🎹【小6予選編第5話】神セブン先生の魔改造:チョコに魂を売る「音のショコラティエ」への道
バッハの「厳格な祈り」を、なんとか形にしたかもしれない。
そんな淡い達成感に包まれたのも束の間。
神セブン先生から、インヴェンションの難易度を遥かに凌駕する、あまりに過酷なミッションが下されました。
「予選通過の合否は、間違いなく近現代課題曲、湯山昭先生の《チョコ・バー》が鍵を握ります」
画面越しの先生は、その端正で涼やかな顔立ちからは想像もつかないほど冷徹に、しかし極めて現実的に、勝負の鉄則を突きつけます。
「ピティナの予選では、全員が近現代を弾きます。
正確さだけでは、確実に埋もれる。
必要なのは、“一音目で客席を振り向かせる力”。圧倒的なキャラクターです。
今のままだと……正直、予選通過は運次第。徹底的にテコ入れしましょう」
運次第——。
その一言は、予言のような重みを帯びて、私たちの心臓に静かに突き刺さりました。
優しい慰めは一切なし。現実を突きつけ、最短距離で勝ち筋を示す。
これぞ、神セブン先生のカリスマたる所以です。
目指す理想像は、ただ一つ。
北海道の至宝——ロイズのチョコバー。
あの、パキッと小気味よく割れる板チョコ。
溢れんばかりに散りばめられたナッツ。
そして、最後に訪れる、重厚で幸福感に満ちた口どけ。

一方で、肝心の娘の現状といえば——。
私:「……娘よ。今の演奏、チョコというより……乾いた煮干しだわ」
娘:「え。だってお菓子の曲でしょ? テキパキ弾けばいいんじゃないの?」
そう。
娘の演奏は「音符は全部正しい。」
しかし、ただそれだけ。
指は回っているのに、味がしない。甘みも、ワクワクも、皆無。
そこで始まったのが、神セブン先生による
《チョコバー・ロイズ化改造レシピ》の伝授でした。
まずは——
パキッと折れる「スタッカート」
「冷蔵庫から出したての板チョコを、迷いなく折るイメージです。
先ずはスタッカートが緩すぎます。スタッカートだけ抜き出して徹底的に練習してください。
今のままだと、チョコじゃなくて“湿気ったココアクッキー”です。
スタッカートが甘いと、アーティキュレーションがぼやけて、全部がただの指回しになります」

冷静。容赦なし。でも、言ってることが怖いくらい正しい。余計な余韻は残さない。切れ味こそが、最初のインパクト。音の立ち上がりで、聴き手の脳を一瞬で覚醒させる。
次に——ねっとり絡みつく「中間部」
「ここは腕を大きく使って。あえて、指を寝かせてください」
中に潜むキャラメルが、
糸を引きながら絡みついてくる——
そんな粘度を、音で表現するのです。

その一瞬で、音が“溶け始める”。
そして、クライマックス——
ラストの「口どけ」
終盤に向けて一気に熱量を高め、
最後は、チョコが口の中でとろ〜りと溶けていく、あの至福の余韻。
余韻が残らなければ、
それはもう“チョコバー”ではない。
私:「ほら! もっと腕を大きく! 指を寝かせて! キャラメルの粘り気よ!」
娘:「わかってる! 今、指先からキャラメル成分、必死で抽出してるから!」
私:「あ、今! 最後! チョコが溶けきらずにジャリッといった!」
娘:「お母さん……注文多すぎて、私の脳みそが糖分不足で溶けそう……」

バッハで鍛えた「一点集中」を、
今度は「チョコの食感」や「キャラメルの粘度」へと翻訳する——
あまりに高度で、あまりに酷なミッション。
けれど、神セブン先生の言葉に導かれながら、
私のアホなヤジを適当に聞き流しつつ、娘の眼差しは次第に変わっていきました。
それはもう、
一粒のチョコに魂を売ったショコラティエのような、異様なまでの集中力。
そもそも作曲者、湯山昭先生は、
子ども向けの作品であっても、遊び心の裏側に、
・鋭いリズム感
・緻密な音色設計
・舞台で“映える”音楽的仕掛け
それらを、容赦なく仕込んでくる。
だからこそ、《チョコ・バー》は「可愛い曲」では終わらない。
弾き手のセンスと覚悟が、丸裸にされる曲なのです。
果たして——
我が家の「煮干し演奏」は、神セブン先生の導きのもと、ロイズ級の口どけへと進化できるのか。
予選本番、
客席の誰かが思わず「……美味しそう」と感じてくれたなら。
それはもう、
この曲に、ちゃんと勝った証なのだと思います。

