Slashは高嶺のなでしこで活躍できるのか?
「Slashは高嶺のなでしこで活躍できるのか?」
そんなことを、考える人はおそらく世界にほとんどいない。
しかし、優れた組織について考えるとき、「異物は組織を壊すのか、それとも進化させるのか」という問いは、案外重要なのかもしれない。
まず、経歴だけを見てみよう。
Slashは、説明不要のギタリストだ。
世界的ロックバンドであるGuns N’ Rosesの中心人物の一人として、数千万枚のアルバムを売り上げ、ロック史に残るギターソロをいくつも生み出してきた。
黒いシルクハット。
サングラス。
レスポール。
そして、ステージに立った瞬間に数万人の視線を奪う圧倒的な存在感。
一方、高嶺のなでしこは、日本のアイドルグループである。
歌、ダンス、SNS、イベント、ファンとの交流。個々の才能を磨きながら、グループとして一つの世界観を作り上げていく。
履歴書だけを見るなら、Slashの能力は申し分ない。
表現力がある。
スター性がある。
長年にわたって第一線で活躍している。
世界中に熱狂的なファンがいる。
だが、問題はそこではない。
本当に重要なのは、「Slashは高嶺のなでしこの文化に適応できるのか」ではなく、「高嶺のなでしこはSlashという存在を受け止められるのか」という点にある。
たとえば、レッスン初日。
メンバーが振り付けを確認している横を、くわえタバコのSlashが、ギター片手に通り過ぎる。
スタッフが「まずは自己紹介からお願いします」と言う。
Slashは小さくうなずき、ギターを鳴らす。
自己紹介は、ない。
TikTokの撮影が始まる。
15秒の縦動画に収めるには、Slashのギターソロは長すぎる。
そもそも彼は、15秒で完結することを前提に音楽を作っていない。
アイドルグループは、再現性の芸術だ。
毎週のライブ。
毎日のSNS。
握手会。
生配信。
限られた時間の中で、期待された価値を安定して届け続ける。
一方、Slashの価値は、再現性の外側にある。
彼の演奏は正確だから人を魅了するのではない。
「今、何かが起きそうだ」という予感そのものが、彼の魅力なのだ。
だから、おそらく彼は最初の数か月、まったく活躍できない。
ダンスは覚えない。
振り付けの立ち位置も怪しい。
握手会では、くわえタバコで対応する。
しかし、半年後、少しずつ異変が起きる。
それぞれの曲の合間と最後に、1分間のギターソロが追加される。
Slashのエモーショナルな旋律に呼応するかの如く、メンバーが躍動する。
観客は、曲の完成度ではなく、「今日は何が起きるのか」を楽しみに会場へ足を運ぶようになる。
気づけば、高嶺のなでしこは、アイドルグループでありながら、どこかロックバンドのような空気をまとい始めている。
そして、ここでようやく最初の問いに戻る。
「Slashは高嶺のなでしこで活躍できるのか?」
答えは、おそらく「できる」だ。
ただし、それはSlashが高嶺のなでしこに適応した結果ではない。
高嶺のなでしこのほうが、Slashという異物を受け入れ、自らの輪郭を少し変えてしまった結果なのだ。
優れた組織とは、同じ人間を集める組織ではない。
ときに、自分たちとはまったく違う存在を受け入れ、その違和感ごと、自分たちの一部に変えてしまう組織なのかもしれない。
もっとも、現実には、シルクハットをかぶった中年ギタリストがアイドルグループの楽屋に現れた時点で、マネージャーは全力で止めるだろう。
