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見知らぬ物語

本はなるべくジャンルが偏らないように、いろいろなものを読むようにしているのだけど、合わなそうだと本能的に感じるものもある。
帯に、救い、傷、癒し、孤独、魂、のような言葉が並ぶ本。
そういう雰囲気の作家群。

最近になって、避けていたそういう作品の中の一つを読んでみた。
途中で、やっぱりこれは合わない、と思った。
けど、何がどう合わないのか、上手く言葉にならなかったので、それを探すような気持半分で、最後まで読んだ。

誰かの傷つきや喪失が描かれているとき、私はどこか冷めて「だから何?」と思ってしまう。
だから何?
それが何?

誰かの生きづらさが描かれたとき、その痛みを理解することが物語の推進力になる。
痛みに光を当て、見落とされた苦しみを可視化する。
多くの人は、そのとき登場人物が感じていることに自分を重ね合わせることで、安心や共感を得られるのだろう。

私は、登場人物の感じたことにはあまり興味がない。
なんとなく「ふ~ん、そうなんだ」としか思えない。

それよりも、なぜそうなったのか、なぜそう考えるのか、どういう構造の中にあるのか、ということを知りたいし、考えている。
感情を共有するよりも、そういう見方があったのか、そういう発想もあったのか、というような、世界に対する認識の更新ができたときに、読んで面白い、読んでよかった、と感じる。
孤独な人の救われた話よりも、孤独とはどういうものか、救われるとは何なのか、という話が読みたい。

それと、程度の差はあれ、人はみな生きづらいのでは?と思う。
だから「傷」が物語の推進力になっていると、だから何?と思ってしまう。

「こんなに苦しい」という話よりも「こんなふうな世界だった」という話、「傷を癒す物語」よりも「傷とは何か」という話に興味を惹かれる。

傷ついている人が描かれたときの、「理解したい、でも理解しあえない、それでも傍にいることはできる」のような美しさにも懐疑的だ。

人は大なり小なり傷つきながら生きていくし、その傷を癒せるのは自分だけだと思っている。
癒せない自分を抱えていける、抱えなければならないのも自分だけ。
だから、「だから何?」と思ってしまうんだと思う。
人が傷を抱えてもがく様子、ほのかな希望を見出す様子、に心動かされない。

自分の中の答え以上のものには出会えない。