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米津玄師と働きたくて、ソニーミュージックの選考を2回受けた話

高校2年生の終わりの頃、幕張メッセで行われたスタンディングライブに参加した。それは米津玄師が初めて全国のアリーナを巡ったツアーだった。

当時の僕はなんでだか、音楽に抵抗があって。
友達とカラオケに行っても積極的に歌うことはなかった。単純に人前で歌うのが恥ずかしかったからだと思う。家族と一度だけカラオケに行った時も、恥ずかしくて一回もマイクを握れなかった。

外しまくりやないかい。

そもそも僕の家系に、音楽をしている人は、ほぼいない。それまでは音楽は、まぁ聞くかな?くらいだった。それに、放課後は川で釣りをしたり、湖まで自転車をこいだり、写真を撮ったりと、まぁ田舎くさい生活を大!大!!大!!!満喫していた。

そんな僕に音楽の光を灯したのが米津玄師だった。
僕が音楽を始めたきっかけは、米津玄師のライブだった。

「クランベリーとパンケーキ」という曲がある。これは、そのライブで最後から2番目に歌われた曲だ。僕はその曲を、この会場で初めて聞いた。

というか、この曲を通して、人生で初めて音楽というものをしっかりと【聴く】ということをしたんだと思う。

それまでも嵐の曲はたくさん聞いた。
ボカロの曲も聞いていた。
が、この時初めてしっかり全身で、聴いた。

聴いた時、あまりにも感動して言葉が出なかった。
何なら、あまりにもその場が美しくて涙が溢れた。
あれから7年3ヶ月経った今でも明確に、あの瞬間の感動を、温度感と映像と音を覚えている。簡単に言えば、あの瞬間に音楽によって作り出された雰囲気と世界観に感銘を受けたのだ。

音楽ってすごいんだなって
この時、知った。

当時のストーリー

そして僕は確実に
あのとき、頭上から雷が落ちてきて
まるで巨人化するかのように、

音楽に目覚めた。


それからは早かった。
速攻で音楽を作るソフトを買った。
ギターも買った。
どうにかこうにかして曲を作ろうと思った。

でも挫折するのも早かった。
米津玄師のようにDAWソフトというソフトを使って曲を作るのは、簡単ではなかった。それまで音楽に触れてこなかった人間が、簡単に音楽理論を理解できるはずもなかった。

それに高校生が、1人でDAWを攻略するのはやっぱり難しかった。

1年はかかったと思う。夜には出していないが、親友に向けて一曲完成させた。作曲の仕方という本を2周も3周もして、なんとか創りあげた。

それから大学生になって、僕はまた曲を創った。
今年からSpotifyやApple musicで配信も始めた。
今日からは編曲した曲がカラオケでも歌えるようになる。今もこれを書きながら、新曲の歌詞も考えている。

僕は米津玄師がきっかけで、音楽に溺れている。


そんな米津玄師と、一緒に働いてみたいと思った。
理由はここまで書いたことを見れば、何となく分かると思うが、僕の憧れの人だから。人は憧れた人のようになりたいと思ったり、一緒に働きたいと思う生き物なのだ。

大学3年生の頃、就活が始まった。
そこで、SONY MUSICを受けようと思った。
SONY MUSICは、米津玄師が所属しているレーベルだから。そして本当に受けた。

(僕は、米津玄師に憧れてSONY MUSICにエントリーした。エンターテイメントは、幅が広い。アーティストは米津玄師以外にも所属していて、同じような境遇の人が居ると思った。だからこそ、体験談としてここに残しておこうと思う。ちなみに、2回とも落ちた。だから、これが書けるのである。笑え)


さて、僕は大学3年生の3月8日にエントリーした。
が。この時、僕は沖縄へ向かっていた。

船の上でハイチーズ✌️


旅行だ。
普通、就活が解禁された3月に旅行に行く人はいないだろうが、僕は普通が嫌いなので旅行に行った。そして、旅行先でエントリーシートを書きまくっていた。(ノートパソコンを持っていった)

旅程は、

3月6日〜7日 
横須賀から新門司へ船で移動

7日〜10日
新門司から熊本へ(熊本の親友の家に泊まる)

10日〜11日
鹿児島から沖縄へ船で移動

12日〜
沖縄散策

という、まさに就活情報解禁の3月とは思えないアホな旅程の最中であった。

そしてSONY MUSICのエントリーの締め切りは、10日だった。僕は締め切り間近に本気を出すタイプなので、8日にエントリーをしたのだ。

この時の設問は、そんなに難しいものではなかった。ちなみに、ポニーキャニオンに浮気しようと、チラッと見たが、確か3年後の自分に手紙を書いてくださいという設問があって驚いた覚えがある。

設問は、
・ガクチカ
・一目惚れしたエンターテイメント
・仕事で一番大切にしたいこと

それぞれ400字以内で答えるような内容だ。
そして、こっちの方が難しかった。

確か、「自分のアピールポイントを動画で送ってください」という課題だった。

僕は、熊本に住んでいる親友にエレキギターを借りた。朝早く、その友人宅前の公園で、

「僕の強み!一つ目!ジャーン〇〇」
「二つ目!ジャーン〇〇」

的な感じで、動画を撮った。そして、それを携帯で編集して提出したら通った。うん、あれ通るんだ。ラッキーという感じだった。

エントリーシートが通ると次は適正試験だった。
僕は、誰が見ても頭が悪いのでここで落ちた訳だが、確か会場は半蔵門だった。就活フェスなのか?と思うくらいの広い会場だったし、それぐらい人がいた。それを、何日もやる訳だから、とんでもない人数が受けているんだというのは、頭が悪くても分かった。

SONY MUSICの試験は、私服OKなので私服で行った。行く前は、みんなどんな服で行くのかな?と、気になった。でも会場に着けばその時間は無駄だったと悟った。とにかく人が多い。この中から数人が選ばれると思うと、いや!無理やんけ!!!と。

スーツで来る人もいたし、ヘッドフォンを付けてる人もいた。さすが、"音楽好き"の集まりだなと思った。結構奇抜な服の人も普通にいた。この人絶対ロックが好きじゃん…。と、外見で分かるような服を着ている人も普通にいた。だから、服なんかそんな気にする必要は無かった。(のかもしれない)

試験の前に、アーティストからの応援動画が流れた。これはファンにとっては嬉しい演出だと思うし、さすがだなー、と感心した。

試験内容については詳細に書くと怒られそうなので曖昧に説明するが、SPIのような「うーん?」と考えるような暇がある試験ではない。

「はいつぎ」「はいつぎ」「はい」「はい」と、いう感じ。僕は隣に座っていた人たちがあまりにも解くスピードが早くて試験中に挫折した。当たり前だが、頭の回転が速い人は、ページをめくるのも早い。左右でページがめくられるたびに、頭の中で「わぁ、わぁ、、、泣」と、小さくてなんか可愛い奴のように泣いていた。

学歴が高い人には勝てないと悟った。大学の時に、勉強しなさいと言われたのは、この時のための言葉だったんだと、感じた。


これが僕の新卒の時の体験談だ。


そして2回目は先月の話だ。
僕は絶賛、転職活動中だった

現職は全国転勤がある会社で、僕の夢を叶えるためには東京に住むことが、一つの手段として大切になると思った。

だから、次の仕事は東京都内の仕事にしようと思っていた。

そして、音楽にさらに力を入れようと思っているタイミングでもあった。憧れの街東京の、憧れている人が、所属しているレーベル。このタイミングで空気に触れたかった。これからも音楽を続けるという覚悟を決めるためにも。

だから、もう一回受けようと思った。


僕は、2回目のエントリーをした。
もちろん、僕は相変わらずポンコツなので、試験で落ちるのは分かっていた。ただ、それでも行きたかった。

今回は、個人でエントリーしても一度も通らなかったのに、エージェント経由でエントリーしたらなぜか通った。そして、やっぱり適正試験に行くことになった。(ありがとうございますっっ!

新卒の時と違ったのは、会場が市ヶ谷にあるSONY MUSICの建物だったこと。正直、これだけで満足だった。日本のエンターテイメントを作り出している場所の、その空気に触れられるだけで良かった。

僕は田舎出身なので、この時初めて市ヶ谷という駅で降りた。あの、釣り堀があるとこで降りる日が来るなんてなー。なんて思いながら会場に向かった。

市ヶ谷駅

建物には、地下に向かうゲートがあって、ここからアーティストとか出入りするのかなーなんて、ウキウキしていた。

入り口には、いかにも受けに来ましたという感じの人が並んでいた。年齢はやっぱり若いなという印象だ。この時も服装は私服指定だったが、新卒の時みたいに奇抜な服の人は、一人もいなかった。

僕はすぐに調子に乗る悪い癖があるので、家を出る前、米津玄師のライブTシャツを着て行っちゃおうかな??なんて思っていた。

が、
そういえば社会人になったんだよなーと、家を出る直前に思い直して、しっかりとした服で向かった。(危なかった!!

流石にあの時判断した自分を褒めた。
危うく、「お前は判断が間違っている!」と、どこかの天狗に怒られるところだった。

適正試験は、新卒の時と同じ内容だった。
適正試験前に、会場内に所属アーティストの曲が流れていて、その曲にノっている人がいたが、気になったのはそのくらいだった。

SONY MUSICグループ全体の試験なので、各会社合同で受ける試験のようだった。外国人の人もいた。

試験内容は、新卒の時と同じだった。
やっぱり周りのページをめくるスピードが早くて一生勝てないと悟った。試験は、きっちり1時間で終わり、会場を後にした。

もう就活生として受けるつもりはない。
もう、この建物に入ることはないかもしれない。
それでも、

7年前に米津玄師と出会ったこと。音楽と出会ったこと。米津玄師の曲に救われたこと、曲を作れるようになったこと。曲を通して誰かの助けになりたいと自分が思えていること。

この出会いと縁に感謝をした。

そして、これからも音楽を続けること。
音楽を通して誰かのためになることを、誓って建物を後にした。


結果として僕は、違う企業に内定を貰って働くことになった。そして長い時を経て、東京に行くという夢を叶える。きっと僕は東京で、散々もみくちゃにされながらも音楽を続ける。そして、確実にこの2026年が僕の音楽人生の一つの区切りになる。

米津玄師に出会って、音楽と出会って、7年。
人生で初めてSONY MUSICの建物に入れたことが嬉しかった。(ただ、入っただけなんだけどね)
自分にとっては、大きなスイッチを押せたと思う。

米津玄師の曲に沢山救われてきたように、僕も自分の創る曲で、米津玄師のように、誰かの人生を救えるような曲を作り続けたい。

(終

自作曲です↓

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