りんたろう 『1秒24コマのぼくの人生』 : 同時代を生きられたことの喜び
書評:りんたろう『1秒24コマのぼくの人生』(河出書房新社)
りんたろうは日本を代表するアニメ演出家(監督)のひとりである。
私は昭和37年(1962年)生まれで、その前年の1961年に、日本初のテレビアニメ『鉄腕アトム』が始まったという、まさにアニメで育ちの第一世代だ。だから、りんたろうのかかわった作品のほとんど全てを、同時代に見てもいる。
りんたろうが生まれたのは昭和16年(1941年)だから、まさに「戦中」で、本書も、そんな幼少期の「疎開体験」の、朧げな記憶から始まっている。

本書は、りんたろうの自伝的な「漫画」だが、本書でも紹介されているとおり、正確に言えば、「漫画」ではなく「バンド・デシネ」である。
つまり、日本の漫画がフランスに伝わる以前から、彼の地に存在していた、フランスで独自に発達した「コマ割り絵物語」であり、その形式で描かれたのが本書なのだ。

では、どうして「漫画」ではなく「バンド・デシネ」で描かれることになったのかと言えば、それはりんたろうが、フランスにおいて「アニメ・アーティスト」として、とても有名だからである。
日本のアニメが世界的に評価され始めた頃の作品として、りんたろうが監督を務めたテレビアニメ『宇宙海賊キャプテンハーロック』があり、フランスでは『アルバトゥ』の名で大ヒットし、多くの人に愛されたのだ。
私も若い頃に「日本のアニメが海外で流行っている」というニュースに接したし、日本のテレビでは、十年ひと昔まえの、ちょっと「懐かしのアニメ」を扱った特番か何かで、『アルバトゥ』の主題歌を聞いたことがある。
だが、それが原曲とはまったく関係ないフランス版オリジナル曲で、しかも原曲のオーケストラバックの壮大な中にも悲壮さを湛えたものとは違い、ずいぶん明るい曲だったので「なんだこれ? だから輸出するとこうなるんだよ」と、いささか反発を覚えた記憶もある。
同じ番組で紹介されていた、アニメ『キャンディ♡キャンディ』の主題歌の方は、歌詞を翻訳しただけの原曲を使用したものだったので、余計に『アルバロトゥ』の主題歌が印象に残ったのだと思う。
ともあれ、フランスにおいて、りんたろうは「アニメの巨匠」だったし、そして何よりも重要なのは、フランス人がアニメを芸術表現の一つだと認める「思想」や「感性」を持っていたという点であろう。芸術表現に「差別」を設けることなく、他の芸術へのそれと同様の「敬意」を持って、日本のアニメを遇したのだ。決して「子供向けの幼稚な娯楽表現」だとはしなかったのである。
そして、このあたりが、さすがは「文化の花咲ける国」の伝統だということにもなるのだろう。
日本のように「金儲け」になりそうだからと、「文化立国」だ「クールジャパン」だと、にわか仕込みのレッテルを貼って、取ってつけたようにアニメを持て囃したのとは、訳が違うのである。
ともあれ、そんなお国柄だからこそ、フランスにおいては、りんたろうの「自伝的アニメ」なんてものも、現に企画されたのである。りんたろうは、それくらい彼の地で尊敬されたアーティストだったのだ。
だが、いかなフランスだとはいえ、アニメ映画となると莫大な費用がかかることに違いはなく、この「自伝アニメ」の企画は頓挫した。そこで、同作の企画者が、絵の描けるりんたろうに「バンド・デシネにしてはどうか」と提案した結果、6年の歳月を経て完成したのが、本書(の原書)なのである。
だから本書は、「漫画」と呼ぶのではなく、やはり、りんたろうに敬意を表し続けたフランスにという国に敬意を表して、「バンド・デシネ」と呼ぶべきなのだ。
なお、本書は、彼の地での刊行後、高い評価をうけて、さらに「バンド・デシネ」作家としても、りんたろうの名を高めたが、それに数年遅れて、今回「日本語翻訳版」が刊行されたと、そんな運びなのである。
もちろん、本書が日本でも刊行されたこと自体は、日本のアニメファンとして喜ばしいかぎりなのだが、しかし、あえて苦言を呈しておけば、本書が「日本語オリジナル」ではなかった点を、日本のアニメファンは恥じるべきであろう。
なにも「芸術が偉い」というわけではないけれども、自分が愛した文化に関しては、単にそれを「消費」するだけではなく、それに対する「敬意」とともに、それに伴う「感謝」の念をも、当然持つべきなのだと、私は考える。
フランスの日本アニメのファンだって、なにも日本人とは違った作品を見て日本のアニメを愛したわけではなかろう。
その多くは、幼い頃に日本のアニメに接し、その時の興奮や感動を大人になっても持ち続け、大人になってからも、日本のアニメへの敬意を忘れなかったからこそ、りんたろうに対するこのような処遇も可能だったのではないか。
いたずらに「新作」を消費するだけではなく、その礎を築いた作品への敬意も忘れなかった、ということなのではないだろうか。つまり、「忘恩の恥」を知っていた、ということなのではなかったろうか。
私個人にとっては、りんたろうは、特に「好きなアニメ演出家」というわけではなかった。
もちろん、本作で紹介される初期のテレビアニメも、その名を斯界に轟かせることになった劇場版『銀河鉄道999』も、『幻魔大戦』も『メトロポリス』も、すべて劇場公開時に見ているけれど、では、その当時、それらの作品に「100パーセント満足したか」と言えば、そうではなかった。

この3作の中でなら、私は『999』を最も高く評価するものだが、それは「なかなか良かった」というものであって、その後の「私のオールタイムベストアニメ」に加えるほどの評価ではなかった。
ましてや『幻魔大戦』や『メトロポリス』については「頑張っているのは認めるが、今一歩、何かが足りない。この人(りんたろう)は、いつでもそうだ」という印象だったのだ。
(※ 上の「note」記事のトップ画像に使用したのが『メトロポリス』の、悲劇のヒロイン・ティマである。同作については、当時、上の記事とほぼ同趣旨の評論文を書いているが、それも今では失われている。ともあれ『メトロポリス』の出来には必ずしも満足はしなかったものの、物語としては強く訴えるものがあった)
その他の劇場用作品では、角川で作った『カムイの剣』なども、作品評価としては「いつもどおり」でしかなく、ただ村野守美が原画を担当した「池田屋事件」のシーンの「殺陣が素晴らしかった」という印象だけは当時から残っていて、今でも「あのシーンだけは見てみたい」と思い、中古DVDをネット検索してみたりするのだが、これが高くて買えない、なんてこともやっているくらいなのだ。
一一だが、本作の中で、りんたろうが『佐武と市捕物控』をやった際に、作画監督の村野守美が殺陣に凝って、原画家たちの前で実演までやっていたというエピソードを読んで、なるほどなあと、感動せずにはいられなかった。やはり『カムイの剣』のあのシーンは、村野守美のこだわりが詰まったシーンだったのである。
それにしても、私も還暦を過ぎてしまうと、本書で描かれる多くの部分は、私の人生とも直接的に関わってくるものだから、その感慨もひとしおだ。
無論、戦中戦後の体験は無いけれど、私の生まれる前とは言っても、りんたろうが「東映動画」の入社するあたりからの話は、その頃のアニメ事情に言及した各種書籍で、すでに触れているから、自分がテレビで見た作品の背景として、いや、もはや私自身の人生の延長として感じられるようになっている。
戦後の高度経済成長期に生まれた私は、日本のいちばん豊かな時代を若い頃に経験し、今の晩年になって日本の落ち目を見ることになってはいるが、しかし、そんな今の日本しか知らない人たちに比べたら、どんなにか恵まれていただろうと、一抹の申し訳なさとともに、しかし、そう思わずにはいられない。
もちろんこれは、「経済」のことばかりではなく、近年ではすべての面において、そう感じられるようになった。
たしかに、パソコンやインターネットは便利だし、食べ物も美味しくなった。今や娯楽があり余りすぎていて、むしろそれを消費する時間の方が足りなくなっている。私の子供の頃のように「暇を持て余す」なんてこともない時代なのだ。
一一けれども、そんな「物」や「娯楽」に恵まれた今の方が「幸福」なのかと言えば、今では「そうでもない」と考えるようになっている。
こんなに便利な、今となっては、無くてはならない必需品であるパソコンやインターネット、スマホだって、無かった時代には無かった時代なりの楽しみがあって、事実に私は、当時から「時間が足りない。時間が欲しい」と言い続けてきたのだ。たとえば「読書」がそうで、読みたい本をすべて読むだけの時間が無くて、積読の山々を次々と築いていったのである。まただからこそ、テレビドラマを見ないだけではなく、好きなアニメまで制限するようにもなったのだ。
だから、かつてのような「不便」な時代になっても、私ならば基本的には困らないだろうと思う。
もちろん、いったん経験した快楽は忘れられず「あれがあったら便利なのに」とは思うだろうが、それが無い人生が考えられない、というわけではない。私ならばきっと、また昔のように本を読むだろうからである。今以上に読書量が増えるだけなのだ。
ともあれ、本書に描かれている多くの部分は、私の人生と重なっている。
特に、本書に登場するアニメ関係者の多くは、私が現役のアニメファンであり、毎月『アニメージュ』誌を購読していた頃のクリエーターたちだから、そのほとんどの名前を知っている。
もちろんすでに鬼籍に入っている人も少なくない。りんたろうも当年84歳だというのだから、お元気だとはいえ、感慨深いものがある。私の記憶にある「おじさん」としての、りんたろうの肖像写真は、たぶん、まだ三十代だった頃のものなのであろう。

歌人の中城ふみ子は、担当編集者であった中井英夫への私信に、自身の癌を踏まえて『何もかも風のやうに過ぎてしまひますわ。もうぢき。』と書いた。
だが、私たちの誰もが、遅かれ早かれこの世を去っていくことになるし、私もそれを、少しは実感を持って考えることのできるような年齢になった。
しかし私は、りんたろうより20年ほど遅れて生まれたおかげで、アニメと共に生きアニメと共に死ぬことのできる時代に生きられたのであり、そのことを、本当に嬉しく思う。
これからも、優れたアニメ作品や、優れたアニメ作家は出てくるだろうし、それは私の死後のことで、鑑賞することは叶わないのかもしれない。
けれども、りんたろうと同様、手塚治虫の生前を知り、りんと同時代のアニメ作家たちの作品に接することができた人生というのは、やはり僥倖だったのだと、そう心から感じているのである。

最後に「Wikipedia」から、りんたろうの現時点までの業績を、紹介しておこう。
『りん たろう(本名・林 重行、1941年1月22日 - )は、日本のアニメーション監督である。東京都出身。マッドハウス所属。日本映画監督協会会員。京都精華大学マンガ学部客員教授。「りん・たろう」と中点付きでクレジットされることもある。
日本アニメ黎明期から関わる。代表作は『銀河鉄道999』『メトロポリス』など。長弟はアニメーター、アニメーション演出家の林政行(はやし まさゆき)。次弟はヴィレッジ・シンガーズのドラマー、元俳優の林ゆたか。
概要
東京生まれだが、戦争中は一家で長野県に疎開して、現地の小学校で5年生まで育つ。戦後、東京にもどるが、床屋をしていた父親は、床屋の仕事より映画や演劇に熱中している人だった。
もともと映画少年であり、中学卒業後に一度は毛織会社に就職するもすぐに退職。映像の仕事に関わりたくなり、コマーシャルアニメの制作会社(服部映画社)へ転職し、セル画の彩色の仕事をするようになる。その会社が倒産したため、CMアニメ大手のTCJ(現・エイケン)を経て、1958年に東映動画に入社。同年の第1回長編作品『白蛇伝』では仕上げ、1960年の『西遊記』からはアニメーターに転向して動画を務める。演出志望であったが、東映動画では年に1~2作の長編を制作するだけだった。さらに、当時の東映動画では大学卒の東映本社採用でなければ演出部に入れないと言われて、演出をあきらめる。このことに加え、東映動画が組合に対して「ブラックリスト」の社員への懐柔を団体交渉の条件としたため、「いても首を切られるだけ」と判断し、手塚治虫が創立した虫プロダクションへ移籍する。テレビアニメ『鉄腕アトム』の作画をしながら、手塚に演出をやりたいと持ちかけ、1963年に念願の演出家デビュー。『鉄腕アトム』では演出の中心となり、1965年の『ジャングル大帝』でチーフディレクターに昇格した。以後、虫プロダクションでは、『佐武と市捕物控』『わんぱく探偵団』『ムーミン』などのチーフディレクターを務めた。
1972年、虫プロダクションを退社して、フリーの演出家としてテレビアニメ『星の子チョビン』『わんぱく大昔クムクム』などを監督。1年ほどアニメの世界から離れ、1977年、『鉄腕アトム』のリメイク企画から発展した『ジェッターマルス』から古巣の東映動画で監督を任せられるようになる。続けて、『アローエンブレム グランプリの鷹』『宇宙海賊キャプテンハーロック』の監督を歴任し、特にハーロックの第1話の試写では、今田智憲東映動画社長が感動し、『銀河鉄道999』を映画化する際、りんを監督に指名した。東映動画の長編作品で社外から監督を起用するのは異例とされる。東映動画の仕事を通じて、美術監督の椋尾篁、アニメーターの小松原一男というパートナーを得る。
1979年に初の劇場長編の監督作『銀河鉄道999』が公開され、折からのアニメブーム、松本零士ブームも手伝い、映画はヒット。未だにりんたろうの代表作として挙げられている。1980年の劇場長編作品『サイボーグ009 超銀河伝説』を担当する予定だったが途中で降りた。1981年に続編『さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅』を公開。
『銀河鉄道999』のヒットに目をつけたのが、角川映画でブームを巻き起こしていた角川書店社長角川春樹だった。角川映画のアニメ第1弾の『幻魔大戦』(1983年公開)の監督に起用される。1982年には椋尾篁、マッドハウスの丸山正雄らとプロジェクトチーム・アルゴスを結成する。オムニバスアニメーション作品「迷宮物語」を制作。以降、角川書店関係の仕事を多くこなし、制作の拠点を東映動画からマッドハウスとした。2001年には大作映画『メトロポリス』を発表。
監督として『メトリポリス』を製作したときに、虫プロ時代には元々プロのベーシストだった音響監督の田代敦巳らとモダンジャズのバンドを作っていたという話を音楽担当の本多俊之にしたところ、「じゃ、監督やりましょう」 と言われて、メトロポリスのBGMでバスクラリネットを演奏した。
東映動画からマッドハウスへの移行期である1982年頃には東京ムービー新社でフランスとの合作作品『ルパン8世』の監督も務めていたが、数本を製作したところで中断した。
2009年12月に公開された総製作費14億円を超える日仏合作の3Dアニメーション大作『よなよなペンギン』の監督を務めた。』
(2025年3月18日)
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