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クリント・イーストウッド監督 『父親たちの星条旗』 : 強いられた「無意味な死」

映画評:クリント・イーストウッド監督『父親たちの星条旗』(2006年/アメリカ映画)

戦争というものの「嫌さ」というものをよく描いているという点において、本作は優れた映画である。だが、同じ理由において、見ていてとても嫌な気分になる作品だ。
つまり、クリント・イーストウッド監督の思惑どおりに完成した作品だということなのであろう。

本作の「嫌な点=美点」は、主に二点である。

(1)戦場の生きて帰れなさがリアルで嫌
(2)後方(社会)での兵士たちへの無理解と、露骨な兵士利用が嫌(いやらしすぎる)

という点だ。

これらが、実にリアルに、しかも淡々と描かれているから、「ああ、こうなんだろうなあ」と暗い気分になり、嘆息せずにはいられないのだ。
「自分は絶対に、こんな立場には立たされたくないと思うし、ならば、どうすれば避けられるだろう? やっぱり、いくらつらくても、徴兵忌避しかないかな」などと、リアルに考えさせられてしまう。

以上の感想を詳しく書く前に、本作『父親たちの星条旗』の大筋を、「Wikipedia」から説明しておこう。

『父親たちの星条旗(ちちおやたちのせいじょうき、原題: Flags of Our Fathers)は、2006年公開のアメリカ合衆国の映画。ジェームズ・ブラッドリーとロン・パワーズによる同名のノンフィクション小説を元にした映画化である。『硫黄島2部作』の1作目。』

(Wikipedia「父親たちの星条旗」

クリント・イーストウッドが監督し、ジェームズ・ブラッドリーとロン・パワーズによるノンフィクション小説『Flags of Our Fathers』(邦題: 『硫黄島の星条旗』)をポール・ハギスらが脚色し、イーストウッドが率いるマルパソ・カンパニー、スティーヴン・スピルバーグが率いるドリームワークスらが制作した。第49回ブルーリボン賞第30回日本アカデミー賞で最優秀外国作品賞を受賞した。

太平洋戦争最大の戦闘とされる硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた「硫黄島プロジェクト」のアメリカ側視点の作品である。硫黄島での死闘と戦場(摺鉢山の山頂)に星条旗を打ち立てる有名な写真「硫黄島の星条旗」(Raising the Flag on Iwojima)の被写体となった兵士たちのその後などが描かれる。
(中略)
同年(※ 2006年)12月に日本側の視点で描いた『硫黄島からの手紙』が日本とアメリカで連続公開された。
(中略)
海軍の衛生兵のジョン・“ドク”・ブラッドリー、米海兵隊のアイラ・ヘイズ、伝令であったレイニー・ギャグノンの3人の米軍兵士が、英雄として戦債キャンペーンの広告塔に起用されつつ、回想を通して戦場での体験が描かれている。』

同上

「ストーリー」を詳しく知りたい人は、「Wikipedia」をあたっていただきたいが、本作はノンフィクション小説をもとにした作品なので、基本的には、さほど複雑な内容ではない

つまり、本作で描かれるのは、(1)「硫黄島での悲惨な戦闘」と、(2)硫黄島の摺鉢山山頂に征服の証である星条旗を立てた兵士たちの写真が、アメリカ本国で大評判になったため、この顔がハッキリしない写真に写っていたとされる兵士たちが「英雄として戦債(戦時国債)キャンペーンの広告塔」として利用され、あちこちのイベントに引き回される様子である。

ジョー・ローゼンタール撮影『硫黄島の星条旗』部分)

つまり、この2点がどちらも見ていて「つらい」し「嫌な気分」にさせられる。

先に挙げた、本作の2つの「嫌な点=美点」、

(1)戦場の生きて帰れなさがリアルで嫌
(2)後方(社会)での兵士たちへの無理解と、露骨な兵士利用が嫌(いやらしすぎる)

について、順に書いていこう。

まず(1)について。

上に引用した紹介文で『太平洋戦争最大の戦闘』と評される「硫黄島の戦い」だが、私自身、この戦場が激戦地であったということくらいは耳にしていたが、詳しいことは何も知らなかった。
で、今回本作を見て「むちゃくちゃな戦闘」だったんだなと呆れたし、こんな戦闘には、日本側であれアメリカ側であれ、絶対に参加したくないと、心底そう思わさせられたのだ。

そうした「悲惨な戦場」の実態については、次の説明が具体的でわかりやすいだろう。

『1945年2月19日にアメリカ海兵隊の硫黄島強襲が艦載機と艦艇の砲撃支援を受けて開始された。上陸から約1か月後の3月17日、栗林忠道陸軍中将(戦死認定後陸軍大将)を最高指揮官とする日本軍硫黄島守備隊(小笠原兵団)の激しい抵抗を受けながらも、アメリカ軍は同島をほぼ制圧。3月21日、日本の大本営は17日に硫黄島守備隊が玉砕したと発表する。しかしながらその後も残存日本兵からの散発的な遊撃戦は続いた。最初アメリカ軍は5日間の戦闘期間を想定していたが、40日間にわたる死闘の末、3月26日、栗林大将以下300名余りが最後の総攻撃を敢行し壊滅、これにより日米の組織的戦闘は終結した。アメリカ軍の当初の計画では硫黄島を5日で攻略する予定であったが、最終的に1ヶ月以上を要することとなり、アメリカ軍の作戦計画を大きく狂わせることとなった。

いったん戦闘が始まれば、日本軍には小規模な航空攻撃を除いて、増援や救援の具体的な計画・能力は当初よりなく、守備兵力20,933名のうち95%の19,900名が戦死あるいは戦闘中の行方不明となった。一方、アメリカ軍は戦死6,821名・戦傷21,865名の計28,686名の損害を受けた。太平洋戦争後期の上陸戦でのアメリカ軍攻略部隊の損害(戦死・戦傷者数等の合計)実数が日本軍を上回った稀有な戦いであり、フィリピンの戦い (1944年-1945年)や沖縄戦とともに第二次世界大戦の太平洋戦線屈指の最激戦地の一つとして知られる。』

(Wikipedia「硫黄島の戦い」

言うまでもないことかもしれないが、「終戦」の半年ほど前の戦闘である。

「硫黄島の戦い」の後、「沖縄戦」が「同年3月26日-6月22日」、「広島市への原子爆弾投下」が「同年8月6日」、「長崎市への原子爆弾投下」が「同年8月9日」。そして、日本側の認識における「終戦の日」は「同年8月15日」だから、

上の日付からわかるのは、アメリカ側としては、予想外の甚大な被害を出した「硫黄島と戦い」が終わった日に、それでも「沖縄戦」を始めているということであり、その後の1ヶ月あまりの間に「原爆投下」を決定しているということだ。

本作『父親たちの星条旗』でも描かれているとおり、アメリカ側としても「勝って当然」の日本との戦いにおいて、予定していたよりも戦争が長引き、国民の戦争への関心と熱意が薄れてきていたために、戦争継続のための「戦費」の調達に苦労していた。
そのせいで、本作で描かれるように、「戦場の英雄」たちが、戦債購入キャンペーンに駆り出されることにもなったのである。

(左から、海軍の衛生兵のジョン・“ドク”・ブラッドリー、米海兵隊のアイラ・ヘイズ、伝令であったレイニー・ギャグノン

つまり、アメリカ側としても、日本との戦争に早く決着をつけたいと、かなり焦っていたという内情が窺える。
本当なら、もっと早く降伏して然るべき日本が、異常と言って良い頑張りを見せる。「神風特攻(神風特別攻撃隊)」に代表される、常識では考えられないような「無駄な抵抗」を続けることに、心底、手を焼いていたのだ。

だから、戦争終盤の「硫黄島の戦い」で、甚大な被害を出したことは、予想外かつ大きな痛手ではあったのだが、しかしだからといって、勝っている戦争を止めるわけにはいかない。
だからこそ、遅滞なく「沖縄戦」も実行に移したのだが、そこも地獄の戦場になってしまい、予想外に、多くのアメリカ兵に犠牲を強いることになる。
だから、当初、日本本土への上陸作戦を考えていたはずのアメリカが、その予定を変更して「原爆投下」を決定したというのは、決して故なきことではないのだ。

「原爆投下」についてのアメリカ側の公式見解は、「戦争を一刻も早く終結させ、一人でも多くのアメリカ軍兵士の犠牲を減らすため」といったことだったが、日本側としては、この公式見解を鵜呑みにすることは出来なかった。
いうまでもなく、「原爆」投下が、膨大な数の民間人を巻き込む、明白に戦争犯罪的な「非人道的兵器」使用だったからである。

しかし、アメリカ側の立場に立ってみれば、これはしごく「合理的な判断」であったと言えるだろう。
要は「敵国の民間人より、自国の兵士」という判断だったのだ。言い換えればこれは「敵国の国民よりも、自国の国民」ということになるからである。

無論、「民間人」と「非戦闘員である一般国民」とは区別しなければならないのだけれど、戦争が長引けば、今は「一般国民」であるものが「戦闘員」になって死ななければならないことにもなるのだから、その意味では、国内的に言えば「戦闘員も非戦闘員も、同じ国民」であることに変わりはない
つまり、自国民の生命を優先するのであれば、多少手荒なやり方であろうが、多少ルール違反であろうが「自国民の命を、敵国民の命には換えられない」と考えるのはごく自然なことだし、立場が逆であったなら、当然、日本だって同じことをやっていたであろう。その意味では、決してアメリカを責めることはできないのだ。

ただ、ピンポイント的に「原子爆弾の非人道性」という点をとらえ、それによる「現の被害者」であるという事実に立脚して、「二度とこのような武器が使われないようにするために」という「大義」に基づいて、「原爆投下」を批判することは出来るし、それは、しなければならないこと、でもあった。

つまり、「原爆投下」批判は、必要かつ正しいことではあるけれども、ただし、立場が変わっていれば、当然、日本人だって「原爆投下」をしただろうし、その判断は「正しかった」と主張することにもなるだろう、というくらいのことは理解した上で、「原爆投下」批判をしなければならないということだ。
一一日本は決して「一方的な被害者」などではなく、アメリカと「殺し合い」をやっていた当事者なのだという事実を、決して忘れてはならないのである。

そんなわけで、太平洋戦争戦争末期の状況の中に、この「硫黄島の戦い」を置いてみると、この戦いが単なる「激戦」であったということだけでは済まされない意味を持っていたというのがわかる。

日本としては、物量において圧倒的に勝るアメリカを相手にしたこの「硫黄島の戦い」は、初めから勝ち目のない「玉砕(全滅)」覚悟のそれだった。
そして、そうした「圧倒的な不利な戦い」において日本軍(硫黄島守備隊)は、実によく戦い抜いて、アメリカ側に甚大な痛手を負わせた上で、予定どおりとも言える玉砕を果たしたのである。

(硫黄島への上陸に先立って、壮絶な艦砲射撃が加えられ、これを見た海兵隊員たちが「日本軍は全滅したんじゃないか」というほどであった。だが、この艦砲射撃も、当初予定されていた日数の三分の一にも満たない不十分なものだったために、上陸した海兵隊員は、苛烈な迎撃に遭って甚大な被害を被ることになる)

だが、この「戦果」が、「原爆投下」へとつながっていくことを、彼らは知る由もなかったのだ。

言い換えれば、硫黄島や沖縄で、日本軍があっさりと降伏しておれば、そのおかげでアメリカ側の被害が少なかったなら、アメリカはあっさりと、日本本土への上陸作戦を遂行して、戦争を終わらせており、日本人の戦死者は、もっともっと少なくて済んだだろう、ということなのだ。

こう書くと、本土決戦こそ甚大な被害を出しただろうと考える人も少なくないだろう。
だが、日本本土での戦いは、決して、硫黄島や沖縄のような玉砕戦になることはない。なぜならば、本土には「天皇」がいるからであり、天皇だけは、死なせるわけにはいかなかったからである

日本が「敗戦」を受け入れたのは、国民の犠牲を増やさないためではなく、「天皇」を生き延びさせるためだったのだ。つまり「国体の護持」である

要は、「天皇」さえ生き延びさせれば、戦争に負けたとしても、日本はやがて、日本として復活させられると、国家の指導者層は、そう考えたのだ。だから、その意味では、国民の犠牲は、重要な問題ではなかった
そもそも国民は「天皇」のために戦ったのであり、天皇を守るために死んでいったのである。

だから、本土に「天皇」がいなければ、本土決戦も、硫黄島や沖縄と同様の悲惨な玉砕戦になったのかもしれない。
だが、本土には皇居があり「天皇」がいた

だから、抵抗しすぎて、アメリカ側に「ヒトラーと同様、ヒロヒト(昭和天皇・裕仁)には死んでもらうか、戦争裁判で死刑になってもらうしかない」と考えされてはまずいので、本土決戦では、徹底的に戦ってアメリカ側に甚大な被害を与える、というわけにはいかなかったのである。

つまり理の当然として本土決戦は、事前に喧伝されたほどの悲惨な戦いになる公算は低かったのだ。
そもそも、本土決戦になった段階で、もう完全に負け戦だったからである。

したがって、よく言われることではあるが、肝心だったのは「もっと早い段階で、敗戦を受け入れるべきだった」ということなのだ。

それが出来なかったために、硫黄島をはじめとした各戦場での玉砕が相次ぎ、沖縄戦では一般住民に自決を強いるような事態までが発生した。
そして、広島・長崎への原爆投下を、招きもしたのである

つまり、これらの「勝利の見込みのなき犠牲」、その意味で「犬死」に等しい犠牲を強いたのは、現に手を下したアメリカであると同時に、そうさせてしまった日本の戦争指導部だったのだ。
天皇をトップにした戦争指導部が、多くの日本国民に、不必要な犠牲を強いたのである。

だが、そんな、日本のめちゃくちゃな戦争のお相手をさせられたアメリカ兵たちは、いい迷惑だったとしか言いようがないし、アメリカの戦争指導部としても「明らかに負けているのに負けを認めない、敵の悪あがき」のせいで、自国民に余計な犠牲を強いることになった。

くり返すが、戦況的には日本の敗戦は決定的だったのだ。日本に逆転勝利のチャンスなど、千に一つも残されていなかったのである。

だから、日本の指導者層に、国民のことを気遣う気持ちも勇気があれば、硫黄島であれ沖縄であれ、あのような無駄な犠牲を強いることにはならなかった
また、アメリカ軍としても、日本があっさり、いや潔く果断に降伏してくれていたら、「お互いに」どれだけ良かったことか。どれだけ、無駄な犠牲を出さずに済んだことかと、そう考えたはずだ。

本作『父親たちの星条旗』を見ると、「硫黄島の戦い」が、日本側にとっては、まったく勝ち目のない、絶望的な戦いであったことは明らかだ。
それは、勝つための戦いではなく、「自分たちが全滅することになっても、いかにアメリカ軍に痛手を与えるか」「本土決戦に備えるための時間稼ぎをするか」という、ただそれだけのための戦いだったのである。

ではなぜ、こんな「絶望的な戦い」をしなければならなかったのかと言えば、それは無論、日本の大本営(軍総司令部)が「降伏」を許さず「玉砕」を命じたからである。
だから、硫黄島の守備隊も「降伏」するわけにはいかなかった

クリント・イーストウッド監督による「硫黄島二部作」の姉妹編『硫黄島からの手紙』

当時の日本の軍人は「勝つために戦う」以前に「最後まで戦う」ことこそが「軍人精神」であると教え込まれていた。
「勝ち負け」以前の「敢闘精神」が称揚されていたがために「無駄な戦い」なら「しない方がマシ」という、合理的な発想には立てなかったのである。

だから、硫黄島の守備隊は「自分たちの死が、日本の未来に資するものである」と、無理にでも信じ込み、無理にその自己欺瞞を呑み込むことで、玉砕を受け入れざるを得なかったのだ。一一これを「悲劇」と言わずして、なんと言おう。

だが、こんな非合理的な戦いに巻き込まれたアメリカ兵の方は、よりたまったものではないだろう。
日本兵が死を覚悟して戦うのは、それはそれで、それなりに立派なことだと思わないでもないけれど、しかし、そのお相手として、したくもない戦闘につき合わさせられる方は、たまったものではないからだ。

実際、本作を見ると、アメリカ軍の物量は圧倒的である。日本軍の守備隊は、小さな岩山(摺鉢山)を掘って要塞化しているだけで、他からの援軍は望めない孤立無援。つまり、弾薬を使い果たしてしまえば、それでもう完全にお手上げであり、降伏が許されないかぎりは、自決しか残されていなかったのである。
だからまた、この戦いは、アメリカ軍の勝利が、あらかじめ決まっていたものだったのだ。

だが、アメリカ軍の勝ちが決まっていたとしても、現に戦うのは個々のアメリカ兵であり、その個々が生き残れるか否かは、アメリカ側の勝利という決定事項とは、また別問題である。

つまり、本作でも描かれているとおりで、個々のアメリカ兵の視点に立てば、決死の籠城戦として完全に防備を固めた敵の前に、その生身を晒して突撃しなければならなかったのだから、生きた心地はしなかっただろうし、事実、目の前で、次々と仲間が殺されていったのである。

いずれ勝利の決まっている戦いにおいて、「どうして自分は、今ここで命を危険に晒さなくてはならないのか?」「あと1年もすれば、確実に戦争は終わっているというのに、どうして自分はここで、敵の弾幕の中に飛び込んでいかなければならないのか?」「自分がここで死ぬことは、本当に必要なことなのか?」一一こうした疑問を心のどこかに抱えながら、若いアメリカ兵たちは、目の前で仲間がバタバタの倒れていく場所へと駆け出さなければならなかったのである。

一一これを、我が身におきかえれば、こんなに「嫌なこと」はないだろう。
たとえ命を危険に晒すとしても、あるいは、命を捨てるとしても、それ相応の理由があれば、人はそれなりに、覚悟を持てたり決断をすることもできるだろう。
だが「ここで死ぬことに、意味なんかない」と本音ではそう思いながら、それでも死の待つ場所に赴かなければならないというのは、なんと嫌なことか。なんと残酷な運命なのだろう。

私が本作『父親たちの星条旗』の描いた「硫黄島の戦い」に感じた「嫌さ」、普通の戦争映画などには感じなかった「嫌さ」というのは、こういう「不条理感」にあるのだ。

敵がこっちから攻めてきたからこう戦おうとかいった「そうせざるをせないからそうするだけ」といった「必然性」が感じられないから嫌なのだ。
「こんな島ひとつ、どうでもいいではないか。スルーして先に進んでも、大した問題ではないのではないか?」一一と感じてしまうから、こんなところで、むざむざ命を危険に晒すような戦闘を強いられることに、得心がいかない。だから嫌なのである

(2)の「後方(社会)での兵士たちへの無理解と、露骨な兵士利用が嫌(いやらしすぎる)」ということについて。

若きアメリカ兵たちの視点に立てば、こうなるだろう一一

「自分たちは、ほとんど無意味としか思えない戦闘を強いられ、それで多くの仲間を失った。
生き残った自分が、ことさら勇敢だったわけでもなければ、優れていたから生き残ったわけでもない。
むしろ、人並み以上に優秀であり勇敢だったからこそ、真っ先に死ななければならなかった仲間もいる。
一一なのにどうして、占領した岩山の上に旗を立てる役を、たまたま仰せつかったからという理由で、その写真がたまたまカッコよく撮れていたからというだけのことで、自分が英雄扱いにされなければならないのか?」

「自分が英雄扱いされる以前に、もっともっと顕彰されなければならなかったはずの勇敢な仲間たちが、ただ当たり前の戦闘の中で死んでいったがために、その他大勢のように扱われなければならないのは、おかしな話ではないか」

「私は、自分が英雄扱いされることが心苦しくてならないし、いつそ罪の意識さえ感じている。自分が望んだ英雄扱いでもないのに、どうして私はこんなに苦しまなくてはならないのか?」

「それに、私を英雄扱いにして、それで戦債を売ろうとしている奴らにとっては、私は、英雄などではなく、英雄ということにしてやっている、所詮は、客寄せパンダにすぎない。
こんな、人を馬鹿にした話があるだろうか?」

(3人に、連日のように続く全国行脚のイベント日程を伝えて「しっかり愛嬌を振りまいてくれ」と言う、戦時国債キャンペーンの責任者。そこに3人への敬意は微塵もない)

「真の英雄ではないけれど、それでも英雄扱いするのであれば、せめて本気でそうするというのなら、まだわかる。
だが、そうではないのだ。私は、私たちは、雇われたは三文役者も同然で、私たちを猿回しの猿にしている奴らが、われわれを英雄扱いにするのは、カメラが向いている時だけなのだ。こんな、人を馬鹿にした話があるだろうか?」

「だが、それでも、戦争に金が必要だというのはわかる。今も戦場にいる仲間たちに、十分な物資を送るためであるのなら、自分は客寄せパンダにでも、何にでもなってやる。
一一だが、こんな悪目立ちする道化役というお鉢を回されたのが、どうして私でなければならなかったのか?

「私は、当たり前の復員兵として、当たり前に静かな生活に戻りたかっただけのに…。それが無理だというのなら、仲間と同等な戦場生活に戻されたって我慢しよう。それなのにどうして、私だけが、こんな晒しものにされなければならなかったのか?」

一一本作に感じられる「嫌さ」というのは、こうした「不条理感」であり「無意味さ」なのであろう。

人はどんなにつらく苦しい体験であろうと、そこに何らかの「意味」を見出せれば、その「意味」にしがみつくことで、何とか堪えることができる。
だが、「無意味」に堪えることは困難なのだ。

人は「戦争」の中にさえ、意味を見出せるからこそ戦場へ赴けもするのだが、作りごとの、嘘の「意味」さえ、どこにも見出せないとしたら、こんなに苦しいことはないはずだ。

だが「戦争」の本質とは、こういう「個人における無意味」なのだろう。
つまり「国家」や「社会」レベルにおいては、それなりに意味が見出せたとしても、個々人にとっては、「戦争」はしばしば「無意味な死」を強いるものでしかないのである。

強いられた「無意味な死」ほど、無残なものもないのではないだろうか。


(2025年7月19日)

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