【私が台湾を選んだ理由 ep.6】「信頼してくださいと言っても、意味がないと思うんです」

正直に書きます。今回の取材、私はかなり緊張していました。
これまでこの企画でお話を伺ってきたのは、留学生やワーキングホリデーで台湾に来た方々でした。今回は違います。台湾留学サポートセンター代表・安蒜美保さん。2010年の設立から16年、17年目に入るこの団体で、これまでに3,000人以上の日本人高校生を台湾の大学へ送り出してきた方です。
日本語を聞き間違えたらどうしよう。失礼な聞き方をしてしまったらどうしよう。撮影の前日から、そんなことばかり考えていました。
しかも取材のあとで気づいたのですが、彼女はこう言っていました。
「私もあまりメディアに出ないですし。聞いちゃいけないのかなとか、私に聞くと怒られるのかなとか、そういうふうに思われてるみたいで」
つまりこの1時間は、本来あまり表に出てこない話です。台湾で教育に関わる方、日本と台湾のあいだで長く仕事をしたい方には、特に読んでいただきたい回になりました。
そして途中で、私自身が話の材料にされる場面がありました。それは後半に書きます。
「あの四文字の人」
安蒜さんは千葉県松戸市の出身です。「安蒜」という珍しい姓は、松戸の地名からきているそうです。
台湾との縁は、彼女が10歳のときに始まっています。父親の友人に台湾の方がいて、「中国語はこれから大事だよ」と言われた。それで東京の華僑学校に通わされることになります。
「まず中国語勉強しろ、という感じで」
そのまま台湾の教育にお世話になり続け、大学進学のタイミングで両親が台湾の大学を見つけてきます。
「あれ、台湾留学ありなんじゃないの? みたいな感じで。台湾の大学ちょっと申請してみたら? みたいな感じで。じゃあちょっとやってみようって言って」
合格して、台湾大学へ。もう20年以上前の話です。
当時の台湾の街の雰囲気や人の優しさは、今とそれほど変わらないと彼女は言います。変わったのは大学の側でした。
「今だと、じゃあいついつ来てくださいとか、空港送迎とかあると思うんですけど。当時はもう、え? 今日行くの? みたいな感じの時に来て」
新入生歓迎キャンプの存在すら情報が入ってこず、そのまま逃したそうです。当時の台湾大学には外国人留学生の枠がほとんどなく、彼女は僑外組(華僑・外国人学生の窓口)に「ちょっとわかんないので教えてください」と言いながら、華僑の学生たちについて回っていました。
学科では、初めての日本人でした。
「最初の実験の授業の時に、教室の外に先輩たちがわーって、動物園みたいな感じで。え、なんか新入生の中に日本人が入ってきたらしいよ、って」
先生たちも外国人留学生に慣れていない時代です。
「卒業まで、外国人としてサポートを受けた記憶がないです。クラスメイトとしてのサポートだけ受けた感じはしますけど」
名前は覚えてもらえませんでした。「安美保」と呼ばれることもよくあったそうです。ただ、四文字の名前は先生の目には留まっていて、
「先生たちは『4文字の人がいる』みたいな感じで。出席とかちょっと厳しくて、あれ? いないの? みたいな」
日本人会に入らなかった
当時の台湾大学にも、日本人留学生の集まりはありました。彼女は入りませんでした。
「私はそれがすごく嫌で。日本人で台湾に来てるのに、日本人って思われたら、あんまり意味がないって思って」
「せっかくだったら、ちゃんと台湾のコミュニティで、郷に入っては郷に従えみたいな感じで、こっちの人たちと一緒に生活したいなと思って」
誘われても遠回しに断り続けたそうです。結果として、留学生と華僑と台湾人の中で4年間を過ごしました。
日本人がほとんどいなかったことは、不便であると同時にチャンスでもありました。
「逆に日本人が少なかったからこそ、すごくいろんなところに呼んでもらったりとか。家庭教師やらない? とか、こういうイベントあるんだけど手伝ってくれない? とか」
学費も今より安く、国立は国立の値段でした。自分で稼ぎながら通えたので、親は「何も出さなくてよかった」と喜んでいたそうです。
「台湾の教育に恩返しするチャンスじゃないの?」
彼女の両親は、長く塾を経営していました。ただ、ひとつ疑問を抱えていたと言います。
「自分の卒業生は、ほとんどが日本の大学に進学しているんですが、それをなんかこう、疑問に思っていたっていうのがずっとあるんですよね」
2008年から2009年ごろ、日本ではいわゆるモンスターペアレンツが問題になっていた時期でした。両親は塾をたたみ、台湾茶の輸入業一本に絞ります。
そこにニュースが入ってきます。2009年、台湾の教育部が補助金を使って外国人留学生の受け入れを拡大しようとしている、という動きでした。
「あ、これは台湾の教育に恩返しするチャンスじゃないの? みたいな感じで」
調べてみると、条件が揃っていました。家族に教育のベースがある。自分は台湾の大学を出ている。夫は台湾人で、台湾で教育に関わっている。
ただ、壮大な構想があったわけではないと彼女は言います。
「考えてたわけではなくて。たまたま、あ、いい時期かもね、みたいな感じ」
「私も大変な思いを、今思えば大学時代にしてきていますし。もっと高校生が台湾に来られて、スムーズに卒業できたら、それ以上にいいことないんじゃないかな、みたいな感じで。とりあえずやってみようかっていうところだったんですけど、なんだかんだで16年過ぎた」
父親が起業家で、「常に2つくらいのことはしていたい」という人だったことも大きかったそうです。リスク分散として。
なぜ台湾だけなのか、と聞きました。
「まず、そもそも台湾が好き。ずっと台湾と関わっていたいっていうのがベースにあるんですけど、台湾の教育が素晴らしいと思っていて」
「噛めば噛むほど味が出るっていう感じで」
「なんか浮気する理由が見当たらないというか。日本の大学の方がいいと思ったこともないですし、他の国に行ったらって思ったこともないので。台湾しかないでしょって、今でも思います」
「そんなうまい話ないでしょ」
設立当初の苦労を聞いたとき、返ってきた最初の一言はこれでした。
「まあ、いろいろあったので、なんかどれが苦労だったかっていうのがあるんでしょうけども。楽しかったんで」
それでも具体的に聞いていくと、出てくる出てくる、という感じでした。
まず台湾側。大学を訪問して「日本人留学生が来るためにサポートしたいんです」と説明しても、
「いや、来ないでしょ、みたいな。そんなことをやろうとしてる人いませんよ、みたいな感じの時代だったので」
資料を日本語で作ってほしい、動画も日本語がほしい、と頼んでも半信半疑。それでも「ぜひぜひ」と歓迎してくれた大学がいくつかあり、その大学とは今も付き合いが続いているそうです。
日本側は日本側で、知ってもらう手段がありませんでした。
「高校の人にDMを送ってみたりとか。でも、いっぱい送ったんですけど、一人しか反応がなかったりとか」
大学の先生を日本に呼んで教育フォーラムを開いたりもしました。ただ、当時はYouTubeもありません。反応は、こうです。
「なんかみんな、この怪しい、そんなうまい話ないでしょ、みたいな。そんな安くて、中国語もできて、安全で、そんなところある? みたいな。ちょっと売られちゃうんじゃないか、みたいな感じで」
最初の3年は、ひたすら大学と高校を往復し、一対一の面談を重ねる時期でした。20人、25人、次は40人。少しずつ増えていって、
「やっと先輩が出てきたら、ああ確かにいい、っていうのが分かってきて。そこからは結構早かったですけど」
そして、この一言。
「私たちもまだ20代だったんで。よく信じてくれたなって、今でも思いますね。大学の先生も、生徒たちも」
続けられたのは、家族で分担していたからだと言います。母親が高校を回り、夫が大学を回り、自分は生徒を守り、資金は父が出す。台湾茶の仕事で得た収入を、教育のほうに回していました。
「一人じゃ、絶対無理だと思います。こういう活動するには最初お金が必要ですし、赤字からもちろん始まるものなんですけど」
「信頼してくださいと言っても、意味がない」
今では多くの台湾の大学と提携し、指定校推薦の枠を持っています。そこまでの信頼はどうやって築いたのか。これがいちばん聞きたかったことでした。
答えの一行目が、私にはかなり効きました。
「信頼をしてもらうっていうのは、あちらの考えだと思うので。私たちが『信頼してください』って言っても、信頼してもらえなかったら意味がないと思うので」
「やっぱりコツコツと、言ったことを守るとか」
具体的には、日本人はこういうことが知りたい、こういうものが必要だ、ということを大学側に伝えていく。そのうえで、その大学に合った生徒をきちんと送る。送った生徒が現地で頑張る。
その積み重ねの結果、大学の先生からこう言われるようになったそうです。
「サポートセンターの生徒は違いますね、教育されてますね、っていうのを本当に言ってくださるので。それが心の支えですね」
「だからそれを、変えちゃいけないなっていうふうに逆に思います」
彼女がもうひとつ挙げたのが、続けていること自体でした。
「私たちも安蒜家でやってるものなので、私も代表がずっと変わってないので、もう顔見知りですし」
「ちょっと興味本位でやってるのではなくて、時間をかけて、人生をかけてやってるこのサポートセンターなので。それを16年かけて、ずっと見ていただいてるからじゃないかなと思います」
この信頼が、具体的な形になっているのが指定校推薦です。ホームページには、指定校推薦なら合格率100%と書いてあります。
台湾の常識では、これはなかなか言えない数字です。
「本当は多分、100%って台湾では言ってはいけなかったりとか。実際にはいろんな手続きがあるものなので、保証はできませんっていうのが基本だと思うんですけれども」
「私たちはちゃんと生徒の質を保証しますと。入った後もちゃんと何かあったらサポートします。書類とか資格もしっかり事前にチェックします。なので、私たちが推薦した子たちはもうスクリーニングされてますよと。なんで、合格を認めてください」
なぜそこまでこだわるのか。日本と台湾の入学時期のずれが理由でした。
日本の大学受験は、1月の共通テストあたりで結果の見通しが立ちます。ところが台湾の合否は、翌年の9月まで待つことになる。日本の大学の合格を蹴って、9月まで待つ。これは特に保護者にとって、心理的にとても難しい選択です。
「大学も『保証? 100%はちょっと』って大体言うんですよ。でも99.9%でもいいので、私たちが100%にします、みたいな感じでやってきて」
そして、送り出すときに卒業生へかける言葉が、この仕組みの本質だと思いました。
「後輩たちが入れなくなったら困るから、頑張ってね、って言って送り出しています」
「それがなかったら、なんで日本人にだけそういうサービスするの、なんで日本人に余分に奨学金あげるの、って思われたら嫌なので。それなりのちゃんとした成果を、生徒の姿で見せるっていうのは大事かなと思ってます」
ここで、私が話の材料になりました
取材の中盤、話が「なぜ台湾の良さが知られていないのか」に及んだときのことです。
私は台湾で生まれ育っているので、正直な感覚をそのまま口にしました。台湾人にとって留学といえばアメリカか日本が当たり前で、なぜ日本人がわざわざ台湾に来るのか、いまだにピンとこないところがある、と。
彼女の返しは、はっきりしていました。
「実は台湾、すごくいいものを持っていると思って。教育制度もすごく素晴らしいですし、大学の先生たちがまた素晴らしいんですよ」
「本当に台湾の教育は素晴らしいっていうのを、台湾の人はもっと知った方がいいと思います。誇りに思った方がいいと思います」
「近くにあるから見えないんじゃないかなっていうのは、すごく思います」
そしてこう続きました。
「でもだって、ショーンさんだって日本語めちゃくちゃ上手じゃないですか。絶対留学してたと思ったんですけど、したことないって言ってたんで。すごいな台湾って思いました」
正直に言うと、このとき私はかなり返答に困りました。自分の話をしに来たわけではないので。
ただ、あとから編集しながら思ったのは、彼女はお世辞を言ったわけではないということです。彼女は16年間、「台湾の教育には価値がある」と日本の高校生と保護者に説明し続けてきた人です。その人の目の前に、留学経験なしで日本語を使って仕事をしている台湾育ちの人間が座っていた。彼女にとっては、それは論拠のひとつだったのだと思います。
台湾の教育の話をしているつもりが、いつのまにか自分が展示物になっていた。この取材でいちばん落ち着かなかった数分間でした。
情報がありすぎる時代
16年で何が変わったかを聞くと、「台湾のいいところはそのまま」だけれど「受け取り方と心配事は変わった」という答えでした。
昔は情報がなかった。今はありすぎる。
「先輩のSNSをちょっと見ようとか、友達に聞こうとか、先生に聞いてみようとか。その人の意見だけで、行きたいとか行きたくないとか、良い悪いの判断をしがちなんですよね」
「耳障りのいいこと、大丈夫だよ、だけ聞いてしまう。厳しいところはあんまり聞かないとか」
「だからAIに聞くのと同じで。ChatGPTに聞いて、いいよって言われればいいと思うし、危ないんじゃないって言われれば危ないと思うし、みたいな感じで。その情報の選び方がすごく難しいなとは思います」
保護者についての話が、いちばん鋭かったと思います。
「心配な人が心配なことを聞くと、余計心配するんですよね」
「反対したいがために、心配させるようなことを聞く親御さんとかも出てくるので。それで選択を狭めてしまうのは、もったいないし、残念だなっていうふうには思いますね」
無責任に台湾を勧められた結果、台湾によくない印象を持ってしまった人がいるのも事実だ、とも言っていました。
「正しく理解すればいいものを、ちょこちょこっと情報を聞いて、失敗したつもりになっちゃうとか、諦めちゃうとかが、もったいないなっていう気はします」
石橋を叩く国と、70%で走る国
日本と台湾の仕事の進め方の違いについても、印象的な整理をしていました。
「日本は企画を練って練って練って練って、失敗しない状態にしてから始めるんですよね。だから石橋を叩いて渡るって言うんですけど、すごく時間がかかるんですよ。でも、その代わり質が高いんですよね、出来上がりの」
「台湾は70%くらい行けそうだったら、とりあえずやって、失敗したらまた変えればいいじゃない、みたいな。時代に合わせてすぐ変えられるっていうのが台湾の強みだと思うんですよ」
「生き残りをかけるためには、その時代の合間をすり抜けていく力みたいなものを、台湾人がすごく得意だと思うので。勉強させていただかないといけないと思いますね」
日本の就職活動についても、はっきりした意見を持っていました。台湾の大学は6月卒業なので日本の新卒採用に間に合わない、と心配する人が多いことについて。
「そんなちっちゃな話じゃないですか。多分台湾の人は、絶対そういう心配しないと思うんです。就職したい時がする時じゃない」
「でも日本人は、みんなで列に並ぶので。よーいスタートって言って始められないと不安なんですよね」
「どこの国でも、ちゃんと実力があって、こういうストーリーがあって、その会社のために何かできる人だったら、いつでも欲しいと思うんですよね」
日本の就活の現場で「ガクチカ」(学生時代に力を入れたこと)が語れない学生が多いことにも触れていました。3年生の途中から就職活動が始まるので、大学の勉強に集中できない。結果、みんな同じような話しかできなくなる。
「自分の強みを出せる人っていうのが、みんなで一緒にみたいな中だと生まれづらい」
3,000人分の人生
16年で心に残っていることを聞くと、「あげきれないぐらいたくさんある」という答えでした。台湾で結婚した卒業生の結婚式に参加させてもらい、生まれた子供を抱かせてもらったこともあるそうです。
正直に書いておくと、16年やっていれば嬉しい報告ばかりではありません。そういう話も伺いましたが、ここには書きません。
「多くの家族の人生を見させてもらってるっていうのが、嬉しいなって思います」
「大学ってすごく一番大事な黄金時代というか。この4年間、すごくキラキラした時間を、私たちの活動のおかげで台湾に連れてきた子たちがいると。その子たちが、その4年間が良かったって思ってもらえれば一番なので」
「逆に、すごく責任を感じることもあります。日本にいた方が良かったのかなとか、思いたくないので」
「人生に触れる、責任重大な仕事なので」
彼女はこれを「勝手に背負っているつもり」と表現します。
「そんなに生徒たちは思っていないと思うんです。やっぱり口うるさいおばさんだと思われているかもしれないので。就職の報告だって、結婚の報告だって、する義務は全然ないんですけど。でも、してくれると嬉しいですよね」
「自分が良かった時代なので。すごく良かったって思ったことを、そのまま伝えているだけなんですけど、どんどん責任が重くなってきます。人数が3,000人になると、やっぱり責任を感じることはありますね」
卒業生の進路は、日本に帰る人が約65%、台湾に残る人が15〜20%ほど。最近は第三国に直接就職する人も出てきていて、スペイン、アイルランド、アメリカ、シンガポール、マレーシア。ある大学の先生からは、インドで卒業生に会いましたという写真が届いたそうです。
「なんでインド、みたいな。ちょっとびっくりさせられる時もあって」
「でも、それが目標ですけどね」
AI時代に、4年かけて留学する意味
翻訳も知識の習得も簡単になったこの時代に、あえて4年かけて海外の大学へ行く価値はどこにあるのか。この質問への答えが、この日いちばん強い言葉でした。
「AI時代だからこそ、もっと人と人との繋がりって大事なんじゃないかなって思うんです。だって、それがなかったら、人間のいる価値なくないですか?」
「ただ単に言葉を伝えるんじゃなくて、気持ちを伝えることが大事だと思うので。それがまず、言葉を勉強する意義だと思うんですよね」
「翻訳の『ありがとう』って言われるよりも、人間の『ありがとう』って言われた方が、絶対気持ちが伝わるじゃないですか」
そのうえで、それを自国でやるのか、外に出てやるのか。
「断然、外に行ってやった方が心が育つと思うんです」
「大体ある程度、高校生までで心とか性格とかも決まってくると思うんですよね。それ以上の進歩って、知識は入るかもしれないですけど、性格的には固まっていると思うんです。でも、この大学時代とか、この若い時に外に行くって、価値観も変わりますし、世界の見え方も変わる」
「自分がマイナーになるっていうか。日本人だったら普通にいる人たちだけども、こっちに行ったら日本の常識は通じないとか、言葉も通じないとか。そういう苦労や経験をして、どう乗り越えるかで、自分の力が試される時だと思うんですよね」
いま日本は元気がない、とも言っていました。円安、将来の不安、教育にかけられる時間とお金の減少。海外は怖い、何かあったらどうしよう、という声のほうが大きくなっている。
「なんだかんだ理由をつけて、外に行かないようにしようっていう、なんかちょっと鎖国状態じゃないけど、閉じ込むみたいな感じになってきてしまっているので」
「だからこそ若い人たちが一歩勇気を持って、外に出るとかチャレンジするとかいうことをできていけば、もっと日本は良くなっていくと思うので」
40代で、台湾語を始めた
最後に、これから挑戦したいことを聞きました。
団体としては、日本以外の地域からも台湾のことを知ってもらい、「台湾の味方」を増やしたい。方法はまだ考え中だそうです。
そして個人としては、これでした。
「最近、今更ながら、台湾語を勉強したいです」
中国語だけで十分に生活も仕事もできる人が、40代で、もう一つ言語を始めている。理由がとてもこの人らしいものでした。
「おじいちゃん、おばあちゃんとか、台湾の人とかも、ちょっとした台湾語ができると、もっと心の距離が近づくと思うので」
「中国語もまだ100%ではないんですけど、ある程度、日本人に間違えられなくはなってると思うので。今度は台湾語で、逆のびっくりを、サプライズをできるように、今頑張っています」
外国人が中国語を話しても、台湾ではもう驚かれません。でも台湾語で一言returnされたら、私たちは確実に驚きます。彼女はその「驚き」を狙って、いま発音に苦戦しています。
10歳で華僑学校に通わされた人が、40代で台湾語のイントネーションに苦しんでいる。この話を聞きながら、この人が16年続けられた理由は結局これなんだろうな、と思いました。
最後のメッセージも、そのまま載せます。
「台湾に来て終わりとか、台湾に来れば安心とか、就職有利とかだけの、その上っ面の部分だけを知るんじゃなくて。しっかり4年後どうしたいとか、将来この台湾での生活をどう生かしたいのかっていうのを考えた上で、逆算して4年間の過ごし方を考えてもらえるのが、一番自分にとってはプラスになると思うので」
「あと、台湾って確かに来やすい国ではあるんですけれども、ゼロリスクというわけでもないですし、ちゃんとやらなきゃいけないことはやらなきゃいけない。難しいことも絶対あるので。そのあたりの失敗をカバーするために私たちがいると思っていますので」
「頼れる大人には、どんどん頼ってもらいたいなと思います」
全編はこちらから
インタビューの全編(約1時間)はYouTubeで公開しています。文字では伝わりにくい、彼女が16年分を一気に思い出しながら話す速度も、そのまま入っています。
台湾留学サポートセンターの詳しい情報は、公式サイトをご覧ください。
この企画について
『私が台湾を選んだ理由』は、台湾に住む日本人の方に、ひとりずつお話を伺っている個人企画です。台湾人である私が、日本語でお話を伺い、撮影から編集まで一人で行っています。
顔を出したくない、名前を出したくない、この部分は使わないでほしい──そうしたご希望は、すべてお受けした上で撮影しています。話してくださった方が、公開されたあとに後悔しない形にすること。これをいちばん大事にしています。
