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#本間幸司 さん(#水戸ホーリーホック クラブリレーションオーガナイザー)/『水戸黄門仕様』の紋付袴で異彩を放つレジェンド。「命がある限りは全てをかけたい」【サッカー記者の独白 #07】


左から興梠慎三さん、本間幸司さん、山瀬功治さん、森脇良太さん。浦和OB勢

▼「小さいクラブ」が起こした奇跡の物語

その姿は『水戸大使』としてのプライドの証だった。

十人十色の“お召し物”で登場したJリーグ功労賞の受賞者たち。『愛媛FCポジティブエナジャイザー』として、愛媛の名産・みかんを想起させるオレンジ一色で登壇した森脇良太さんに負けず劣らずの存在感を発揮していたその人が、『水戸ホーリーホッククラブリレーションオーガナイザー』本間幸司さんだ。48歳の本間さんの衣装は紋付袴。「クラブが用意してくれたものなんです…」と照れ笑いを浮かべた本間さんはこう言葉を続けた。

「小さいクラブが(J1昇格という)奇跡を起こしたというお祝いも込もっています。このJリーグアウォーズはJ1だけのお祝いの場ですが、来年からJ1に乗り込むという意味も込めています」

まさに水戸の象徴的存在である『水戸黄門』を想起させる衣装。本人は「控えおろう!!ではないですが…(笑)」と冗談混じりに「水戸は歴史的背景がある街」とアピールも忘れなかった。

本間さんが24シーズン限りで現役を退き、翌シーズンにクラブが手にしたJ1昇格という偉業。1999年から在籍し、クラブとともに歩んできた道のりは「亀のように積み上げてきた」時間だった。今でこそ笑い話として語れる思い出話が、常設の練習場であるアツマーレが完成する以前のこと。朝、チームが利用するグラウンドに向かうと、少年野球の選手たちがノックをしていた。

「すみません。ちょっと半分グラウンドを貸してもらっていいですか?」と一言断りを入れながら半面で練習をスタート。ある日は街の公園にゴールを設けて紅白戦をしたこともあるという。「その頃は恥ずかしくて、J1に行くなんて言えなかった」と本間さんは言うが、当時から地域の方々に支えられてきたことに今でも感謝の念が絶えない。

「地元の方々がご飯を安く提供してくれたり、そういう地域の方々の助けがあって奇跡的にあるクラブ」と本間さん。トップカテゴリーに到達するまでのプロセスを思うと、頭の中でフラッシュバックすることがたくさんある。

「行政やファン・サポーターの方々はもちろんそうですが、OBの方々が苦しい思いをしてプライドを持ってサッカーを続けてくれたおかげでこのクラブは守られてきました。僕がホーリーホックにいる理由としては、OBたちに胸を張って、『このクラブにパパはいたんだよ』というふうに言ってもらえるようなクラブにしたいというのが、僕の大きな目標でもあり、夢でもあります。今回のJ1昇格によって、第一目標はクリアしたので、ここからはまたさらに地域に根ざして、ホーリーホックを茨城県の文化にしていくことがこれからの僕の仕事かなと思います」

新シーズンから始まる水戸のJ1挑戦に向けて、「何も失うものはないというか、どこまでできるのか。僕自身も楽しみにしています」と本間さん。現役を退き、今では別の立場でクラブの発展を支える本間さんが言った。

「僕自身のスタイルはこれからも変わりません。地元の茨城のため、水戸のため、ホーリーホックのために、命がある限りは全てをかけたいです。何がというよりも、僕がやれることは、もう全てやりたいという気持ちです」

通算在籍27年目。レジェンドの言葉に強い覚悟が詰まっていた。

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