コスパ・タイパにとらわれない生き方 古舘伊知郎「伝えるための準備学」を読んで
わたしは古舘伊知郎と違法に出会った。
失敬、言葉がめちゃくちゃ足らなかった。わたしが古舘伊知郎氏を初めて知ったのは、20年ほど前、YouTubeに違法アップロードされた「夜のヒットスタジオ」を観たときだ。古館氏が司会をしていた。中学時代のあのころ、尾崎豊にハマってひたすら動画を観ていたのだった。
わたしが古舘氏と違法に出会ってから20年経ち、今年7月からは仕事を辞めて現在に至るまで無職。人生にさまよっているタイミングで出版された彼の著書「伝えるための準備学」をすぐに買って読み、強い衝撃を受けた。文中で、古館氏はこの本の意義を以下のように記している。
世の中には、「万能」など存在しない。
準備のノウハウにしても同様である。「効率的な準備術」の本なら、すでにたくさんある。でも、そのメソッドではどうにもならなかった人もいるだろう。そんな「効率性重視の一般論から、あぶれてしまった勢」のために、僕は本書を書いているといっていい。
天才でもない多くの一般人はどうあるべきかというと、効率性を捨て、おもしろくないことも、準備も、無我夢中で楽しんでしまえばいい。この記述に、「そうだ!」と強く同調した。歌詞を忘れてたのに知ったかぶって追随するかのように同調した。
古舘氏は本の中で「自分の人生を創造する」というフレーズを多用する。「夢は願えば叶う」ものでもないし、準備だけで夢は叶わない。ただ、「今この時」に何かにむかって必死に準備をすることで、「自分の人生を創造する」ことはできる。彼はそう語る。
文中でも多くのユーモラスな表現で楽しませてくれる古舘氏は、一方で物事を鋭く客観的な視点で考察して、行動に活かす。
その鋭さ故に、本の内容は「仕事の準備」どころか「人生の準備」までにスイスイ到達してしまっている。「伝えるための準備学」というタイトルに惹かれて手にすると「人生の準備学」も入っているのでオトクである。そのぐらい示唆に富んだ内容だった。
古舘氏は客観的に自分の特徴や傾向をつかみ、理解している。サボリ魔の自分が行動するためにあえてネガティブな思考をしたり、新聞のスクラップが目に入るようにわざとギザギザにちぎって違和を残しておいたりするなど、自分がそうするように策を練って実行し、習慣化する。このあたりの自己洞察の深さと行動力には、アスリートが己を追い込むようなプロフェッショナルさがある。
彼のアナウンサーや実況の仕事においての凄まじいまでの裏での準備は本を読むまで想像もしていなかったが(詳細は著書に譲る)、それらの準備の量、アドリブ、自分の追い込み方をひっくるめて、「努力の天才」と言ってしまうのは簡単だ。しかし、それで終えてしまえば意味がない。
考え方や言動については、天才でもないし何者でもないわたしにも、大いに学べる点がある。考え抜くこと、わからないものはわからないと認めること、余白を持つこと、無駄を味わうこと、自分を知ること、エゴを抑えること、時には自分を装うこと、誰かとの出会いを構えておくこと。多くのヒントを得られたと思う。
本の終盤では、古舘氏はこんなことを述べている。
コスパ・タイパ度外視の準備学とは、なんと時代に逆行していることかと思った読者も多いだろう。僕自身、その自覚はある。
だが結局は、それが能率や生産性、有益性、あるいは答えを得ることにつながっていくわけだ。
人間の脳は取り留めがなく、非合理的なものだ。ならば、コスパ・タイパ至上主義で効率と成果ばかり求められて生きづらく、楽しくないのは当たり前なのかもしれない。だからゆっくり、のびのびする時間が大事なのだ。
これらの教えは無職のわたしに深く刺さった。プロフェッショナルな古舘氏の生き様に感銘を受けつつ、とりあえず自身の内面の奥の奥まで、じっくりと深いところまで潜ったり、古本屋で何十年も前のよくわからない本を買って読んだりしている。
いざ転職、というタイミングでこの本を読めたのは本当に良かったが、中2のころ進路に悩んでいた自分にも読ませたいと思った。YouTubeで夜ヒットの尾崎豊(と古舘伊知郎氏)を観ていたころの自分に。尾崎豊が腕を組みながら古館氏と話している様子がカッコよかったからといって、マネをして腕を組みながら担任と話すと「失礼だからやめろ」と怒られるぞという助言とともに、この本を読めと言って渡してすすめてやりたい。
※Amazonアソシエイトに参加しています。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援をお願いいたします。創作活動のための書籍代に使用させていただきます。