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あずまきよひこ 『よつばと!(16)』 : 子供が身につけるべきこと

書評:あずまきよひこよつばと!(16』(KADOKAWA・電撃コミックス)

ひさしぶりの刊行だと分かってはいたが、まさか「4年ぶり」とは思わなかった。そもそも近年は「ひさしぶり」にしか刊行しないシリーズだったからだ。

本作は、たぶん第1巻か、せいぜい第3巻くらいまでの刊行の頃から読んでいるはずで、一時期は「ちょっとマンネリかな」と感じられたこともあった。第1巻の衝撃的なまでの面白さが、影をひそめてしまったと感じたのである。

しかし、そのせいもあってか、本作は無理な連載を続けず、不定期連載というかたちで質の安定を担保したようで、第1巻のような破壊力は無くなったものの、安定した面白さを感じさせるシリーズになっていった。だが、それがどの巻あたりからのことなのか、それも今となっては定かではない。なにしろ本作は(たぶん連載開始)「22周年」だというのだから、驚きである。長く続いているとは思っていたが、もうそんなになるのか。こちらも歳をとるはずだ。

そんなわけで、本巻の目次を先に示しておこう。

第105話 クリスマスツリー
第106話 しょくどう
第107話 なかよく
第108話 たかおさん(※ 高尾山)
第109話 やまとかわ(※ 山と川)
第110話 てっぺん
第111話 しゅみ
第112話 せんせい

全体に言えることは、あいかわらずの「子供観察」の素晴らしさである。

例えば、第105話は、家でクリスマスツリーを作って飾りつけをするお話だが、とーちゃん(小岩井葉介)と飾りつけを済ませたよつば(小岩井よつば)に、とーちゃんが電飾の点火スイッチを渡して、点けてみろとうながす。するとよつばは、四方にむけてペコペコとお辞儀をしてから、おもむろに点火する。なんの真似かと言えば、無論これは「点火式」の真似である。
実際の点火式で、四方に向かって頭を下げる(お辞儀をする)わけでもなかろうが、なるほど子供の理解したイメージだとこうなるだろうと、そんな説得力がある。

また、第106話では、近所の公園で、とーちゃんがその旧友のジャンボこと竹田隆に、よつばが小学校にあがると土日しか連れ出してやれなくなるので、その前に思い出に残るところに連れて行ってやりたいのだがと、そう相談しながら、一人で「ごっこ遊び」をしているよつばを見守っている、という状況を描いた作品である。
で、よつばがどんな「ごっこ遊び」をしているのかというと、「軽食喫茶店ごっこ」だ。

動物型の子供用遊具に並んでまたがりながら話している大人二人のところへ、よつばが喫茶店の店員さんになりきって注文を取りに来る。「何にいたしましょう?」と問われ「何があるんですか?」と問い返すと、いかにもなメニューを返してくるよつばだが、ジャンボが「今日の日替わりメニューはなんですか?」と質問を返したところ、それが想定外の言葉だったらしく、一瞬よつばが「固まる」ところなど、なんとも心憎い描写である。

(本巻カバー背面)

私が、こうした、あずまきよひこ「子供描写」に感心するのは、実際の子供がこれこのまましないとしても、いかにもしそうなことを、しそうなリアリティを持って描いているからである。
これはたぶん、優れた作家ならでは観察力と「本質抽出力」から来る、一種の誇張表現なのではないだろうか。つまり、「現実そのまま」ではなく、「いかにも〜らしい」描写、ということである。

私は子供好きなのだが、しかし大人になってからは、身辺に子供がいたことは一度もないし、その点で子供の行動に、特別詳しいわけでもない。だが、あずまきよひこの「子供描写」は、そんな子供好きのツボを的確に突いてくるものなのだ。
つまり、単なるリアリズムではない、ということである。

第107話から第110話までは、一連のエピソード。
ジャンボとの相談で、よつばを高尾山まで初めてのトレッキング(山歩き)に連れて行ってやることにしたとーちゃんだったが、そんな時に、よつばの「ライバル」と呼んでいいだろう通称「やんだ」こと安田青年が、暇を持て余して、勝手に小岩井家に遊びに来て上がり込んでおり、よつばに迷惑がられている。さらにやんだは、よつば親子がトレッキングに行くという話を聞いて、例によって、自分も連れていけと言い出す。
とーちゃんとしては、初めての山に幼い子供を連れて行くには、大人二人の目があったほうが良いから、やんだを連れて行こうとするのだが、例によってよつばがやんだを毛嫌いし、いつもの如くやんだと「同レベル」の喧嘩を始めてしまう。
やんだとは、そういう「子供っぽい大人」なのだ。だから、よつばの「ライバル」なのである。

(やんだとよつば)

で、とーちゃんが、二人が仲良くするのなら、山へ連れて行ってやるという条件をつけたので、二人はやむなく「仲の良いふり」をしながらの、トレッキングの珍道中を繰り広げるのだ。
ちなみに、わあわあ言いながらも元気に山道を登っていく若い二人とは違って、すぐに息が上がってへばってしまう とーちゃんの描写が、いかにも生々しくて身につまされるところであった。まあ、還暦を過ぎた私が、まだ三十代であろうとーちゃんをつかまえて、いまさら言うことでもないのだろうが‥‥‥。

第111話では、私が『よつばと!』で最も好きなキャラクターである、綾瀬家の次女・風香がひさしぶりに登場して、期待に違わず楽しませてくれた。
綾瀬家の三姉妹は、美人大学生で頭の回転も早い「できる女」の長女・あさぎと、可愛くて優しくてしっかり者の小学生であるの三女・恵那の間に挟まれたのが、何かと残念な女子中学生の風香である。
風香のどこが「残念」なのかというと、悪い娘ではないのだが、なにかと「ズレて」おり、しかもそのことに自覚がなく、当人は結構イケてる女のつもりなところが、傍目にイタいのだ。それで、よつばにさえバカにされて、いまさらの如くショックを受けたりしている、いわゆる「ボケキャラ」なのである。
だが、私としては、風香の「天然」ぶりが何とも好ましい。あさぎや恵那は、出来すぎていてつまらないのだ。

で、このお話では、休みの日にソファーでダラダラと寝そべっている、いかにもダメな女の風香が、いきなり「私も趣味が持ちたい」などと言い出して、よつばやあさぎ、恵那らとあれこれ相談するのだが、風香が考えている「かっこいい趣味」とは、「一人旅! 旅先で、サーフィン、ダイビング」とか「秘境駅、カフェ、ろくろ(体験)」とか「楽器」もいいなと「ピアノ、いやギターがいいかも」などといった調子で、いかにも「ベタ」なのだ。

で、それを聞いたよつばから「そんなのダメ! そんなの、ふーかににあわないよ」と言われて「‥‥‥そお?」と問い返し、よつばから大真面目に言われたのが、

「ふーかは、おかしたべてねているのが、おにあいだよ!」

そんな、あまりにも正鵠を射た言葉なのであった。
一一子供は正直であり、その観察眼は侮れないというお話である。

(第111話では、ソファーにだらしなく寝そべっている風香を患者に見立てて、よつばと恵那が「手術ごっこ」をするシーンがある。このイラストでは、右が風香)

第112話は、恵那の友達であるみうらちゃん(早坂みうら)が、どうしても鉄棒の「逆上がり」ができないというので、その特訓のために、恵那が小学校までつき合って行こうとしていたところ、よつばと出会って、一緒に鉄棒をしに行くことになったというお話。

このエピソードで驚くのは、あずまきよひこの旧作『あずまんが大王』に登場する女子高生レギュラーの一人であった通称「大阪」(春日 歩)が、恵那たちから「大阪先生」と呼ばれる先生役で、いきなり登場したところだ。
学生時代の「大阪」は、「大阪からの転校生」ということで「大阪」とあだ名されてしまった人物だが、大阪弁とも言い切れない、どこのものとも特定しかねる関西弁を話すだけではなく、よく居眠りをしたりして、ぼーっと力の抜けた、ゆるい性格のキャラクター。さらに、成績もよくなかった人物である。それが「小学校の先生」になっていた、という設定なのだ。

(学生の頃の「大阪」。この立ち姿が、彼女の性格を如実に表現している)

では、そんな先生が、どうして日曜日の学校の、しかも鉄棒のそばにいたのかといえば、じつは彼女は、いまだに「逆上がり」ができないので、生徒たちにバレないうちにと、彼女も特訓しに来ていたのである。

ちなみに、私も結局のところ「逆上がり」ができないまま、今に至っている。今ならできるかもしれないが、その機会もないので確認のしようもない。一一というのはもちろん嘘で、当然のことながら、いまだにできないだろう。だが、ぜんぜんかまわない。

子供の頃は、「逆上がり」ができないというのは、なかなかの屈辱だったのだが、今となってはどうでもいいことだったとわかる。
無論、できないことについて、努力しチャレンジするのは大切なことだが、所詮「逆上がり」などできなくても、実人生で困ることなど、まったく無い。

そう言えば、1年間の警察学校生活では、いろいろな運動能力の「最低水準」クリアを求められた。例えば、「懸垂は最低5回」とか「水泳は最低25メートル」とか「1500メートル何分以内」とかなのだが、小学校の頃から運動が苦手で嫌で不得意だった私は、なんの因果か警察学校に入ってしまい、そんなことを要求される立場になってしまった。

しかし、できないものはできないのだ。それで教官に「でけへん奴は辞めてもらう」とか「(家へ)帰ってもらう」とか散々脅されたのだが、結局のところ肝心なのは「根性」である。
つまり、できなくても「やります! やらせて下さい!」と食い下がっていく根性があれば、やれなくても辞めさせられることはなく、無事卒業できたのだ。

つまり、世の中、できるに越したことはないけれど、できなくてもさほど困らないことも、いろいろあるのだ。
むしろ実生活の現場で重要なのは「(昭和な)負けん気と根性」であると、これはそういう話である。

一一もちろん「第112話」の話ではないのだけれども。


(2025年3月7日)


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