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分岐

電車に乗っているときに、並走する線路を見るのが好きだ。

つかず離れず、まるで伴走しているようだ。
自分の乗っている線路に吸収されたかと思えば、また分離したり。
向こうからやってきた線路と合流して、複雑に絡まりあう。
まるでそれ自体が意思をもって進んでいるように見えて、全く飽きない。

一方で、空や雲を眺めることには興味がない。
変わった形の雲に一瞬だけ目を向けることはあっても、それが変わっていく様子を追い続けることはしない。

単に動いているものが好きで、流れていく様子に興味があるのなら、線路も雲も同じようなものなのに、雲には全然惹かれない。

どうしてなのだろう。

雲と線路なら、線路のほうが自由に近い、と私は感じる。
線路は、運ばれているに過ぎないけれど、行先は自分で決めている。
途中で降りることもできる。
制約の中で自分の意志で選択できる、ということが、意味があることのように思える。

雲はどこへでも行ける。
それは一見すると自由なのだけど、私にはそれは、自由というより奔放なだけに見える。
風に運ばれ漂っているだけ。
意思がない。

道が一本しかないなら、それは自由ではない。
道がたくさんあっても、選べないなら自由ではない。
制約がなくとも意思がないなら自由ではない。

自由は秩序の反対側にあるのではない。
自由は、自分で選び自分で操れるという行為の中にあるのだと思う。