見出し画像

第四十五回 杜二公納婿應運 高行周遣子歸郷

第四十五回 杜二公、婿を納れて運に応じ、高行周、子を遣わして郷に帰らしむ。

 詞に曰く:

 軍旅は山と水辺に逗留し、
 思いは幾筋にも絡み合う。
 孤鴻のように独り去ることはせず、
 良縁に仮託して、年長者の許しを得る。
 紅い糸は翠の羽を結び、喜びの再会を得て、征を休めんと願う。
 功は四方に遍く、旗は至る所に立ち、磨き備えて自らを充たす。
 誰が虚勢を誇るのか、勢いは殺戮を招き、ただ凄愴を残すのみ。
 すでに天涯には隔てが多い。
 夕陽を振り返り、次の挙に備えて時を待つ。

 ――右、《隔浦蓮かくほれん》の調。

 さて、杜二公とにこうは趙匡胤を西書房へ案内して休ませ、いったん引き返して母の就寝を見届けたのち、夫婦で自室へ戻った。
 衣を解こうとした折、侍女が駆け込み、西書房で火が起きたと告げた。

 杜二公は驚いて気も乱れ、扉を開ける間もなく褚氏の手を引き、あわただしく書房の前へ走った。
 ところが、そこには火の粉ひとつ見えない。
 ただ、書房の屋根一面を覆うように、赤い光が差しているばかりであった。

 二人は門の隙から凝視した。
 匡胤は床に静かに眠っている。
 その戸口の上から、赤き真龍が一本、現れては消え、口より絶えず炎を吐き出している。

 二人は声を出すこともできず、しばらく見守った。
 やがて忍び足で身を引き、屋上の赤光をあらためて見れば、遠目にはまるで火事が起きたかのようであった。
 胸中は驚きに満ち、同時に喜びも湧き上がった。

 自室に戻ると、侍女に言い含めた。
「西書房へは近づくな。大爺たいやの安寝を妨げてはならぬ。」

 夫婦は腰を下ろし、しばらく沈思したのち、褚氏が口を開いた。
「あなた。趙家の甥は、頂に真龍の兆しを現しました。きっと後には帝位に就く運命でしょう。」

 杜二公はうなずいて言った。
「実は以前から、そのことを話そうと思っていた。
 去年の中秋の後、苗光義びょうこうぎという道人が山へ来て、わしの相を見て言った。
 外甥は真命の主である。兵を集め、糧を蓄え、後日その成就を助けよと。
その時は信じ切れなかったが、今夜この兆しを目にして、あの言葉が真であったと知れた。
 この子は、いずれ必ず天子となる。ただし、このことは、あなたと私だけの胸に収め、決して漏らしてはならぬ。」

 褚氏は言った。
「不思議なことに、昨夜三更の頃、夢を見ました。道装の白髭の老人が、帳簿を手に笑みを浮かべ、こう申したのです。
『そなたの娘、麗容には后妃の福がある。心して育てよ。真龍が現れた時、それが貴婿である。』
 私は答えました。
『私どもは緑林の身。娘にどうして后妃の分がありましょう。』
 すると老人は言いました。
『信じられぬなら、証を見せよう。ついて来よ。』
 夢の中で私は従って行きました。

 行き着いた先には、高く大きな宮殿がいくつも立ち並び、すべて金と玉で飾られ、整然としていました。
 内部のしつらえは豪奢で、これまで見たこともないほどでした。
 左右には彩女が立ち並び、中央には宮装の美人が一人、きらびやかに座っていました。
 あなた、あの中央に座っていたのが誰だと思いますか。」

 杜二公は言った。
「それは、わしに分かるはずもあるまい。」

 褚氏は続けた。
「他でもありません。あれは、私たちの娘でした。
 私は驚き、なぜここにいるのかと問いかけようとしましたが、その時あなたが寝返りを打ち、足で私の肩を蹴ったのです。
 それで目が覚め、外では嘍兵ろうへいがちょうど四鼓を打っていました。
 どうです、この夢、奇ではありませんか。」

 杜二公は呵呵かかと笑って言った。
「まことに奇妙な夢だ。だが惜しいことに、わしの寝返りが悪く、目を覚まさせてしまった。
 もう少しで、娘とともに福を受けるところだったのに。これは、わしの足の無礼。大罪として責めてくれてよい。」

 褚氏も笑い、軽く吐き捨てるように言った。
「まだそんな冗談を言うのですか。昨夜の夢と、今夜見た真龍。
 この二つは、もしや本当に姻縁で結ばれているのではありませんか。
 明日になったら、娘を本人の前で許してしまってはどうでしょう。彼が後に皇帝となれば、私たちは国丈の皇親です。後半生は、少しは威光を得られましょう。」

 杜二公は言った。
「外甥は、東京ですでに縁組をしていると聞く。今さら娘を許すのは、どうかと思うが。」

 褚氏は言い返した。
「あなたは本当に鈍い人ですね。皇帝には三宮六院があり、富貴の家には三妻四妾があるもの。
 正宮に縁がなくとも、偏宮に入ることは決まったようなものです。どうしてそんな愚かなことを言うのです。」

 杜二公は言った。
「急くことはない。実は私も同じ考えでいたが、あなたの本心を確かめたくて、あえてそう言っただけだ。夫婦の思いが一致した以上、明日は母に取り持ってもらおう。」

 褚氏は大いに喜び、言った。
「それでこそ。」

 こうして夫婦は話をまとめ、その夜は静かに眠りについた。

 翌日、夫妻は起き出すと、そろって老太太の部屋へ行き、この一件を伝えた。
 老太太は大いに喜び、侍女に命じて西書房へ趙公子を呼びにやらせた。
 侍女は返事をして出て行き、ほどなく匡胤を連れて戻ってきた。

 匡胤はまず挨拶を済ませ、こう尋ねた。
「外婆、孫をお呼びとのことですが、どのようなご用でしょうか。」

 老太太は言った。
「そなたを呼んだのは他でもない。ひとつ相談したいことがある。ただし、聞いた以上は従ってもらうよ。」

 匡胤は答えた。
「外婆のお言葉とあらば、孫は従わぬことはございません。」

 老太太は続けた。
「そなたの母舅には、いまだ男子がなく、娘が一人いるばかりだ。年は十五になる。その娘をそなたの妻に迎えてほしいのだが、どうかその好意を無にしてはならぬ。」

 匡胤は言った。
「そういうお話でしたか。しかし孫はすでに縁組をしております。それは外婆もご存じのはず。どうして再び表妹にご無理を申し上げられましょうか。」

 老太太は笑って言った。
「この子は、やはり分別が足りぬ。皇帝の家には三宮六院があり、富貴の家にも妻妾があるものだ。ましてそなたほどの人物ではないか。これは母舅夫婦がそなたを思えばこそ、娘を託そうというのだ。向こうが承知しているのに、そなたが断るとはどういうことだ。」

 匡胤は答えた。
「命に背くつもりはありませんが、一つには父母の許しを得ておらず、もう一つには軍務を帯びた身で、私事に及ぶわけには参りません。ただ、二人の大人たいじんの厚意はありがたく存じます。いずれ凱旋の折に父母へ申し上げ、そのうえで正式に話を進めたく存じます。」

 褚氏は、皇帝の婿となる縁を逃すまいと、すぐに口を挟んだ。
「甥と舅は至親ではありませんか。何を父母の命など待つことがあります。班師はんし(軍を帰還させること)を待つなど悠長すぎます。外婆がここで決めてしまえばよい。
 聘礼へいれいなども要りません。ただ一つ、証となる品を置いていけば、話はもう変わりません。」

 匡胤は言った。
「舅母のお言葉はもっともですが、孫は勅命を帯びており、身辺に取り立てて差し出せる物がありません。」

 褚氏はそれを聞くと、匡胤の全身を見回し、胸元に玉の鴛鴦えんおう(おしどり)が下がっているのを見つけ、手を伸ばしてそれを外し、手に取って言った。

「これでよいでしょう。」

 杜麗容にはもとより後宮に入る運があり、しかも褚氏が心を尽くして取り持ったため、この縁は自然とまとまったのである。
 これを詠んだ詩がある。

 偶然の深き眠りに真龍現れ、
 三更の夢に姿を結ぶ。
 志は定まり、心は専らにして縁を成し、
 姻縁に水山の隔てを論ずることはない。

 その後、匡胤は外婆と舅母に別れを告げ、杜二公とともに庁へ出た。そこで李通、周霸と対面した。

 李通は早飯を用意させ、一同で食事を済ませると、人馬の割り振りを行い、精鋭五千を選んで匡胤に従わせた。
 残りで同行を望まぬ者は山に留まり、引き続き守備と巡邏にあたらせた。
山寨の諸事は褚氏に任せることとした。

 李通の手配が整うと、周霸、杜二公とともに五千の兵を率い、匡胤に従って下山した。
 大営に至って兵を合流させると、総勢は一万六千となった。
 三将はあらためて鄭恩と董龍、董虎の両将に会い、互いに挨拶を交わした。

 匡胤は命じて号砲を放たせ、大軍は潼関へ通じる大道へと進軍した。
 このあたりのことは、ひとまず措く。

 さて一方、高行周は滑州から兵を引き、潼関に戻って以来、心が定まらず、病を得て、終日帥府にこもり静養していた。
 公子懐徳かいとくが付き添って世話をし、一時も離れなかった。
 大小の政務はすべて副帥の岳元福がくげんふくに委ねられていた。

 それから三か月も経たぬうちに、郭威が兵をもって汴梁を破り、漢の主を死に追いやり、すでに東京で即位し、年号を改めたとの報が届いた。
 高行周はこの知らせを聞いて、黙したまま何も言わなかった。

 さらに数日後、周主の詔書が天下に頒布された。
 外鎮の諸侯はすべて上表して臣下の礼を取り、官位と俸禄を加えられるべきこと。
 もし詔命に背く者があれば、謀逆の罪に問うという内容であった。

 高行周は詔書を読むや、胸中に怒りが燃え上がり、髪は逆立ち、叫んだ。
「老賊め。君主を弑し、天位を簒奪さんだつするという大罪を犯しながら、なお天下の諸侯を侮るとは何事だ。富貴は一時、悪名は万代に残る。
 この高行周は、漢の主から爵禄を受けながら、仇を討てなかった。それだけでも不忠であるのに、どうして志を変え、簒奪者に臣従できようか。
 それでは平生の名声を汚すばかりだ。」

 そこまで言うと、怒りが胸に満ち、たちまち目がくらんだ。
 老夫人と公子は慌てて支え、侍女に命じて湯水を取らせ、口に含ませた。

 高行周は半刻ほど昏倒していたが、やがて徐々に目を覚まし、長いため息をついて言った。
「私は兵を率いて東京へ向かい、主君の仇を討ちたい。しかし劉氏の天運はすでに尽き、老賊の興る時勢となっている。もはや天意を覆すことはできず、兵を失うばかりで益はあるまい。
 だが討賊に向かわねば、天下の諸侯の笑いものとなり、後の史書には、高行周は英雄を称されながら、刃を恐れて地位に安んじ、主君の仇も討てず、忠節を尽くして死ぬこともできなかったと記されよう。
 それで臣下の道と言えるだろうか。」

 あれこれ思い巡らしても、良策は一つも浮かばなかった。
 心は乱れ、判断も定まらず、やむなく衣を着たまま床に横になり、目を閉じて思案に沈んだ。

 それからまた数日が過ぎたある日、高行周はふと心に思った。
「我、高行周は、結局のところ無能なのだ。この時勢に及んで、今さら何を策し、何を案じるというのか。
 人の禄を食んだ以上、ただ己の心を尽くすほかあるまい。それこそが臣としての道理である。
 わしはわしの務めを尽くせばよい。それで理にはかなう。

 ただ、わが子懐徳だけが気がかりだ。
 あれはまだ幼く、しかも官職にも就いていない。どうして無実のまま、この禍に巻き込めようか。
 いっそ母子ともに山東へ帰し、田を耕して暮らさせれば、高氏の血脈も保たれよう。
 それならば、一つにはわしの威名と大節を全うでき、二つには一族を断絶させずに済む。」

 こうして決意を固めると、高行周は声をかけた。
「懐徳。為父いふは漢主の禄を受けた身である。主君はすでに亡くなったとはいえ、国を守るのが道理だ。
 天意がすでに定まった以上、あれこれ言うまでもない。結局は死ぬまでのことだ。

 だが、お前はまだ君恩を受けておらず、ここに留まっても益はない。
 身支度を整え、母とともに山東の祖地へ帰り、耕して食べて暮らせ。それでも日々は送れる。
 もし将来、行方知れずの弟が戻ることがあれば、兄弟仲よく、母を孝養し、天寿を全うさせよ。
 それは、わしに仕えるのと同じことだ。」

 もとより高行周には二人の子がいた。
 長子は懐徳、次子は懐亮という。
 懐亮は幼くして離散し、その行方は知れなかった。

 懐徳は父の言葉を聞き、こう申し上げた。
「父上が潼関を守り、漢主の仇を討たれようとするなら、子である私もここに留まり、お力添えをすべきです。
 それなのに、なぜ私だけ母とともに郷里へ帰れと仰るのですか。
 しかも父上は病が癒えておられず、なお養生が必要です。私が去れば、誰が身の回りのお世話をするのでしょう。
 それでは父上は心細く、私もまた人の子としての道を失います。どうか、今一度お考えください。」

 行周は言った。
「わが子よ。お前の言葉にも理はあるが、大義がまだ分かっておらぬ。それは年若く学びが足りぬゆえだ。
 為父が国を守るのは忠義を尽くすためであり、お前が父の言葉に背かぬことこそが大孝なのだ。
 わしの病も、さほど憂うには及ばぬ。
 それに郭威とて、みだりに兵を挙げて境を犯し、自ら敗亡を招くような真似はあるまい。
 わしの心はすでに定まった。これ以上言うな。早々に支度して立つがよい。」

 懐徳は、父の決意が固いと知り、もはや逆らうことができなかった。
 やむなく荷をまとめ、車馬を整えた。
 翌日、行周に別れを告げ、帥府を出立する。
 夫人は車に乗り、懐徳は馬にまたがり、母子二人はそのまま山東へ向かった。
 この件は、ひとまず措く。

補足。
 この『飛龍全傳』の元ネタともいうべき『南宋志傳』には、高行周、高懐徳、そして高懐亮のサイドストーリーがあって、それが『高家将物語』へと分岐しているようです。
 ここでは高懐亮がすでに行方不明ということになっていますが、もともとは高行周は息子らを率いて、滑州で郭威と戦ったものの帝星の輝きを見て兵を退き、後周朝の建国を許してしまい病気となってしまった。そこで、兄、高懐徳を都への偵察に送ったが、病が篤くなった高行周は高懐亮を兄の元に赴かせます。「もし運よく兄と会えたなら二人して周主に仕えよ。しからざれば山後の地へ行き応州を頼れ」と言いつけます。
 その後、高行周は亡くなってしまいます。そして高懐亮は兄を見つけることができず、応州、すなわち楊業ようぎょうを頼り落ち延びることになり、やがてその義子となり、名を楊懐亮と改め、楊家将の一員として登場することになります。
 なお、「山後の地」とは太行山脈以北を指し、遼国に割譲した燕雲十六州の西側ですね(なので応州は遼の支配下です……。楊業なら代州だろ!ということなのですが、どういったいきさつなのかは未調査)。

大塚秀高 歴史物語の生成と発展 -高家将物語を中心に 

 さて、高行周は母子を送り出してから、さらに数日を過ごした。
 ある日、後堂の門前に座り、国土を守り、仇を討つ策を思案していた。
 その時、関外から砲声が天地を震わせて響き、ほどなく探子たんし(偵察)が府に駆け込んできた。

「元帥に申し上げます。周主が兵を差し向け、潼関を征めに参りました。
 すでに城外に陣を敷いております。いかがいたしましょうか。」

 高行周はこれを聞いても、黙したまま語らなかった。
 心中で思った。
「周主に何の人材があるというのか。将もなく、いたずらに兵を動かせば、ただ自滅するのみだ。」

 左右に命じて探子に褒美を与え、持ち場へ戻らせた。
 だが、ほどなくして二度、三度と同じ報が入った。

 これに高行周は歯を食いしばり、目を吊り上げ、汴梁の方角を指さして罵った。
「郭威め、この簒奪の賊が。わしが病であるのをよいことに、兵を起こして城を犯し、我が名を侮るとは何事だ。
 虎は痩せてもなお猛々しい。老賊よ、今回は見誤ったな。
 この高行周に兵を向けた以上、片甲へんこうも残さず返すまい。」

 そして命じた。
「関上の守備を固め、昼夜の巡邏じゅんらを怠るな。灰瓶や石を多く備え、攻城に備えよ。
 策が定まり次第、出兵して賊を討つ。」

 中軍官は応じて兵を率いて去った。
 さらに高行周は密かに探事人を城外へ遣わし、来攻の将が誰で、名を何と申すのか探らせた。

 探事人は命を受け、密かに城を出た。
 調べを終えて戻った時には、すでに日が暮れていた。
 急いで帥府に入り、報告する。

「元帥に申し上げます。
 敵軍を率いている者は、まだ官職には就いておりません。漢主の殿前都指揮、趙弘殷の長子で、名を匡胤と申します。
 確かに調べ上げましたので、ここにご報告いたします。」

 高行周は、趙匡胤が兵を率いていると聞き、思わず息をのんだ。
 高行周は当代きっての猛将で、戦陣でどれほどの豪傑を見てきたか分からぬ。
 それなのに、なぜ趙匡胤の名を聞いただけで、これほど動揺したのか。

 それには理由があった。
 高行周は、驚くべき秘術を持っていた。
 それは麻衣神相まいしんそうである。
 若い頃からこの術を修め、精妙を極め、人を一目見れば、その寿命の長短、一生の栄枯盛衰を見抜いた。
 その相は神のごとく、外れたことがなかった。

 しかも趙弘殷とは同じ殿中に仕えたことがあり、匡胤の相を見たこともあった。
 その時、帝王の福と大貴の相を備えていると見抜いていたのである。
 それゆえ、匡胤が来ると聞き、心底から驚いたのだ。

 探事人を送り出したあと、高行周は後堂に一人座り込み、うつむいて考えた。

「もし他の者が兵を率いて来たのなら、何とも思わぬ。だが、来たのがあの男とは。彼は命も運も強い。そんな者と陣を交えれば、将を失い兵を損なう禍は避けられまい。
 これを見るに、やはり天がわしを滅ぼそうとしているのだ。大貴の人が兵を率いて来る時に、わしは病に伏して出陣もできぬ。これをどうしたものか。」

 短く嘆き、長く嘆いても、策は一つも浮かばなかった。
 夜になり、燭を灯して寝所に入ったが、心は落ち着かず、安らかに眠れない。

 更鼓の音に耳を澄ますと、ちょうど三更であった。
 衣を羽織って起き上がり、庭に出て、天を仰いだ。
 すると、明るい星々が朗々と輝き、周軍の陣を照らしている。
 それに引き替え、自らの主星は光を失い、今にも落ちそうに揺れていた。

 高行周は驚き、胸が突き上げられるようになった。
 金風が身を打ち、冷汗が一気に噴き出す。
 目がくらみ、頭がふらつき、立っていられず、慌てて欄干にもたれた。
 しばらく息を整え、ようやく心神が落ち着いた。

 やがて人を呼び、支えさせて部屋へ戻り、柔らかな寝台に横になり、目を閉じて静養した。

 まさに、
 運が来れば人は我を敬い、
 時が衰えれば、我は人を恐れる。
 我は真に彼を恐れるにあらず、
 恐るべきは、彼に備わる天命である。

 さて、匡胤の軍勢は潼関に到着し、陣を敷いて翌日の決戦に備えた。
 ところが十日が過ぎても、城中からは一兵一将たりとも出てこない。
 匡胤は不審に思い、密偵を放って四方を探らせ、高行周がひそかに兵を動かし、奸計を巡らせているのではないかと警戒した。
 密偵が調べて戻ってきたところ、どこにも動きはなく、匡胤はようやく胸をなで下ろした。

 そこで攻撃を試みようとしたが、道は狭く険しく、進軍は困難で、徒労に終わるばかりであった。
 潼関は陝西・河南・山西の三省が接する要地で、道は狭隘きょうあい、包囲も難しい。
 そのため「鶏鳴三省けいめいさんせい」「金斗潼関きんとどうかん」と称され、一人が守れば万の兵も入りがたい、まさに天下の険関である。

 攻めあぐね、しかも高行周が一向に出陣しないため、匡胤の胸には焦りが募った。
 そして罵った。
苗光義びょうこうぎという牛鼻子ぎゅうびしの道士め。王府であれほど口先巧みに、運が来れば凶も吉に変わるだの、潼関へ行けば必ず勝つだのと言っておきながら、ここへ来て十日余り、敵は一兵も出てこぬではないか。
 結局は、あやつの出まかせで、人を騙しただけではないか。」

 鄭恩は言った。
「二哥、そう性急になるな。苗先生の占いは、これまで一つとして外れたことがない。
 俺はあの先生を大いに信じている。しばらく待ってみれば、きっと言葉どおりになる。」

 匡胤は答えた。
「三弟、お前は情勢が分かっておらぬ。用兵の道は迅速を尊ぶ。日を延ばせば、兵は弛み、敵に策を練る時間を与える。
 それでは必敗だ。どうして待っていられようか。」

 鄭恩は笑って言った。
「待とうが待つまいが、俺は構わん。兵も食糧も十分ある。酒も飲めるし肉も食える。
 この機に、もう少しのんびりしても悪くはあるまい。そんなに急いで帰ってどうする。
 帰ったら、郭威という驢馬ろば野郎に、また殺されかねんぞ。」

 匡胤は言った。
「くだらぬことを言うな。今の策は、高行周と会戦するしかない。天が助けてくれれば、勝機もある。
 だが、あやつが関に籠って出てこず、時を引き延ばせば、我が軍の糧が尽きた時、どうする。
 何としても罵り出して、戦うほかない。」

 鄭恩は言った。
「二哥、高行周を出てこさせたいなら、難しいことではない。俺に手立てがある。」

 匡胤は問うた。
「どんな方法だ。」

 鄭恩は言った。
「忘れたか。
 以前、野鶏林やけいりんで韓通を引きずり出した時のことを。あの時も、俺が思いきり罵ったからこそ、あの驢馬野郎は出てきた。
 今日も同じ手を使えばよい。高行周も必ず出てくる。」

 匡胤は言った。
「それなら、その役は賢弟に頼もう。」

 鄭恩は笑った。
「この役は、俺でなければ務まらん。」

 そう言うと、酸棗さんそうの棍を手に取り、黒馬にまたがって関の下へ駆け出し、大声で罵り始めた。
 関上を守る兵がこれを見て、急いで帥府へ報告した。

 高行周は、心中の疑念と病の重さゆえに、自ら兵を率いて出ることができず、
「守りを固めよ。相手にするな。病が癒えてから出兵を考える。」
と命じた。

 そのため鄭恩は、関外で一日中罵り続けても何の反応もなく、むなしく陣へ引き返した。
 それが四日、五日と続いても、関上は一向に応じなかった。

 ところが、高行周配下の将士たちは、主帥の病が重く軍事を顧みないうえ、関外では周軍が連日辱めて挑戦してくるため、恐怖と動揺に包まれた。
 彼らは急いで帥府へ訴え出た。

 高行周はこれを聞くと、胸の奥から闘志が噴き上がり、激しい怒りに駆られて叫んだ。
「気が狂うわ。」

 そして左右に命じた。
「城門を開けよ。兵を率いて、打って出る。」

 ここに一つの教えがある。
 策がいかに多くとも、去った天心は引き戻せない。
 万夫の勇があろうとも、迫り来る兵勢には抗しがたい。

 まさに、

 国を守り君に尽くさんとする志は空しく残り、
 身を捨てて国に報いんとする心だけが湧き上がる。

 さて、高行周はいかにして会戦するのか。
 それは次回に譲ろう。

独語。
 直接血のつながりがないにしても、趙京娘には同姓ということで、婚姻を断りその命を去らしてしまい、杜麗容は近い親戚なのに婚姻に抵抗がない。
 割と釈然としない部分ではあります。京娘を自害させる話運びがそもそも気にくわないわけですが。それは趙匡胤を聖人として強調する要素足り得るのか? とまぁ、今更ながらに疑問のあるところですね。
 ところで、趙匡胤や鄭恩の配偶者は登場していますが(架空の人物とはいえ)、柴栄の伴侶が出てこないですね。


いいなと思ったら応援しよう!