第六十回 絕聲色忠諫滅寵 應天人承歸正統
第六十回 声色を絶ちて忠諫し寵を滅し、天人に応じて正統を承け帰す。
詞に曰く:
詩をもって諫め、
君の耳に届かんことを願う。
情はひたすら敬愛に厚く、
邪を閉じ善を陳じるは、
たとえ園囿を焦がすほどの烈しさであっても、
すべて忠誠の心より出づ。
やがて大運は開け、
人心は天意に帰し、
彩楼に吉兆があらわれる。
聖人が帝位に御すれば、
日月は輝きを競い、
華夷ともに歓び祝う。
――右、《賀聖朝》の調。
さて、世宗は女楽を受けてより酒色に溺れ、日に日に政を怠るようになった。万機はすべて范質と王溥の二人に委ねられている。
二人は深く憂え、群臣を集めて趙匡胤の邸に赴き、言った。
「主上はまさに壮年であるのに、まだ東宮を立てておられぬ。しかも南唐の貢を受けてより、酒色に沈み、幾日も朝に出られぬ。これでは国と民を経る道にあらず。公は国家の重臣、いかにして君心を正すべきか。」
匡胤は答えた。
「私もまさにこのことを憂え、諸公と議そうとしていた。先に来られたとは、忠勤の証である。明日、皆で宮中に入り、直に奏上しよう。」
一同は喜び散会した。
翌日、匡胤は群臣とともに内殿に入り、世宗に奏した。
「陛下は壮年にして、皇儲(後継ぎ)未だ立たず。日々遊楽にふけられては、関わるところ重大でございます。臣ら命を賭して願います。
早く皇嗣を立て、中外の望みに応え、色を遠ざけ政を励み、聖徳を明らかにされよ。天下の幸いにして、臣らの幸いにございます。」
世宗は言った。
「功臣の子らもまだ恩を受けておらぬのに、わが子だけを先に立てて安んじられようか。」
匡胤はさらに言う。
「臣らはすでに厚恩を受け、過分にございます。子孫に爵を望むなどあえていたしません。どうか群臣の諫めに従い、国の計を定められよ。」
群臣の切なる思いを見て、世宗はついに詔を下し、皇子を梁王に封じ、東宮に立てた。梁王は七歳、聡明人にすぐれていた。
しかし群臣がさらに諫めを続けようとしたとき、世宗は心に倦みを覚え、ひとまず退けと命じた。臣らはやむなく退出する。
それでも世宗はますます荒淫にふけり、政務を怠った。
内苑に楼を築かせ、名を賞花楼とする。教練使馮益に造営を命じると、ひと月もたたぬうちに華麗無比の楼が完成した。
その美しさは、まさに――
画棟は雲を描き、雕梁は目を奪う。
檐牙は青天を突き、錦繍は名に恥じぬ。
奇珍は満ち、絲竹は尽きず、
君王ここに楽を尽くし、美色と美酒に酔う。
世宗は大いに喜び、馮益に重賞を与えた。楼に駕して宴を設け、二姫と遊楽する。さらに百官に奇花異卉(めずらしい植物)を献じさせ、内苑に植えよと命じた。
忠臣らは心中憤り、ただ昇進を求める者のみが千金を投じて珍花を買い集め、こぞって献じる。
詩に嘆く。
異草奇花は求むるに足らず。憂うべきは淫により政を失うこと。
嗣君幼くして国を担えず、陳橋の兵変もまた由なきにあらず。
やがて病癒えた鄭恩がこれを聞き、匡胤に言った。
「二哥よ、主上は朝政を顧みず、美人と日夜遊ぶ。外邦が知れば戦乱再び起こり、民は苦しむ。ともに苦諫せねばなるまい。」
匡胤は苦笑する。
「諫めぬわけではない。ただ聞き入れぬのだ。」
鄭恩は言う。
「百官に花を献じよとのこと。我らも花を口実に、諷諫(遠回しに諫めること)を忍ばせてはどうか。」
匡胤はうなずいた。
翌日、百官が花を携えて参内する。匡胤と鄭恩も賞花楼に至った。
世宗は二姫と酌み交わしている。
「二御弟も花を献ずるか。」
匡胤は梅花を捧げた。
「江南第一枝にございます。」
世宗が理由を問うと、匡胤は詩を吟じる。
一夜東風意を込めて吹き、春の魁を争わず。
年々南枝の信を告げ、群芳と並ぶを許さず。
世宗は喜び、杜文姫にも詩を命じる。
梅花の枝に雪初めて溶け、
高風一夜にして東を占む。
池塘の花はまだ氷解けず、
柳条は糸のごとく春を織る。
世宗は称賛してやまぬ。
そこへ鄭恩が枯れた桑枝を差し出す。
「これも花にございます。」
世宗は笑う。
「枯桑ではないか。」
鄭恩は詩を吟じた。
竹籬の疎なるところ梅を見る、
皆これ酒家の庭なり。
争うべきは汴梁十万頃、
春風遍く桑の枝に及ぶこと。
世宗は表面上は笑みを浮かべ、酒を賜った。
日暮れ、匡胤はなおも奏する。
「陛下、累日不朝は憂うべきこと。どうか政を親ら臨み、社稷を磐石とせられよ。」
世宗は言う。
「戦乱の年月、安き日なし。今わずかに閑を得て遊ぶのみ。人生は塵に宿る草のごとし。栄華は幾ばくか。卿らも旧友と楽しみ、余年を尽くせばよいではないか。」
鄭恩はなお言う。
「諫めを退ければ、悔いは後に及びます。」
世宗は答えず、袖を払って奥へ入った。
宮門を出た二人は語り合う。
「このままでは国の行く末危うい。」
范質を訪ね、策を問うと、范質は言った。
「昨日、司天監が火星降下を奏した。禳災の儀(お祓い)を行う。これに乗じて賞花楼を焼けば、あるいは聖心を改めさせられよう。」
鄭恩はうなずいた。
「妙策だ。決して漏らすな。」
翌日、ひそかに宮中の軍校に命じ、消火の備えを整えさせた。
二更近く、鄭恩は賞花楼の下に身を潜める。やがて鼓声が鳴り響くと、宮の側から火を放った。
その夜は折から東風が強く、風が火をあおり、火が風を呼ぶ。たちまち炎は天を赤く染め、苑内は昼のごとく明るくなった。
宮官が駆け込み、
「行宮に火が上がりました。」
世宗は驚き、みずから火を見に出る。すでに楼閣に燃え移っている。
鄭恩は駆け寄り、
「陛下、早くお避けください。火が迫っております。」
世宗は狼狽する。鄭恩は背負って走った。
二姫は泣きながら救いを叫ぶ。そこへ匡胤が姿を現し、
「こちらへ、急げ。」
二人は救われると思い、駆け寄った。
だが匡胤は左に若蘭を、右に文姫を抱え、そのまま炎の中へ放り込んだ。
粉面はたちまち粉骨となり、
紅顔は瞬く間に紅灰へと変わる。
兵士たちは匡胤が二姫を焼き殺したのを目にし、水器を手に火を消し止めた。新造の宮楼は灰と化していた。
翌日、匡胤は文武百官とともに朝見し、火災の無事を賀する。
世宗が問う。
「二美人はどこにある。」
匡胤は奏した。
「火勢あまりに盛んにして救い得ず。すでに焼死したものと存じます。」
世宗はこれを聞き、深く嘆き、袖を払って宮に帰った。
詩にいう。
忠臣もここまでくれば哀れなもの。
なにゆえ姫を炎に投じたか。
もし陳橋の袍を着せぬなら、
千年の忠義、誰が見る。
補足。
柴栄は生前、もし30年の寿命があるなら、「10年で天下を平定し、10年で民を安んじ、10年で泰平を楽しもう」と語っていました。
実際には在位5年6ヵ月(掛けて30という皮肉)で崩御しましたので、柴栄の予定表ではまだ天下を開拓する途上だったのです。宮殿にいることすら稀でした。
また宣徽院が御膳に供する食材の量を報告したとき「朕の日常の食膳はその半分にせよ。他の者の食事は従来通りとせよ」と、自分の食膳について特に言いつけています。
郭威からの質素の精神を受け継いでいます。
世宗は火の衝撃を受け、日々二姫を思い続けて病となり、朝に出られなくなった。
そのころ鎮軍節度使韓通が辺務の奏を携え入宮し、世宗の病を知る。
世宗は病の由を語った。
韓通は言う。
「この件は趙・鄭の二人の仕業と聞きます。どうか龍体を保たれ、二姫に心を留められませぬよう。」
世宗は答えた。
「朕も知っている。だが二人は朕の親臣、罪を加えるに忍びぬ。」
韓通は拝して退いた。
帰府して思う。
「もし主上に不測あれば、朝廷はあの二人の専権となろう。旧怨をもって私に向かえば、どうして耐えられようか。」
そこで腹心の李智と議する。
李智は言う。
「君侯のご子息は未婚と聞く。符太師(符彦卿)の次女は主上の親姨(皇后の妹)にあたり、いまだ配偶なし。これを機に縁組を奏上されよ。将来符氏が国母となれば、憂いはありません。」
韓通は大いに喜ぶ。
翌日、世宗に奏し、世宗も
「朕が成してやろう。」
と応じた。
符太師を召して縁談を告げる。符太師は、
「聖諭を受け、敢えて背きません。ただ娘はまだ幼く、少し猶予を。」
と答え、世宗も許した。
韓通は成就を疑わず、聘礼の支度を始めた。
さて趙匡胤の弟、趙匡義は、雪晴れの一日、暇にまかせて東郭門外へ狩りに出た。
梅の枝に止まる一羽の喜鵲が匡義を見て鳴く。匡義は弾弓を引き、見事に翼を射た。
鵲はひと声鳴き、符太師の花園へ飛び込む。
匡義は従者を園外に待たせ、塀を越えて中へ入る。
すると、七、八人の侍女に囲まれた一人の少女が、築山の陰から現れた。
匡義は身を隠しつつ覗く。まだ及笄(15歳)にも至らぬ年頃、姿は優美、比類なき美貌。
この少女こそ符太師の次女であった。
彼女は匡義を見とがめ、呼び寄せて問う。
「どこの人か。白昼に塀を越えるとは非礼、法に容れぬ。」
匡義は頭を下げる。
「小生は趙司空の次子、趙検点の弟、名は匡義。狩りの折、鵲を射て園に迷い込みました。どうかお許しを。」
少女はその堂々たる姿と言葉の穏やかさに心を動かす。
「もしこの人と縁あらば、一生の願い足る。」
と密かに思う。
「御年は。」
「十九にございます。」
「婚姻は。」
匡義は恥じて首を振る。
「早くお帰りを。太師に知られてはよくありません。」
匡義は拝して退出。後門から出される。
少女は名残惜しげに見送った。
喜鵲枝を連ねて符園に落ち、
佳期を告ぐるはこれに頼る。
一言にして非凡を知り、
宿縁の成るを待つ。
匡義は帰府し、匡胤に事の次第を語る。
匡胤は笑った。
「これも天意。汝を園に導き、その容を見せたのだ。」
すぐに范質を招く。事情を語り、仲人を頼む。
范質は言う。
「符太師夫人は拙妻と縁戚。明日にも求婚いたしましょう。必ずや成就します。」
匡胤は大いに喜んだ。
かくして縁談は動き始めるのであった。
翌日、郝夫人が符府へ赴き、太師夫妻に趙公子からの求婚を詳しく伝えた。
太師は言う。
「この縁談、まことに相応しい。しかし主上はすでに韓通の子との婚約を仰せられた。今ここで趙公子を許せば、聖旨に背くことになる。進退きわめて難しい。」
郝夫人は答えた。
「趙公子は大いなる貴相を備え、徳行も整い、才気日々に盛んです。韓公子とは雲泥の差。古より婿は徳をもって選ぶと申します。これを許せば、聖上も必ずや咎められますまい。」
太師はうなずく。
「道理はそのとおり。ただ韓家が先に縁を求めたゆえ断りにくい。ならば古法に倣い、城中に高く彩楼を建て、娘に彩球を投げさせよう。誰に縁があるか、それをもって定めれば両家に怨みは残るまい。」
郝夫人も同意し、帰府して范質に報せ、趙府にも伝えさせた。
数日後、符太師は大街に彩楼を建て、韓・趙両家に集まるよう約した。
趙匡胤はこれを知り、弟匡義に備えさせる。匡義は数名を伴い天街へ向かった。
そこには韓通の子、韓松が家将数十を率いて待っている。ほかにも官家の子弟が楼下に群がっていた。
やがて楼上に鼓楽が鳴り、家人が詩を吟じる。
彩楼高く新たに結ばれ、
天地に富貴の春を招く。
藍橋の吉報を語り、
仙子の心を尽くさせよ。
ほどなくして侍女たちに囲まれ、符小姐が彩楼中央に姿を現す。
楼下を見渡すと、群衆は皆、首を伸ばしている。
彩楼の左手には一人の若者が立っていた。姿勢は堂々、風采は凡俗を離れ、身なりも整っている。
黒紗の官式頭巾をかぶり、青色の紵絲の袍を着て、その上に蜀錦の披風をまとい、腰には金糸入りの緑の帯を締め、足には黒靴を履く。歩むごとに優雅な気品が漂う。
それこそ胸に思い描いていた人。今日あらためて見ると、ひときわ凛々しく映る。
ふと右手を見ると、そこには韓松が立っている。容貌は卑しく、顔は黒く、背は弓なりに曲がっている。衣装こそ整っているが、その姿は――
官式の青糸の笠をかぶり、黄褐色の紵絲の袍を着て、緑の絨に金糸を織り込んだ帯を締め、黒皂色の麂皮の靴を履いている。
しかし立ち姿の差は歴然としていた。
符小姐は二人を見比べ、すでに優劣を定めた。
立ち上がり、侍女から彩球を受け取り、天に祈ってから匡義めがけて投げる。
球は見事に匡義の手に収まり、彼は馬に飛び乗って南街へ駆け去った。
韓松は楼下に立ち尽くし、周囲の嘲笑を浴びる。
「聖上の命より、范枢密の口添えが重いのか!」
怒った韓通は数百の家丁を南街に伏せ、迎娶の列を襲わせようとした。
だが事は密ならず、すでに匡胤に伝わる。
鄭恩が言う。
「心配いらぬ。皇姨は小路から密かに迎えよ。小弟が花嫁に扮してやつらをからかおう。」
匡胤は笑い、密かに符小姐を迎えて匡義と成婚させた。
一方、鄭恩は花嫁姿で南街を進む。
伏兵が号炮を鳴らし、輿を奪って韓府へ担ぎ込む。
韓通が嬉々として簾を上げると、中から現れたのは鄭恩。
「韓兄、酒を用意してくれ。」
韓通は罠と悟るも笑顔を作るしかない。
鄭恩は言う。
「公子にもまた良縁はある。争って和を傷つけるな。」
翌日、韓通は世宗に訴えるが、世宗は
「匡胤の弟も朕の愛弟。この件は深く思うな。」
と取り合わなかった。
補足。
符彦卿はすこぶる子だくさんで、娘もとりあえず三人いて、長女は柴栄の皇后。この人は淮南戦役の最中に亡くなってしまいました。次女は、病床にある柴栄が新たな皇后として迎え、子の柴宗訓の後見を任せます。北宋が建ってよりは尼になりました。そして飛んで六女、それが趙匡義の后妃となりました。
しかし皆、意外と早逝されているんですよ。
やがて世宗の病は重くなる。
范質らを呼び、
「嗣君は幼い。力を尽くして補佐せよ。もし朕が起きぬなら、王著を宰相に。」
と遺命する。
しかし臣らは、王著は酒に溺れる者と知り、この言を秘す。
その夜、世宗は崩御した。
後人は詩をもって讃える。
五代十二君のうち、世宗こそ英武神明。
出師命将、誰が敵し得たか。
法を立て田を均し、名を求めず。
農を本とし、仏像を溶かして民を救う。
もし数年の寿を天が与えたなら、
中原に太平を見たであろう。
群臣は柩前に梁王訓を立て、恭帝とする。符后は太后となり、垂簾聴政を行う。
その頃、河東の劉鈞が契丹と結び大挙侵攻との報が届く。
太后は驚き、范質は奏する。
「都検点趙匡胤こそこれを防げます。」
匡胤は入朝し、元帥に任じられる。
彼は奏した。
「主上新立、京城は諸臣が守るべき。臣は諸州の将を調え出征いたします。」
太后は喜び、張光遠らを集めて出陣を命じた。
そのとき苗光義が京に現れ、天象を見て呟く。
「これぞ天命。時は近い。」
そして飄然と去った。
各鎮の将、張光遠・羅彦威・石守信・楊廷翰・李漢升・趙廷玉・周霸・史魁・高懐徳らが麾下に集う。
その日を選んで出兵となった。
旗は翻り、鬨の声があがり、太鼓と鉦が鳴り響く。炮声一発で三軍は進発した。
やがて陳橋駅に至り、軍士は駅門外に屯する。
そのとき高懐徳が諸将に向かって言った。
「今、主上は新たに立たれたばかりで、しかも幼い。我らが命を懸けて戦っても、誰がその功を知ろう。
いっそ検点を天子に立ててから北征すべきではないか。諸公いかが思う。」
都衛李処耘は言う。
「軽々しく決すべきでない。匡義と議すべきだ。」
匡義は答える。
「兄は忠義を旨とする人。おそらく従わぬ。どうすればよいか。」
そこへ趙普が現れ、事情を聞くと、
「まさに諸公とこの大事を議そうと思っていた。主少にして国疑う。検点は名望高く、人心は帰している。ひとたび汴梁に入れば天下は定まる。今夜整え、明朝ことを起こすべし。」
諸将は歓喜し、夜半に軍を整え、四更に陳橋駅門に集まった。匡胤は帳中に眠り、何も知らない。
夜が白みはじめると、将らは帳内に押し入り、叫んで言った。
「諸将の願い、検点を天子に立て奉る。」
匡胤は驚き起き上がる。
問う暇もなく、石守信が黄袍を肩にかけ、椅子に座らせる。諸将は山呼し、声は内外に轟いた。
匡胤は言う。
「汝らは己の富貴を図り、我に不義の名を負わせるか。何たることを急に行う。」
石守信は答える。
「主は幼く国は疑う。今退けば誰が信じよう。機を逃せば二度と成らぬ。」
匡胤は黙した。
匡義が進み出て言う。
「人の謀りにあらず、これ天意。迷うことなかれ。
しかし天下を治めるなら、百姓に父母のごとく思い、入城の際は一切の侵奪を禁ずること、それこそ天下を定める策です。」
さらに苗光義の予言を伝える。
匡胤はかつての相面の言葉を思い出し、ついに決意した。
「太后と主上は我が北面して仕えるべき方、犯すな。群臣は比肩の友、欺くな。府庫を侵すな。命に従えば賞し、違えば斬る。」
軍士は応じた。
隊伍を整え、汴梁へ向かう。仁和門《じんわもん》より入城し、秋毫も犯さず。民は歓喜した。
詩にいう。
七歳の君は寡婦の子。
黄袍を着せられたその時こそ、欺きが始まった。
兵権は急に帷幄へ帰し、
遼兵が帝畿を犯す姿など、ついに見ず。
匡胤は入城すると軍士を帰営させ、自らは公署に退いた。
そのころ朝議はまだ終わらず、太后は陳橋の兵変を聞いて驚き、宮中へ退く。
范質は王溥に言った。
「将を挙げて遣わした結果が反乱とは、これは我らの罪だ。」
侍衛親軍副都指揮使の韓通は禁中から出るや、范質のもとへ駆けつけて言う。
「敵軍は今まさに入城したばかり、民心はまだ定まっていない。わたしが禁軍を率いてこれを防ぐ。お二人は急ぎ太后の懿旨を請い、天下に布告なされよ。
忠義の士が必ず勤王に立ち上がる。叛逆の徒など一鼓で討てよう。」
范質は宮中に入り太后の裁可を請う。
韓通は府へ戻り、禁軍を召集して備える。
ところが禁軍教頭の王彦升が怒って叫んだ。
「天命はすでに帰した。なぜ自ら命を絶とうとするのか。」
そのまま兵を率いて韓通を捕え、迎え撃つ暇もなく一刀で首をはねた。
妻妾と次子も殺され、長子の韓松のみが遼へ逃れた。
詩にいう。
王事に忠を尽くした韓通。
世宗親征といえど幾人が並ばん。
逆を防がんと志は遂げず、
階前の冤血いまなお紅し。
匡胤は城中の騒ぎを聞き、急ぎ鎮圧を命じる。
范質と王溥が連れられて来ると、范質は毅然として責めた。
「公は世宗の親臣。今、孤寡に乗じて謀反とは、地下で先帝にどう顔向けする。」
匡胤は涙をこらえた。
「厚恩を受けながら、六軍に迫られここに至った。天地に慚じるばかりだ。」
そこへ羅彦威が剣を抜き、
「三軍はすでに検点を立てると決した。異議ある者は斬る。」
王溥は顔色を失い拝した。范質もやむなく拝する。
匡胤は自ら起こし、礼を尽くした。
詩にいう。
国祚は移り宋鼎は新た。
首陽で餓死した者は誰か。
一言違えば即座に拝す、
韓通の死こそ惜しまる。
やがて禅位の詔が読み上げられる。
「天は民を生み、牧を立てる。二帝は公を推して禅り、三王は時に応じて革命す。その理は一つ。
予は不徳にして人心は去り、天命は帰する。帰徳節度使・殿前都検点趙匡胤は聖資を稟け、神武の略を備え、高祖を佐け、世宗に仕え、東征西討に功を立てた。
天地鬼神は徳ある者を享け、民は仁に帰す。天に応じ民に順い、堯舜の禅譲に法る。予は賓となるのみ。天命を畏れよ。」
匡胤は北面して受命し、崇元殿に登り袞冕(天子の装い)を戴き、群臣の朝賀を受けた。
これが太祖皇帝である。
周主は鄭王とされ、国号は宋、改元して建隆元年とした。
世宗の治績を称える史も伝わる。
礼楽を整え、科目を設け、漢兵を破り、江北を平らげ、契丹を討った。
農を重んじ、仏像を鋳潰して民を利し、囚徒を恤み、淮南の飢えを救い、二税を定めた。
五代十二君の中でも名君であった、と。
だが国は速やかに亡んだ。
それは天が真の聖人を生まんとしたからか。日月が出れば燈火は消えるほかない。
太祖は父弘殷を宣祖昭武皇帝と追尊し、母杜氏を皇太后とした。
杜太后は喜ばず言う。
「為君は難しい。道を失えば匹夫にも戻れぬ。それがわが憂い。」
太祖は拝して教えを受けた。
功臣を封じ、范質・王溥を宰相とし、匡義を殿前都虞候、趙普を枢密直閣学士とした。石守信・張光遠・鄭恩・高懐徳らも重く用いられる。
華山の隠士陳摶はこれを聞き、笑って言った。
「天下はここに定まった。」
詩にいう。
夾馬営に紫気高く、
亥年の人ついに黄袍を着る。
世間はこれより多く事なく、
われ山に帰りて安眠す。
太祖は韓通の忠を惜しみ、中書令を追贈した。王彦升は擅殺の罪(自己の判断で殺したこと)で罷免され、終身用いられなかった。
詩にいう。
擅殺の罪は逃れ難し。
そもそも何ゆえ黄袍を進めたか。
功臣すでに死し、及ぶ由なし。
後代の子孫、ついに褒賞を失う。
こうして天下は定まり、仁明の主のもと太平が開かれた。
五代の干戈はようやく止み、
陳橋の兵変より太平の年が始まる。
黄袍と禅詔は須臾に至り、
三百年の大業、偶然にあらず。
『飛龍全傳』はここに終わる。
独語。
南唐を臣従させた後、北伐もなく伐蜀の議もなく、柴栄が腑抜けて終わってしまいました。
これはあくまで「趙匡胤の物語」なので、それを楽しめればいいのですが、やはり付け加えないと収まらないというか。
南唐臣従後、柴栄は富農層への課税の厳格化で不公平を排除し、特権的立場と刺史や節度使といった公権力との私的な結びつきを掣肘する政策を実行に移しました。
これは間接的ながら節度使の専権を弱める効果があり、後の「強幹弱枝」政策の道を拓く一手でした。そうして国内を固める一方で、北の遼朝に対して、奪われたままだった幽州奪還の兵を挙げます。
たしか南から先に攻略すべし、と軍師王朴に言われていたはずですが、初手は西に行き、ようやく南に取り掛かったと思ったら今度は北へと。
定見がないのか? いやそういうわけじゃないですね。
もとより後周朝の国力としては、南唐を完全覆滅させるにはまだ足らず、淮南道の切り取りをもって、南唐を従属させ朝貢を得ることをまず狙ったものと考えられています。
華南でいえば、呉越、荊楚はすでに後周朝の冊封国です。無理に事を起こすこともないと。
後蜀については、隴右山南四州をすでに攻略し、動揺を与えあわよくばこちらも臣従を期待したものの、頑なに拒絶の態度を取られたので、伐蜀の計画を進めました。それに対し後蜀は、国境に防衛軍を展開することになり、それがひいては国力に黒い影を落とすことになるのです。
後蜀を空振りさせておいて、柴栄は幽州を目指しました。
北を攻めるというのに船団を率いて運河を上ります。瀛州と莫州という、幽州の南で中国の領域に食い込んだ二州、いわゆる「関南の地」を攻めとりました。瀛・莫州はどうやら経済的な要地で、ここを得ることは大きいというわけです。
石敬瑭が割譲してより燕雲十六州を、たとえ二州といえども、武力で取り返したのは後周世宗だけでした。このあと、幽州を目前にして病に倒れ、幼君が後を継いで、以後は趙匡胤にバトンが渡るわけですね。
趙匡胤が禅譲という形をとった簒奪で至尊の座にありながら、後周王家に北面する態度で、唐末五代の狂った時代に終止符を打ったというのは、あまりにも美談にすぎますが、柴家の存続をもってそれが事実なのだと証明できるというわけですね。
