ワンオペ育児フルタイムで働いたら適応障害になった話
フルタイムという選択肢しかなかった。
夫の収入だけでは生活が苦しい。
育休前のフルタイム復帰が保育園入園の条件だったりもした。
コロナ禍の里帰り出産
2人目である次男を出産したのは、コロナ禍だった。
新幹線と特急を乗り継いで5時間はかかる実家に長男とともに里帰りしていた。
当時、県外からの流入に厳しかった田舎にようやく帰れる大義名分ができ、しばらく実家にお世話になった。
帰省から3ヶ月後、自宅へと戻った。
孤独なワンオペ育児と産後うつ
夫は仕事で夜が遅い。
毎日早くても21時に帰宅し、夜中12時を過ぎることも珍しくなかった。
夫の実家も車で4時間ほどかかる県外にあり、距離やコロナに阻まれ、産後も誰にも頼ることができなかった。
近所に知り合いもいなく、同じマンションの住人も挨拶程度だ。
隣の人がどんな人かさえ知らない。
マンションの一室で一人、赤ん坊と過ごす時間は孤独に押しつぶされそうだった。
実家の、常に人がいて賑やかく、みんな顔見知りで外を歩けば挨拶を交わす暖かい田舎の暮らしを思い出し、しばらくホームシックが抜けなかった。
それでもなんとか頑張った。
5歳の長男も幼いながらにマンションの階段では荷物を持ってくれたり、弟のお世話をしてくれて支えてくれた。
だけど、ホームシックと倦怠感は、ずっと続いた。
育休明けとフルタイム復帰へのプレッシャー
ついに育休が明けて仕事復帰をする日が来てしまった。
出産から1年弱、里帰りから帰ってきて8ヶ月ほど経っていたが、その頃になってもなんとなく憂鬱な気分と寝ても疲れが抜けない感じは治らなかった。
あぁ、仕事、したくないなぁ。
通勤、やだな⋯⋯
そう思ってはいたが、育休を取らせてもらい、さらに同じ職場でフルタイム復帰を条件に保育園入園も決まっていたので、フルタイムで復帰せざるを得なかった。
条件を守らなければ、長男の退園にも繋がりかねなかった。
すごく気に入って大好きな保育園だったから、それだけは避けたかったのだ。
復帰先はコールセンターだった
復帰と言っても、派遣社員だったので、育休前の職場は契約終了していて、新たに働き先を見つけなければいけなかった。
やりたい仕事はあったが、
送り迎えを考え9時-17時、駅近を絶対条件にすると、なかなか希望を叶えるのは難しかった。
思っていたよりも苦戦し、ようやく決まったのは、地方銀行のコールセンターだった。
始まった、地獄の日々
次男を0歳児で預け、コールセンターで働くことになったのだが、ここからが地獄だった。
朝8時前には家を出て、自転車で駅へダッシュ。
満員電車に押しつぶされながら出社し、9時~17時はコールセンターの仕事、終われば走って駅に向かい電車に乗り、自転車に乗り換え保育園へ。
2人の子どもを乗せてスーパーに寄り買い物をして、帰宅。(荷物どうしてたんだっけ⋯)
帰宅したらすぐにら夕飯の準備をしてご飯を食べてお風呂に入れてなんやかんやで寝かしつけ⋯
─── 寝ついた頃に夫が帰宅。
それが日常だった。
頑張るほど、心と体がダメになっていく
コールセンターは初めてで、もともと電話は苦手で銀行にもトラウマがあったが、甘えたこと言っていてはいけないと自分に言い聞かせ、頑張っていた。
0歳児の次男はよく熱を出した。
体感で週に一度は熱を出して休んでいたと思う。いや、事実、それくらいの頻度で早退や休みをもらっていた。
忙しさで体を休める時間もなく、子どもの病院通いばかりで自分の病院には行けず、風邪をこじらせ、咳喘息やら副鼻腔炎やらを悪化させてしまった。
そして、謎の胸の圧迫感に悩まされるようになる。
何を食べても美味しいと感じなくなり、何が食べたいのかも分からないという日が続いた。
一度、循環器内科で診てもらったが異常はなく、点滴と胃薬、睡眠導入剤をもらった。
とにかく体調が悪いまま、頻繁に休みを取らせてもらって申し訳ない気持ちでいっぱいで、出られる日はなんとか出社して苦手な電話を頑張った。
人見知りな上にコロナ禍でコミュニケーションが取りづらい環境下で、さらに体調不良もあり、挨拶は明るくするように心がけていたが、休憩中は一人で過ごし時間があれば机に突っ伏して、少しでも心と体を休ませようと努めていた。
上司から言われた一言で心が折れた
そんなある日、上司との面談でこんなことを言われた。
「もっと積極的にコミュニケーションを取るようにした方がいい」
「ねむたいさんが休んだ分他の人がやってるんだから」
────ギリギリで保っていた心が折れる音がした。
よかれと思ってアドバイスしてくれたのかもしれない。
だけど当時の私には、コミュニケーションが苦手なことや頻繁に休んでいることを、指摘されたようにしか受け取れなかった。
「積極的にコミュニケーション」も頑張ってみたが、1人で過ごす時間や机で休む時間が奪われたことで体調はさらに悪化。
「もう限界……」
退職を決めた。
退職後も続く体調不良。適応障害と診断された
退職して数ヶ月後、それでも体調不良が治らず、内科を受診。
異常はなく、体質の問題だろうと言われた。
その後も眠れない、お腹は空くが食欲がなく味がしない、謎の憂鬱感、謎の倦怠感に悩まされ、心療内科を受診。
「適応障害になってますね。キャパオーバーなんじゃないですか?頑張り過ぎですよ」
一人で頑張ってきたことが普通ではないと、認めてもらえた気がして、涙が出そうになった。
しかし、適応障害だと言われても、薬は対症療法でしかなく、ストレスの原因である環境を変えないことには良くならない。
しばらく通院し治療を続けていたが、どうにも家事も回らなくなり、立っているのも辛く寝たまま起き上がるのさえも辛いと感じるようになっていた。(今思うと薬の副作用もあったのかもしれない…)
長男にも心配をかけ始め、子どもたちのためにも元気なお母さんでいないと、と、ある決心をすることになる。
