ご縁は切れない。お金はなくならない。
なんて強気なタイトルなんだろう。ぶるぶる。
でもわたしさんがこれにするって言ってきかないのでこれにしまあす。
なんとなくふんわりとした観念ですが、お金とか人の縁のようなものって「漂っているもの」というふうに感じています。
すぐに触れられるような距離感が失われているとき、私たちはそれを「(お金が)なくなった」とか「(縁が)切れた」というふうに認識するのかもしれません。
でも 一旦手を離れてもお金はまたそのうち来てくれるし、人の縁だって 離れたらニュートラルになるだけで、完全にゼロの状態にリセットされるということではないんじゃないかなって思います。
生きてると、ちょっと考えもしなかったようなタイミングや出処からお金やご縁や何かの機会なんかが発生したり、
記憶から消えていたような人と再会して関わりを築いたりまた離れたりなんてこともあるじゃないですか。
ああ… 見えないからって存在しないわけではないんだなって、時々しみじみと思うのですよね。
それらを思い通りに動かそうとかって思うと、それはまた別の話になってくるのですけどね。
だからなんか、どんなにひとりぼっちになったと思っても、悪く思える状況ってずっと続くとは限らないし、未来を悲観しなくていいし、
なんか「見えないけどあるかもしれないもの」を少し信じてあげてもいいと思うんだよね。
ほんとうに大切なものは目に見えないって、星の王子さまも言ってるしね(文脈はちがうけど)。
たとえば今日の預金残高やお財布の中身と明日のそれが同じとは 実は限らないし、チャンスがないと感じていたり 今すごく孤独を感じていても、次の瞬間はどうなってるかわからない。
見えないけど、もしかしたら 自分に恩恵をもたらす素敵な何かが今このときも水面下で起こっていて、こうしている間にもすぐそこまで近付いてきているのかもしれないし。
こういうのって地震みたいなもので、たとえば10年間動かなかったようなものだったとしても明日も絶対変わらないとは誰も言いきれない。
ご縁もお金も素敵な出来事も、
あれもこれも本当はいつでも手を伸ばせば届く場所にあって、あとは自分がそれを受け入れるための心の開きかたを思い出すだけなのかもしれないね。
とはいえ「金ェェェェ‼」とか「さみちー!」とか叫びそうになることも普通にありますがね。
でも、お金がないときはお金がないくらいのことで自分を嫌いにならない練習のときだし、さみしいときも同じようにその程度のことで自分を責めない練習のとき。
人生ってイイときばっかりじゃないのが自然なのに、一時のそれらのあるなしで全部に絶望したり自分を嫌いにならなきゃいけなかったら、人間やってるのがしんどくなっちゃうからね。
まーでも今日も明日も何が起こるかわかんないし、一寸先の未来を決めつけずに、まだ見ぬ素敵な何かをいつでもキャッチできるように全方向にハートを開いておきたいものだなあと感じる今日この頃なのでありました。
おしまい。
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なんか思ったこと。
雑貨屋さんやってます。よかったら遊びにいらしてくださいな。
