映画 「ぐるりのこと。」感想
夫と映画を見に行った。少し昔の作品だ。私たちはそれを20年ほど前にいっしょに見たことがある。当時一人暮らしをしていた彼の部屋でDVDをレンタルして見た。見終わったあと、私はしばらく泣いたような記憶がぼんやりとある。その映画のタイトルは「ぐるりのこと。」という。
しかし、内容はほとんど覚えておらず、何に感動したのかも忘れてしまった。夫も覚えていなかった。たまたま近くの映画館でその映画がリバイバル上映されると知って見に行くことにした。
その日は日曜の夜で、小さな劇場の座席は2割ほど埋まっていた。映画はとてもおもしろかった。主役は木村多江とリリー・フランキー。登場人物が多いのだが、脇役に今では有名な俳優がこれでもかと出ていた。当たり前だがみんな今よりずっと若かった。まだそれほど有名ではなく、でも美しかった。
主人公である夫婦の妻がたびたび口にする「ちゃんとしなきゃ」「ちゃんとしないからでしょう」「ちゃんとしたいのに」といったセリフが懐かしかった。馴染みのある言葉だった。口には出さないけれど、たぶんその後には「ちゃんとしなかったらおしまいだよ」と続く。妻は、ちゃんとしたいのにちゃんとできない自分を許せずに追い詰められていく。夫はそんな妻を否定せず、逃げず、見守り続ける。
もし、宇宙人から人間について説明を求められる機会があったらこの映画を見せるといいと思う。1人の人間の振り幅の広さと、いろんな種類の人間のどちらも見られるから。それらは混ざり合って、どんどん変わっていく。無限に中身が入れ替わる万華鏡みたいに、次にどんな模様になるのか予想できない。見終わった宇宙人に私は言う。どうでした?分かりました?え、変?ですよね。でもなんかおもしろくてかわいいでしょ?
20年前の私が泣いた理由もなんとなく分かった。人がこんなにも自由で許されていることを若い私は知らなかった。そのことを知って安心したんだと思う。もしかして、ちゃんとしなくても、おしまいじゃないの?生きていてもいいの?と。
見終わって歩きながらポツポツと感想を話した。「最後に希望があってよかった」と夫は言った。たしかに、この映画には希望もあったし絶望もあった。善悪も生死も欲も愛も憎しみも祝福も全部あった。つまり人間があった。どの要素が欠けても私が私じゃなくなってしまう気がする。だから全部あってよかった。存在するということはそれだけで肯定されている。
20年後、私も夫もきっとまた忘れているだろう。揃って忘れっぽいのだ。そして見返して、あぁそうだったと安心して、また忘れるだろう。それすらも愛しいと思う。愛しい映画だった。
