から遠くへ飛ばした飛距離でもなく、受け手側が理解出来る場所に落とす技術でもなく、理屈抜きで純粋に面白い方を択べとする感覚的なものによるならば、僕は、神谷さんに、永遠に追いつけない。

文庫本117頁

 テレビのネタ番組で「スパークス」(徳永と相方のコンビ名)のネタが流れても、神谷は一切笑いませんでした。「もっと自分が面白いと思うことをやればいい」、師匠からの残酷な一言で、徳永は神谷とは違う道を行くことを決意します。ここで初めて、徳永は師匠を否定し、自らの信念を思うお笑いを自覚します。

神谷さんが相手にしているのは世間ではない。いつか世間を振り向かせるかもしれない何かだ。その世界は孤独かもしてないけれど、その寂寥は自分を鼓舞もしてくれるだろう。僕は、結局、世間というものを剝がせなかった。本当の地獄というものは、孤独の中ではなく、世間の中にこそある。神谷さんは、それを知らないのだ。僕の眼に世間が映る限り、そこから逃げるわけにはいかない。自分の理想を崩さず、世間の観念とも闘う。「いないいないばあ」を知った僕は、「いないいないばあ」を全力でやるしかない。

文庫本134頁

 神谷と決別した徳永は、その後全力で世間と戦いますが、相方から引退を告げられたことで、自らもお笑い芸人を引退することを決めます。引退の日のラストライブ、この本のハイライトともいえるシーンで、徳永は声の限り叫びました。そして、視界の端には神谷がいます。神谷は徳永のネタを見て、初めて涙を流しながら笑っていました。

師匠が弟子を越えるということ

 この物語を師弟関係の物語としてみたとき、自分はこんなテーマが隠れているんじゃないかと思いました。それは、「弟子はどうやって師匠を越えるのか」。弟子というのは最初、師匠の言うことを絶対として、師匠と全く同じ存在になろうとします。しかし、徳永が直面したように師匠の言動をトレースするだけでは、良くても師匠の不完全なコピーにしかなれません。師匠を越えるには、最後のところで師匠を否定して自分の道を行く必要があります。ここで弟子が師匠を否定するというのは、実は師匠自身が自分を否定することに近いものがあります。というのも、弟子は自分の教えを忠実に守ってきた自らのコピーのような存在です。そんな、自分に近い存在が最後に師の教えを乗り越える。神谷を否定した徳永の漫才で初めて師匠が笑った。あのシーンがその証拠だと思えませんか。

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