㊗️初 ! 研究日誌っぽい (乖離とか)
今日は書くのももしかしたらしんどいかもしれないけど、てかもう眠いんだけど、なんかもやもやしてもどかしくて言語化したい!って気持ちだから少しだけ書いてみる。これ書いたら寝よう。
本日の精神科の診察室での会話テーマ
自分を自分として大切に扱えない。どこかずっと他人事。自分にとって大切なはずのことも大切に思えない。
生きてるっていうのがどういうことかよく分からない。今も、ふと我に返ってこれ今自分が生きてるんだ…って思うとなんかすごく変な感じがする。
でも漠然とした不安はずっと感じている。学校に行きたい行きたいなんて思っていないが、行けない日が続くと、人と連絡がとれなくなってくると、もうみんなから白い目で見られて、いつの間にか手遅れになってて、放校になるんじゃないか。そうしたら私はどうなるんだろうって、それが、本当に怖い。
勉強は好きだ。楽しい。実習もすき。
私は医者になりたい。
でも、すぐ乖離が起こってしまう。
私の「学校に行けない日」を分析してみる
そもそも、そういう日は「ぜったい学校に行きたい」という強い気持ちがない。なぜか。それは、おそろしいが、他人事だから、なのではないかと。
自分でも本当によく分かってないから、順に追っていく。
朝目が覚めると、まず最初に不安を感じる。心の所在がない感覚。「私はこのままでいいのか」という不安で心がざわつき、土台がグラつくような。この土台がいつバランスを崩すか常に怯えながら生きる。恐れの対象である不安を努めて見ないようにし、空元気を出したり勢いで動いたりを絶え間なく繰り返す。これが、ここ数年の私の「比較的元気な時」「わりと頑張れる時」のスタンダードである。
この、不安に蓋をし見て見ぬふりをしている状況下では、ある種の「負債」が増え続ける。
日に日にお腹がすかなくなり、何を食べても美味しく感じられなくなり、何が食べたいのか、何がしたいのか分からなくなり、何をしても楽しいと思えなくなる。
(自分的)次の段階にいくと、頭がぼーっとして1分先の未来さえも霧(フォグ)がかかって見えなくなる。現実感がない。
体が鉛のように重いこともある。これは脳の病気である鬱病の症状として仕方の無いものである。ただ、これに関しても気の持ちようとか甘えとか、そういう言葉がちらついて自分をキリキリと苦しめる。
さらに、こういう言語化したり自分に向き合う作業をやりたい!とワクワク(少しでもこの辛い状況の突破口を見つけられるかもしれないから)したのもつかの間、なにもしたくない、何も感じないに振れることがある。これは予測不能に振れる。このフェーズで私が常に最も恐れているのは、この針が鬱に振れることである。原理は脳の神経伝達物質が上手く放出されるかされないか、上手く取り込まれるか取り込まれないかという、シンプルなものだと思う。これをコントロールするのはかなり難しい。
最終的に頭がぼーっとした状態で、かつどんどん視野が狭まり考え方が極端(斜め上?)になってくると、死にたいという言葉がとてもしっくりくる、苦しい時間がある。
分析たいむ
●愛着形成の問題:常に抱えている漠然とした不安の根源。安心の土台(心の拠り所)が自身の中に未だ上手く作られていない。これを自力で作っていくというのは、とても複雑で時間がかかるものだ。
●具体的にやってみよう:(常に不安だと紛らわせるために必死でドパガキになってしまいがちだが)スマホのスクリーンタイムを見て自分を責めるのをやめる。許す。安心できる代替行動をゆっくり試しながら探していくことにするか(絵描くとか好きだけどしんどい時できないから塗り絵とかちょっと気になってる)。
ほかにも、鬱改善のために「やらなきゃ」って思ってることは一旦全て許してみる(運動、ストレッチ、食事、睡眠など。特に睡眠はまじで気負わずでいて欲しい)。
➡️その他諸々具体的なこと(割愛)も合わせて帰納的に考えると、私は自分を「思い切り許す≒甘やかす」ことではじめて、自分自身に"本来の"心拍や血流、思考回路、エネルギーを取り戻すことができる。大切!!
●マインド(彼氏の今日の名言):
カエルは周りからどう思われるかを気にしすぎている。
カエルのことがどうでもいい人たちは、そもそも気にしなくていい。
逆にカエルのことが「どうでもよくない」人たち、さらには好きな人たちにとっては、カエルがどうであろうと大丈夫、受け入れてくれる。
だから、そのままで大丈夫。
あとはそもそも死にたいレベルまで行くのは、頑張りすぎだから。その前に休んでって今の私は過去の私にめっちゃ言いたい。それについての記事をまた書こうと思います。
なぜ乖離が起こるのか。"私の人生"はいつ他人事になったのか
わりとこれには私の心が納得する答えが浮かんでくる。自己防衛。それしか今のところ考えられない。
これ以上傷つきたくないと泣いている小さい私、でも私の中でずっと私を守るために戦ってくれている健気な私を、ゆっくり時間をかけて癒していくのは大事かなと思う。私自身による愛着形成においても。
余談…鬱の人が何万回と言われた言葉
「甘え」という言葉は半分受け入れ半分突き放したい。ただ私の場合はっきりと言えるのは、「甘え」とか「気の持ちよう」という言葉は自分のエネルギーを高めるために使うものであり、自分を否定する言葉にしてはいけないということ。
だから、少なくとも苦しんでいる人に向けて言うのは慎重になった方がいいと思う。「甘えだ」「気の持ちようだよ」 これらの言葉は半分以上の確率、いやきっともっと高い確率で、その人を傷つける刃物に化けるだろうから。
みなさん今日も本当におつかれさまでした。
今日も今日とて全然まとまってない文章だったけど、読んでくれてありがとう。
また似たような記事でお会いしましょう。
おやすみなさい!( *˙꒳˙*)ノシ
