四度目の正直①

激闘の末、パ・リーグの日本シリーズ進出チームは福岡ソフトバンクホークスとなった。
日本シリーズで阪神タイガースがホークスと相まみえるのは4度目となる。
過去、3度は
1964年(3勝4敗) ※南海ホークス
2003年(3勝4敗) ※福岡ダイエーホークス
2014年(1勝4敗) ※福岡ソフトバンクホークス
いずれも敗れ、「日本一」の称号を獲り逃している。
なぜホークス相手に勝てないのか。過去を検証し、念願の「ホークスを倒しての日本一」を実現させるための必勝材料としたい。

◆1964年(昭和39年)の場合

この年は東京オリンピックが開催された年である。10月10日に開会式が行われるため、それと重なってはいけないと日本シリーズの第1戦は9月29日に設定された。例年よりも開幕は3週間ほど早められ、セ・リーグは3月21日、パ・リーグは3月20日にシーズンは始まっている。
この年のセは140試合、パは150試合。これを予備日も含めて日本シリーズ前までに消化させなきゃいけないのだから、連盟のスケジュール編成係はけっこう大変だったのではないかと想像する。

セは大洋ホエールズが強かった。6月以降はホエールズとタイガースの首位争いであったが、首位にいた日数はタイガースよりもホエールズの方が断然多かった。が、最後の最後、タイガースが怒涛の9連勝(そのうちホエールズとの直接対決は4つ)。8連勝目ですでに全日程を終了していたホエールズを追い越し2年ぶりのリーグ優勝を果たす。が、この優勝決定日はなんと9月30日。本来の日本シリーズ開始日を過ぎている。
セ・リーグの優勝チームが決まらないのだから、日本シリーズの予定は後ろ倒しにせざるを得ない。
シリーズ初戦は10月1日となった。東京五輪に重ならないためのギリギリの日取りであった。
ちなみに、タイガースの優勝決定試合はダブルヘッダーの1戦目だったので、優勝決定後に2戦目が行われている。ここも勝って9連勝でシーズンを終えたが、翌日に日本シリーズ第1戦が始まるのである。
当時の指揮官・藤本定義はその著書『藤本定義の実録プロ野球四十年史』で「実際のところ、我々の目標は巨人を倒して、セ・リーグで優勝するということにある。それが最大の目標だ。だからセ・リーグの覇権を握った、ということで日本シリーズまで神経が行き渡らない。勝った方が良いに決まっているが、どうしても、それほどウエイトを重くみられない。セ・リーグの優勝に精魂を傾けて、矢折れ刀尽きている。そこで、さあ、日本シリーズといっても、精神的にも、力の上でも結集できない」と綴っている(巨人は首位と11ゲーム差の3位だった)。
負け惜しみととれなくもないが、日程的な厳しさもあったであろうし、8割がた本音のように思える。

その日本シリーズで戦う南海ホークスは、8月頭まで阪急と首位争いをしたが、それ以降は首位を譲ることなく、試合の無かった9月19日に優勝が決まり、前の試合(9/17)から中7日を空けた9月25日に阪急ブレーブスとのシーズン最終戦を行った。つまり、日程的に日本シリーズまで、めちゃくちゃ余裕があった。タイガースとは対照的である。


さて、日本シリーズ。
下記がその結果である。

10/1(木) ●0-2 甲子園
10/2(金) 〇5-2 甲子園
10/4(日) 〇5-4 大阪
10/5(月) ●3-4x 大阪
10/6(火) 〇6-3 大阪
10/9(金) ●0-4 甲子園
10/10(土) ●0-3 甲子園 (東京五輪開会式)

東京五輪前までに終わらせたかったのに、10/8は雨で試合が出来ず、しかも7戦目までもつれたので、結局、開会式までにシリーズは終わらなかった。球界関係者の心中たるや。
このシリーズは史上初のナイター開催でもあった。
10月10日。甲子園から約410キロ離れた国立競技場で世界中の青空を全部集めていた頃、両軍のナインはウォーミングアップし、試合に備えていたのだろうか。それともテレビで真紅のブレザーに身を包む日本選手団の行進を眺めていたのだろうか。
7戦目は18時59分に始まった。
観衆は15,172人。3勝3敗で迎えた大一番なのに。前日は25,471人だったから、やはり東京五輪の影響があったのだろうか。ガラガラのスタンドを見て両軍ナインは何を思ったであろう。
1番遊撃手でレギュラーだった吉田義男は後年「(東京五輪に)すっかり熱気を吸い取られた。秋風が身に沁みた」と語っている。
とはいえ、優勝決定試合の中日ドラゴンズ戦でも33,000人で満員になっていない。8月1~2日の巨人戦では55,000人を動員しているから、当時のタイガースファンというのは、リーグ優勝よりも、日本一よりも「巨人にさえ勝てれば良い」と思っていたのではないか(今もそう公言するファンは一定数いるが)。それに、同じ関西を本拠とするホークスファンももっと観に来ても良さそうなものである。東京五輪云々でもなくただ単に日本シリーズ自体に人気がなかったのか。

日程的な不利をはねのけて5戦目で日本一に王手をかけたタイガースであったが、6、7戦目で甲子園に戻ってきたのに連続完封負けを喫し、球団初の日本一を逃した。まさか、その栄光にこれから21年も遠のくとは選手もファンも思ってもいなかったであろう。
この完封劇を成し遂げ、タイガースの大いなる壁として立ちはだかったのがジョー・スタンカ。7年間(1960~66)のNPB選手生活で通算100勝。この年は26勝をあげたスーパーエースである。
第6戦で先発し、2安打完封。逆王手。
第7戦で再び先発し、5安打完封。日本一達成。
ちょっと凄すぎる。稲尾とか杉浦とか、パ・リーグのここ一番で投げてくるエースはバケモノばかりである。
ちなみにスタンカは第1戦でも3安打完封勝利しており、文句無しでシリーズMVPを獲得した。

ホークスの将・鶴岡一人は著書『鶴岡一人の栄光と血涙のプロ野球史』で「スタンカは前日に続き、連続完封して阪神を抑え込む素晴らしいピッチングで優勝を決定した。日本シリーズ優勝の感激をしばらくぶりで味わった。しかし、実際のところ感激は薄かった。マスコミは南海と阪神の対戦を"浪花シリーズ”などと書き立てたが、大阪同志でもあり、オープン戦などをやっているせいもあって、親類と試合をしているようで、何が何でも打倒タイガースだというファイトは湧き立たなかった」と振り返っている。
両軍の監督のこの日本シリーズに対する思いが薄すぎる。

●教訓

《1試合はモイネロを倒そう》

歴史を大層に振り返ったわりに、誰でもたどり着きそうな答えである。でも仕方がない。これが最適解なのだ。
61年前はスタンカにやられた。
6戦目に完封され、その試合後にシャワー室でスタンカと鉢合わせた藤本定義は「明日も投げるのか?」と訊いたところ、スタンカは「明日は投げない」と答えたそうである。
なのに、スタンカは翌日に投げて再びの完封勝利を果たす。
藤本は「外人だから、率直に本当のことを言うだろうと信用していたら、次の日、オーダーが発表されてみると、スタンカが先発している。すっかり一杯くわされた」(表記ママ)と先の著書に綴っている。素直に信じる藤本監督に可愛げすら感じるが、「伊予の古狸」と謳われた敵方の策略家をも謀略にかける助っ人エース恐るべしである。

さて、ホークスのエースはモイネロである。
CSファイナルステージ第1戦でのピンチを招いてもしのげる精神力、絶対に負けられない第6戦でのチャンスすらまともに作らせないここ一番の強さは素晴らしかった。150キロ超のストレートとドロンと落ちるカーブのコンビネーションはなかなか打ち崩せそうにないし、他の変化球も精度が高く、現時点でNPB最高の投手だろう。
さすがに中4日で25日の初戦に投げてくるとは思えないが、翌26日にはぶつけてきそうである。そうすれば、第7戦目にもつれても中6日で先発させられる。シーズンも最後なので、無理をさせても全く問題ない。
ということで、モイネロとは2度の対戦機会が考えられる。
このうち、1回は打ち崩したい。そうでなければ、61年前のスタンカにやられたことの繰り返しになってしまう。スタンカの二の舞は避けるべし。これが日本一へのカギである。万が一、モイネロとシャワー室で出くわして登板日をかく乱しようとしてきても、今シリーズは予告先発制が採用されているので、見破れるから心配ない。

今季は1964年とは逆で、10月17日にファイナルステージを終えたタイガースの方が日程的に有利である。タイガースの首脳陣、選手、スコアラーは激戦のファイナルステージをつぶさに観察し、戦いに備えたことだろう。
きっと、誰かが今まで知られることのなかったモイネロの弱点を見つけているはずである。

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