「しんだこと、ある?」と聞かれた日の、あいまいな話
私には、5歳の友達がいる。
自由で、エネルギーの塊で、世界のさまざまがどんなに素敵なものかを教えてくれる大切な友達。
彼は、もう30年近い付き合いになる親友夫妻の子どもで、生まれた時からずっと一緒に過ごしてきた。彼のマブダチであり続けるためなら、私はたいがいのことをやるつもりでいる。
こないだ遊びに行った帰り道、その小さな友達が突然こんなことを言い出した。
「ねえ、しんだこと、ある?」
── ついにきた。これが噂に聞くこども哲学というやつか、と身構える。
「…死んだことは、ないなあ」
半端なことは言えない。彼の成長の根源的な何かに影響を与えてしまうかもしれない。責任は重大だ。
「どうやって、しぬの?」
「あー、えー、そうだなあ、死んだことないからなあ」
ごにょごにょと言葉につまる私。
「がん、とか?」
「…あ」
愛らしい彼の口から出たその言葉で、ピンときた。
パパだ。彼はパパの話をしてるんだ。
🚃
彼のパパ、つまり私の友人にガンが見つかったのは先月のこと。転移はないそうで、手術をしたらもちろん超回復する予定だ。
幼い息子にも、一通りの説明はしたらしい。ガンのこと、時に死にいたることがありえる病気だということも。
「わかってはないみたい」と、友人夫妻は言っていた。実際、5歳の彼は病や死について具体的な理解はしていないだろう。だけど、何も感じていないのではないと思う。
なんだかわからないけどザワザワして、もしかしたらドキドキして、どうしようもなくぎゅーっとして、いるのかもしれない。
覚えがある。説明のつかないその感覚をもてあましていた頃が、私にも確かにあった。
そしてそれは、たぶん。
まだ名前がつく前の「あい」のせいだ。
「そうだなあ…」
私もガンの経験者だ。怖い病気であることも知ってる。身近に亡くなってしまった人だっている。でも、私が、私自身が今こうして元気にしているのだから。きっと友人だって元気になるのだから。これは嘘にはならないだろう。
「死んだことはないけどさ、ガンのことは知ってるよ。ガンにはなったことあるの。ほら見て、ここ、傷があるでしょ? 治してもらったの。治してもらったから、今、こうして元気にしてるんだよ。だからね、治るんだよ。ちゃーんと元気になれたもん。私、元気でしょ? めっちゃ元気!!」
「ふうん」
「…うん」
彼がどんな風に受け止めたのかはわからない。
その後、何ごともなかったかのようにキャッキャとゲームをしていたから、ただただ私が傷を見せびらかし、鼻息荒く元気アピールしただけのことかもしれない。そうであってほしい。
「ゲーム、楽しい?」
「うん」
「悪者いっぱい倒すの、かっこいいよなあ」
「うん」
でももしも。大切なキミがほんの少しでも不安でいるのなら、私はいつだって味方だ。40年以上のあらゆる経験を引きずり出して、キミのために鼻息荒く言葉を尽くそう。キミのパパがサイヤ人になれるよう、私は叱咤激励を繰り返そう。だって私は、友達だから。
どうやらこれも「あい」かもしれない。
ぐぅっと胸が締めつけられて、
わぁーって駆け出したくなって、
めきめきチカラが込み上げてくる。
キミとマブダチであり続けるためなら
たいがいのことは、できると思えた。
