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待ち

 毎日同じ時間に起きて、毎日同じ朝ごはんを胃袋に放り込んで、毎日同じ服を着て、毎日同じ電車の同じ車両に乗っている。同じ時間に会社について、毎日食堂のかけうどんとかやくごはんのおにぎりのセットを食べて、同じ時間に出社する。また同じ時間の電車の同じ車両に乗って、同じ足取りで同じ時間に帰宅する。毎日同じ時間に風呂に入って同じようなご飯を食べて同じ時間だけ本を読んで毎日同じ時間に寝る。休日だっていつも同じで、だいたい10時くらいに起きてベットの中でうだうだして昼過ぎにウーバーでマックを頼んで(もちろんベーコンレタスバーガー)、携帯をいじっていたらいつの間にか夜で、さっと夕飯を食べて同じ時間に風呂に入って同じ時間に寝る。私はこんな毎日が、大好きだ。

 スティーブ・ジョブズは毎日同じ服を着ていた。これは選択の回数を減らすためだ。人間は1日に35000回数以上選択をしながら生きている。しかしこれは、選択疲れを引き起こし、大切なときに選択する判断力が低下してしまう。毎日の生活の中で選択の機会を減らすことによっていざという時に選択ができないということを防ぐことができる。だから私は毎日同じような日々を過ごしているという、訳ではない。
 知らない、関係ない。スティーブ・ジョブズがiPhoneを作ったすごいおっさんということくらいしか知らない。

 人間は新しいことが起きると拒絶してしまう節がある。大谷翔平の二刀流も最初は無理だろうと批判された。人間というのは元々狩猟民族であり群れを成して生活していた。そんな中で新しいことをするということは群から脱することでありそれは生命の危機を脅かす結果になる。本能的に、遺伝子的に組み込まれているのである。だから私は毎日同じような生活をしているという、訳ではない。
 大谷翔平?野球のすごい人というくらいしか知らないし、二刀流の凄さは私にはあんまりピンときていない。

 読書が好きだ。読書は私を何者にもしてくれる。ある時は青春ど真ん中の中学生、ある時は殺人鬼、ある時は病気の犬。何者にでもなれる、読書という文化が私のそばにあって、それを自由に取り入れることができるありがたい世の中である。人間というのは空っぽでいいのである。毎日同じような日常を過ごしていたとしても読書さえあればハッピーにもデンジャラスにもノスタルジーにもなれる。しかも自分にはなんの悪影響もなく。なのにわざわざ自分の人生自体を使って危険を伴いながら様々な経験する必要があるのかと思っている、わけでもない。
 ベーコンレタスバーガーは読むより食べた方が美味しい。

 ロボットに憧れているという、訳ではない。

 じゃあなんでそんな毎日規則正しい生活を送っているのか。大多数の人間が人生の楽しみだと認識している刺激的な日常や、情熱的な毎日を捨ててこんな変わらない毎日を過ごしているのか。

 ツッコまれたい、のである。周りに。いや、そんな毎日過ごしてて楽しいんかい!って。人差し指を立てて、大きな口をあけて、声を張り上げて、いやそんな毎日楽しいんかい!って。私は学生時代、友達が一人もいなかった。常にクラスの端っこにいて、本を読んでいた。行きも帰りも一人だった。一人でいるのはとても寂しかった。そんな時に私を助けてくれたのが、お笑いだった。お笑いは私に生きているという実感をくれた。学校はちっとも楽しくなかったけれど、お笑いを見ているときはとても楽しかった。私もああやって、ボケたりツッコんだりしたい。したい、したい、したい。テレビを見ながら、私は多分ボケだと思った。ツッコミができるような大きな声は出ないと判断している。これだけお笑いを見ている私の判断は絶対に正しい。お笑いに関する本もたくさん読んだ。芸人が書いている本以外にも、NSCの先生の本も読んだし、コミュニケーション方法などの自己啓発本も読み漁った。私は多分今、この世界で一番お笑いの知識がある。そんな私が、しょうもないボケをするわけない。体を張った、いや、人生をかけた一大ボケである。就職して10年。同僚も私の生活を知っている。家族も知っている。家族にツッコまれるのは嫌だけど。でもまだどうやら私のこのボケを盛大にツッコんでくれる凄腕のツッコミは生まれていないようだ。M−1グランプリも見たけれど、多分私のボケにはツッコめないだろう。いつツッコまれるのかとハラハラしながらボケ続けるのは楽しい。どんな言葉でツッコまれるのだろう。どんなトーンで、どんな声量で、どんな間で、いつ、ツッコまれるのだろう。どうなってしまうのだろう。今日読んだお笑いの本には、「根気強くボケる」と書いてあった。

 その時が来るのが待ち遠しい。

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伽説いわし・にぼしいわし いろんな文章読んでくれたら嬉しいです〜