アルフレッド・ヒッチコック監督 『断崖』 : 不本意だった「失敗作」
映画評:アルフレッド・ヒッチコック監督『断崖』(1941年/アメリカ映画)
失敗作である。
当代を代表する美男美女俳優、ケイリー・グラントとジョーン・フォンテインを主演に迎えたサスペンススリラーだが、配役の豪華さが裏目に出でしまった作品である。

まずは、作品のおおすじを「映画.com」から。
『フランシス・アイリス(※ フランシス・アイルズ)の小説「犯行以前」を、巨匠アルフレッド・ヒッチコックが映画化した犯罪スリラー。一目惚れでプレイボーイのジョンと結婚した富豪の令嬢リナだったが、結婚後にジョンが一文無しの男だと知り驚く。その後不審な行動が多くなっていくジョンに対し、リナは恐れを抱くようになる……。プレイボーイのジョンにケイリー・グラント。リナにはジョーン・フォンテイン。42年のアカデミー賞ではジョーン・フォンテインが主演女優賞を受賞した。』
(映画.com『断崖』、解説・あらすじ)
要は、世間知らずの富豪令嬢リナがプレイボーイのジョンと結婚したが、彼は嘘つきのいい加減な男だった。しかし、いろいろ嘘をつかれ騙されても、ジョンにベタ惚れのリナは、結局は彼を許してしまう。

そうこうしているうちに、ジョンの親友だった男性が、ジョンとの旅先で不審死をとげ、またその後、ジョンが「証拠の残らない毒薬」に強い興味を示しているのを知って、リナは自分に保険金が掛けられ、殺されるのではないかとの疑いを深めていくが…。

一一と、おおよそこのような、犯罪スリラーの定番パターンで、他のヒッチコック作品にも似たようなパターンの作品があったはずである。
【※ ラストに触れますので、未鑑賞の方はご注意ください。ただし、私としては、本作は見ない方が良いと、あらかじめオススメしておきたいと思います】
○ ○ ○
本作のダメなところは、大きく次の2点である。
(1)騙されても騙されても、それでもジョンを信じてしまうリサが、バカっぽすぎて、説得力に欠ける。
(2)リサの「ジョンに殺されるのではないか」という疑惑は、すべて誤解だった。いろいろあった不自然な点についても、すべて「説明」はつく。ジョンを最後まで信じたリサは幸福をつかんだ。一一というラストは、いかにも強引なもので、取って付けたような不自然さを免れていない。
まず、(1)について。
これは、徐々に「疑惑」を深め、サスペンスを盛り上げるために必要なことだったのだろう。だが、愚かには見えない美人女優が、愚かな女を「愚かだとは言えない女性」として演じても、そもそもそこに無理と矛盾があって、説得力が無さすぎる。
したがって、サスペンスの説得力を優先して、ジョーン・フォンテインに、わかりやすく「愚かな女」を演じさせるか、それが無理なら、「愚かな女」の似合う女優にリサを演じさせるべきであった。

(2)について。
これでもかと、ジョンに嫌疑をかけるための「不審点」を積み重ねることで、サスペンスを盛り上げたのに、結局は「すべて誤解でした。ジョンはいい加減なやつだけど、リナを愛しているということだけは真実でした」めでたしめでたし一一というラストは、あまりにも酷いし、説得力が無い。
ここは普通、もうひと捻りあって然るべきなのに、それが無いのだから、これはもう「失敗作」と呼ぶしかないだろう。
一一そんな不満を抱えながら、本作の「世評」はどうなのかと、「ヒッチコック・断崖」でGoogle検索していたところ、「岸田」氏の「【こんな映画でした】403.[断崖]」という「note」に行き当たって、すべての「謎」は氷解した。
『 ところが映画では、(※ ジョンは)車の助手席にリナを乗せ、断崖絶壁の際を猛スピードで走り、その助手席のドアを解錠し、リナを突き落とそうとするが。車は停まり、二人は仲直りをして家に戻ることにして映画は終わる。――これは一体何なんだ、と思わずガックリくる終わり方なのだ。
*
これはどうもつろくしない、おかしいと思って早速トリュフォーの『映画術』の該当箇所を読んだ。やはり、そうだったのだ。ヒッチコックは原作の小説とも、この公開された映画の結末とも違うものを考えていたとのことなのだ。
ヒッチコック 『断崖』の結末は、じつに気にいらないんだよ(P.129) 』
やはり、あのラストは、監督であるヒッチコック自身、不満のあるもので、ヒッチコックは別のものを考えていたのだ。
つまり、ヒッチコックの構想は、ねじ曲げられていたのである。
『 アメリカ映画のスター主義は、スターは絶対に悪人・悪役にならないということ。殺人犯人に仕立てることは不可能なのだ。ずいぶんと狭量だとは思うが、アメリカの映画会社は芸術作品を作っているわけではなく、あくまでもビジネスだからだろう。』(同上)
見てのとおりである。
スターの美男俳優ケイリー・グラントを使ったがために、彼を「狡猾な殺人者」と描くことができず、ヒッチコックは、映画会社からの横槍的な指示に従わざるを得なかったというのが、真相だったのだ。
このことを「Wikipedia」では、次のように、間接的に指摘している。
『映画批評家によるレビュー
Rotten Tomatoesによれば、批評家の一致した見解は「ジョーン・フォンテインのおどおどした演技の巧みさとアルフレッド・ヒッチコックの(観る者を)不安にさせる天賦の才をそれとなく見せてくれる『断崖』の狡猾さと興味をそそられるサスペンスは、悪名高いスタジオの干渉でさえも損なうことはできない。」であり、33件の評論のうち高評価は97%にあたる32件で、平均点は10点満点中7.8点となっている。 Metacriticによれば、4件の評論の全てが高評価で、平均点は100点満点中83点となっている。』
(Wikipedia「断崖」)
『悪名高いスタジオの干渉』という部分である。
しかし、上の記述を見ると、評論家の評価は「異様に高すぎる」ように見えるし、無理やり褒めている感が否めない。
つまり、「褒めなければならない、何らかの事情があった」のだろうし、そう考えれば、主演のジョーン・フォンテインの演技自体は悪くなかったとは言え、この作品での「アカデミー賞・主演女優賞」の受賞も、なにか裏がありそうに思えてならない。



ともあれ、こうした「わかりやすい失敗作」でさえ「さすがはヒッチコックだ」とか「傑作」だとか言う、評論家やファンがいるようなのにも呆れてしまう。
「岸田」氏が、
『ということでヒッチコックの弁を聞いてホッとしたが、映画としての本作はヒッチコックの名作の一つに数えたくない、私は。』
と書かれていたが、まったくの同感。
これこそが、真のヒッチコックファンの、あるべきだ態度だろう。
否定的に評価することも、時には「愛ゆえ」なのだということである。
ただ、約2年前に書かれた「岸田」氏のこのnoteに、初めて「スキ」を付けたのが私だという事実も、まったくもって残念でならない。
「岸田」氏のこの記事は、「ヒッチコック・断崖」でGoogle検索すると、「Wikipedia」に続いて上位に掲示されていたから、これを読んだ人もそれなりにいるはずた。
なのに、本作を褒めてなかったから、「スキ」が付かなかったのだろうか?
それでも、「岸田」氏のこの記事(評価)を、誰よりもヒッチコックが、喜んでいるはずである。

(2025年8月6日)
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