傷付くことは、学ぶことと同じだから。
時々、これまでの人生を振り返って「ああ、私って、何もしないでここまで生きてきちゃったなあ」って思って、なんだかしょんぼりしちゃうことがあったんですよね。
「何もしないで」というのは、たとえば『20代でしておくべき〇〇個のこと』みたいなので挙げられそうな、ちょっと特別な経験であったり、
人に胸を張って「私はこういうことを頑張ってきました」と提示できるような取り組みであったり、キャリアを積んだりスキルを磨くことであったり、
なんだかそういったものの全部が中途半端で、結局私はなーんにも積み上げられなかったなあって。
そしてここまで結婚生活の経験もなければ、子育てをしたこともないし、私ってこの人生で何をしてきたんだろうって考えて、時々ちょっと、真剣に落ち込んでしまったりしていたんですよね。
周りの友人たちや親戚中の誰と比べても一番の落ちこぼれじゃん、お父さんお母さん、優秀なはずのあなたたちの娘がこんなぐだぐだな感じで、なんかごめんねって。
…………。
でも、うっすら、うっすらと、自負していたことがひとつありました。
私、恋愛だけはしてきたなあ。と。
生涯続くパートナーシップの経験は(当然)ないし、人に褒められるような教科書に載せられるような武勇伝とかはないんだけど、
それでもいつだって一所懸命、息をするのも忘れるくらい人を愛したり、そして愛されたりして、たくさん傷付いて、そうやって生きてきたんじゃん。
そう、私には、まだどこにも出してないような人間関係のしくじりエピソードが山ほどあるんだわ。
それなのに、「私の人生、何もなかった」なんて言ってしまったら私がかわいそうじゃん。何言ってやがるんだよって、ふつふつと怒りにも似た感情が湧いてきたんです。
だって、やっぱり傷付くことって、学ぶことと一緒だから。
特に恋愛なんてのはほんとに修行と一緒で、自分を失くしてしまうくらい誰かを想ってみたり、自分が溶けてなくなっちゃうくらい他人の色に染まってみたり、ぐちゃぐちゃになるくらい人と依存し癒着し合ってみたりして、初めてわかったこともたくさんたくさんあるんだよね。
そういう体験を「あれは間違いだった」と否定してしまうことは簡単だけど、わたしはその全てについて、一粒残らず「正解だったよ」って、自分に言ってあげたいから。
というか、自分のこと丸ごと大好きになっていくほどに、失敗だと思っていたものが『大正解』に塗り替えられていくのだということが、わかってしまったから。
だから、なんか年貢の納め時ということではないんだけど、今まで愛したり傷つけ合ったりしてきた男性たちからダウンロードしたものを、自分の人生の棚卸しとしてまた長編noteにまとめてみたいなって思うんだあ。
黒歴史ありすぎて途方も無い作業になりそうだけど。
HSPのいいところって、たくさん傷付くことができるところだと思うんです。それも深く深く、傷付くことができる。
そして同じように悦びや幸福も、全身に響き渡らせるように深く深く、感じることができる。
たくさんの傷から、そしてたくさんの幸福から、たくさんのことを身体いっぱいに吸収することができる。
そこで見た心の景色を、色彩を、音楽にのせる人もいれば、アートにする人もいる。
言葉にのせて詩を書く人もいれば、歌やお芝居で表現をしたりと、世の中には色んな才能を持った人がいる。
私は特にそういった芸術方面の才は持ち合わせていないので、そのまんま(多少は抽象化して)文章にしていこうと思うんだけど、それがひとつの自分にとっての区切りの作品のようなものになればいいなって、思っています。
ああ。。
いつだって痛いのはいやだけど。
それでも、傷付くことは間違いではなくて。
涙を流すことは不幸なことではなくて。
大好きな人に大切にされなかった悲しみも、屈辱も、二人でいるのに感じる孤独も。
大切な人を大切にできなかった悔しさも、情けなさも、自分への怒りも失望も、罪悪感も。
すごくすごく痛かったけど、その全ては、私が今こうして幸せを描くためにと、過去の私が残してくれた宝の地図だったんだなーって、今は思っています。
ひとつひとつの傷跡に、私が全力できれいなきれいなお花を咲かせていくからねって、過去一瞬一瞬の私に約束しよう。
これからの残りの人生、大切な人をもっと大切にできる自分になるために。
愛する人をまっすぐに純粋に、想える自分であるために。
心に燻っている過去の残り香に、さいごのお別れを告げるのだ。
