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ダンテ『神曲』~仏教の地獄と浄土との比較も面白いイタリア文学最高の古典

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ダンテ『神曲 地獄篇』あらすじと感想~仏教の地獄との比較も面白いイタリア文学最高の古典

今回ご紹介するのは14世紀初頭にダンテ・アリギエーリによって書かれた『神曲 地獄篇』です。私が読んだのは2008年に河出書房新社より発行された平川祐弘訳の『神曲 地獄篇』です。

早速この本について見ていきましょう。

一三〇〇年春、人生の道の半ば、三十五歳のダンテは古代ローマの大詩人ウェルギリウスの導きをえて、生き身のまま地獄・煉獄・天国をめぐる旅に出る。地獄の門をくぐり、永劫の呵責をうける亡者たちと出会いながら二人は地獄の谷を降りて行く。最高の名訳で贈る、世界文学の最高傑作。第一部地獄篇。

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ダンテ・アリギエーリ(1265-1321)Wikipediaより

『神曲』といえば誰もがその名を知る古典ですよね。ですがこの作品がいつ書かれて、それを書いたダンテという人がどのような人物だったのかというのは意外とわからないですよね。

というわけで本題に入る前にダンテのプロフィールを簡単にご紹介します。

1265年、トスカーナ地方フィレンツェ生まれ。イタリアの詩人。政治活動に深くかかわるが、1302年、政変に巻き込まれ祖国より永久追放される。以後、生涯にわたり放浪の生活を送る。その間に、不滅の大古典『神曲』を完成。1321年没

河出書房新社、ダンテ、平川祐弘訳『神曲 地獄篇』より

ダンテはイタリアルネサンス文芸を代表するペトラルカ(1304-1374)やボッカッチョ(1313-1375)より少し前の世代の人物になります。

彼がフィレンツェ生まれであるということにまず驚きましたが、政治の争いに巻き込まれたことで追放されてしまったというのもびっくりですよね。そしてこの追放への様々な思いから書かれたのが今回ご紹介する『神曲』になります。祖国への思いや権力闘争、不正への憤りがこの作品の原動力になっていたと思うとまたこの作品が違って見えてきますよね。

さて、この『神曲』ですが、主人公はダンテ本人。そのダンテが地獄、煉獄、天国を巡っていくというのが大きな筋となりますが、『神曲 天国篇』の解説では『地獄篇』について次のように解説されています。

『神曲』は序歌を含む地獄篇Inferno三十四歌、煉獄篇Purgatorio三十三歌、天国篇Paradiso三十三歌、計百歌から成るまことに均斉のとれた壮大な詩作品である。

その筋は人生の道の半ば、三十五歳の年に、ダンテが地獄、煉獄、天国を西暦一三〇〇年大赦の年の復活祭に一週間にわたって旅をした、という形を取っている。聖木曜日の夜からの旅であり、四月八日から十五目までとする学者もいる。罪を寓意する森の中でダンテが迷っていた時に、ウェルギリウスが現われ、彼を地獄や煉獄へ案内して救う旨約束してくれるのだが(地獄篇第一歌)、このウェルギリウスは実はべアトリーチェの懇願によってダンテを救いに来たのである(同二歌)。

地獄の門を潜って二人は金曜の日没から土曜の日没までの二十四時間の間に地獄を見るのだが、そこでは次のような分類に従って人々が罰せられている。地理的な分類は同時に神学的な分類ともなっている。

河出書房新社、ダンテ、平川祐弘訳『神曲 天国篇』P509-510

ベアトリーチェというのはダンテの憧れの女性です。ですがダンテと彼女は結ばれることなく、彼女は他の男性と結婚し1290年に24歳で亡くなっています。ダンテはその死を半狂乱になるほど嘆いたそうです。

そしてダンテを導くウェルギリウスとは古代ローマの偉大な詩人です。

本書挿絵より

ウェルギリウスといえばヨーロッパ文化の源泉とも言える偉大な詩人です。彼の代表作『アエネーイス』『牧歌』は当ブログでも紹介しました。

そんなヨーロッパ最大の詩人という最高の案内人を得てダンテは地獄めぐりに出発します。

本書挿絵より

さて、ここから地獄の描写が始まっていくのですがこれが非常に面白い!

『神曲』では地獄が階層状に描かれます。

ボッティチェッリの 地獄の図 c. 1490年 Wikipediaより

下へ行けば行くほど罪の重い人間が置かれていて、下のリストにもありますように、それぞれの罪状に応じて地獄の責め苦を味合わされることになります。

基本的には物理的な方法で身体を痛めつけるのが地獄の責め苦のパターンになります。火で炙られるというのも『地獄篇』ではたくさん出てきます。

ですがこの作品を読んでいて驚くのは、時にユーモアが感じられるような刑罰が存在しているという点です。

本書挿絵より

これは第八の圏谷たに)の第三の|濠《ほりなのですが、ここでは聖職売買を犯した罪人が罰せられています。穴の中に逆さまに埋められ、地表に出た足が炎に焼かれているのがこの罪人たちなのですが、挿絵で見てみるとなんとも間抜けなようにも思えてしまいますよね。

たしかに穴の中に逆さに埋められ足を延々と焼かれるというのは想像を絶する痛みを伴う責め苦でしょう。ですがどうも恐怖を感じさせない何かがあるのです。挿絵の影響も大きいのでしょうが、本文を読んでいてもどこかユーモアと言いますか皮肉めいたものが感じられます。聖職売買を犯した罪人たちへの怒りや嘲笑をダンテはここで暗に込めようとしていたのかもしれません。

『神曲』では他にも不思議な責め苦が語られるのですが、この作品で私が最も驚いたのは地獄の最下層の描写でした。

本書挿絵より

悪魔大魔王が控えるこの地獄の最下層なのですが、なんと!この場所は氷漬けの世界なのです!

私たちのイメージからすると地獄といえば燃え盛る炎のイメージがありますよね。

ですが『神曲』では違うのです。ここはキンキンに冷えた氷の世界で、罪人たちは全身を凍らされて苦しんでいるのです。

私が『神曲』を初めて読んだのは大学三年生の頃でした。今から10年以上も前です。ですがこの地獄の最下層の氷漬けの世界を初めて目にした時の衝撃は今でも忘れられません。

「キリスト教の地獄の一番底は氷の世界なのか!仏教と真逆じゃないか!」と私は仰天したのです。

仏教における地獄の最下層は無間地獄(阿鼻地獄)といって、その名の通り「間なき苦しみ」をもたらす地獄です。想像を絶する灼熱に永遠とも思える時間焼かれ続ける。それが無間地獄になります。

仏教には八大地獄というものがあり、罪の重さによってどんどん厳しい責め苦が行われることになります。その一つ目の地獄から灼熱の炎はその最大の責め苦の一つとなっていて、地獄を下れば下るほどその火力はすさまじいものになっていきます。

ですので私が初めて『神曲』を読み始めた時、前半は仏教と似ているなと思ったのです。ですが最後の最後でキンキンに冷えた極寒の世界が出てきてそれはそれは驚いたものでありました。

たしかに仏教でも八寒地獄という氷の概念はあるにはあります。ですがそれは基本的には前面に出てきませんし、やはり地獄といえば炎というのが基本になります。

最も重い罪を犯した人間を罰するのに片や最大火力で焼き尽くし、片やキンキンの氷漬けを科すというこの違いは私にとって非常に興味深いものがありました。

もしかすると、キリスト教はもともとイスラエルという灼熱の砂漠で生まれたユダヤ教をベースにできたということで、熱さにある程度慣れていたというのもあるかもしれません。また、ローマカトリックがあるイタリアも比較的温暖な気候です。ダンテの生まれたフィレンツェも北極圏のような極寒とは無縁だったでしょう。

そんな極限の寒さを知らない人たちにとって、全身が氷漬けになってしまうような寒さというのはそれこそ「想像もできないようなもの」だったのではないでしょうか。

「想像を絶するもの」だからこそ怖い。それがどんなものだかわからないからこその恐怖というのもありますよね。

もしかしたらそういう背景があったからこそ地獄の底がキンキンに冷えた氷の世界だったのかなとも想像してしまうのでした。

日本だと冬はかなり冷えますので氷漬けの世界は想像がたやすいと思います。ですので氷漬けの世界に対する恐怖がそこまで怖いものとは映らなかったのではないでしょうか。(もちろんその辛さは十分知っていますが)

これらのことは詳しく研究したわけではないので、これはあくまで私の想像です。興味のある方はぜひ調べて頂ければなと思います。私もいずれ調べてみたいと考えています。

地獄をより知るための入門書としては洋泉社より発行された『地獄絵大全』という本がおすすめです。

大判でフルカラーで地獄絵を見ることができますし、解説も入門書ということでとてもわかりやすいです。地獄に関する本は他にもたくさん出ているのでいずれこのブログでも紹介していくことになると思います。

ぜひダンテの『神曲』と仏教の地獄絵をセットで見て頂けたらなと思います。比べながら『神曲』を読んでいくとそれ単体で読むよりさらに面白く読めること請け合いです。ぜひぜひおすすめしたいです。

ダンテ『神曲 煉獄篇』あらすじと感想~煉獄はいつから説かれるようになったのか。中世ヨーロッパの死生観とは

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二人の詩人、ダンテとウェルギリウスは二十四時間の地獄めぐりを経て、大海の島に出た。そこにそびえる煉獄の山、天国行きを約束された亡者たちが現世の罪を浄める場である。二人は山頂の地上楽園を目指し登って行く。永遠の女性ベアトリーチェがダンテを待つ。清新な名訳で贈る『神曲』第二部煉獄篇。

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前作『地獄篇』で案内人ウェルギリウスと共に地獄を巡ったダンテは、今作で煉獄という場所を巡ることになります。

本書挿絵より

煉獄は上の本紹介にもありますように、天国でも地獄でもなく、いわばその中間にある場所です。天国へ入る前に身を清めるための場として煉獄はあったのでした。

上でもお話ししましたが、私が『神曲』を初めて読んだのは10年以上も前です。その時はキリスト教の知識もほとんどなかったため煉獄についても特に疑問を持つことなく読み進めていった記憶があります。

ですがここ数年ドストエフスキーをきっかけにキリスト教の歴史ともより関わることになりました。そして改めて聖書やその教義などと照らし合わせて考えるとみると、「煉獄」という概念はローマカトリック特有のものであることや、煉獄の教義はそもそも聖書に書かれていたものではないということを知りました。

そういう前提を知った上で『煉獄篇』を久々に読んでみたのですが、私の中でふとある疑問が浮かんできました。

「そもそも煉獄っていつから説かれるようになったのだろう」と。

煉獄が聖書に書かれていないとしたらその後で誰かがそれを生み出したということになります。ではそれはいつ頃だったのだろうか、なぜ煉獄が生み出されたのだろうか、そういうことが気になってきたのです。

というわけで手にしたのが松田隆美著『煉獄と地獄 ヨーロッパ中世文学と一般信徒の死生観』という本でした。

この本では煉獄がどのようにして生れてきたのか、中世の人々はどのような死生観を持っていたのかということがかなり詳しく説かれています。

この本の中で語られていたのは中世ヨーロッパにおいて、死の前に聖職者による「秘跡」という罪の赦しが行われれば死後の天国行きは間違いないという考え方があったそうです。ですが単に罪を赦されただけでは不十分で、しっかりと罪を贖わなければならないという条件があります。赦されはしても罪の償いはしっかりしなければならない。では罪を贖う前に死んでしまったらどうするのか。そういう問題が生まれてきたそうです。そこで死後にも罪を贖う必要があるという考え方が生まれてきたようです。

この前提の下、著者は煉獄の発生について次のように述べています。

罪が償いに先んじて赦されることで、償いをいつまでに終えるべきかについても柔軟な姿勢が認められるようになり、その変化は死後の償罪の有効性に対してより強固な基盤を与えることとなった。

そして、死後に償いをするためだけに準備された場所として、天国とも地獄とも異なる場所、すなわち煉獄が死後世界の地図に登場してきた。煉獄の存在が公に認可されたのは一二七四年の第二リヨン公会議だが、ジャック・ル・ゴフは、具体的な場を表す固有名詞としての「煉獄」が文献に登場する時期を根拠として、それよりも一世紀は早く一一七〇~八〇年頃に煉獄は死後世界の地理に誕生していたと結論づけている。

煉獄の成立時期については諸説あり、実際、煉獄が天国や地獄といかなる位置関係にあり、そこでの償罪の苦しみがいかなるものかについては、後述するように中世人の想像はなかなか定まらなかったが、一二世紀頃から煉獄は死後の償罪の場として確立し、一般信徒にも喧伝されるようになったことは間違いないだろう。

煉獄の誕生は告解の秘跡の変化と並んで、中世後期の死生観に大きな影響を与えた。罪の赦しが償いの完遂に先んじて与えられるようになったことで、信徒がひとまずは罪は赦されたという安堵と神への信頼をもって償いの遂行へと向かうことを可能とし、さらに、煉獄の成立により、もし償いをやり終えずに死を迎えたとしても、それを死後に完遂できると保証されたことになる。

さらに、小罪については(何を小罪と見なすかはともかくとして)、万一それを覚えておらず、したがってその罪を告白することなく死んでも、煉獄での償罪によって完全に償うことが可能と見なされた。つまり、極端な話、自分が犯した個々の罪をすべて思い出せなくとも、罪を告白して赦されて死ぬことができれば、煉獄で罪を浄めた後に天国に迎えられることが約束されるのである。
※一部改行しました

ぷねうま舎、松田隆美『煉獄と地獄 ヨーロッパ中世文学と一般信徒の死生観』P70-71

これを読んで私は思わず「ほぉー!」と唸ってしまいました。なるほど、そういうことだったのですね。

煉獄は12世紀頃に生まれたと。となればダンテの『煉獄篇』は割と新しい思想である煉獄を描いていたということになります。

そして上の解説の最後で、

「つまり、極端な話、自分が犯した個々の罪をすべて思い出せなくとも、罪を告白して赦されて死ぬことができれば、煉獄で罪を浄めた後に天国に迎えられることが約束されるのである。」

と述べられていたことも重要です。

ヨーロッパの文学を読んでいると、登場人物が亡くなりそうな時に神父さんがやってきて最後の秘跡を与えるという場面に出くわすと思います。その意味はこういう所にあったのですね。

私は正直、「それまで散々悪いことをしてきた人が死ぬ直前に懺悔して秘跡を受ければそれで救われる」というのはなかなかに虫がいい話だなということを意地悪ながら思ったことがあります。

ですが彼らは死後煉獄で罪を償っていたのです。そしてその罪をしっかり償えば天国に間違いなく入れるという安心感を持っていたのです。

西洋文学では19世紀の小説でもこうした臨終の秘跡が出てきます。いかにこうした死生観が西洋人の心に根深くあったかということを考えさせられます。

さらに言えば、ある意味この臨終の秘跡を受けるかどうかでその人のキリスト教観というものも見えてくるということも言えるかもしれません。興味深いことに『レ・ミゼラブル』の主人公ジャン・ヴァルジャンはこの臨終の秘跡を断っています。ではその意味するところはどこにあるのか。ユゴーは何を言いたかったのか。こうしたことを考えながら読むのも面白いですよね。ミリエル司教に救われたジャン・ヴァルジャン。彼はキリスト教を信じていなかったのか。これはぜひじっくりとレミゼを味わって頂ければなと思います。

初めて読んだ時は『神曲 煉獄篇』についてあまり深くは考えてはいませんでしたが、ダンテが生きた時代背景とものすごく密接に絡み合って生まれたのがこの作品だったということを改めて知ることになりました。より詳しくは今回ご紹介した参考書『煉獄と地獄 ヨーロッパ中世文学と一般信徒の死生観』をぜひ読んで頂けたらなと思います。

ダンテ『神曲 天国篇』あらすじと感想~「天国・浄土の生活はつまらない」問題について考えてみた

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三昼夜を過ごした煉獄の山をあとにして、ダンテはベアトリーチェとともに天上へと上昇をはじめる。光明を放つ魂たちに歓迎されながら至高天に向けて天国を昇りつづけ、旅の終わりにダンテはついに神を見る。「神聖喜劇」の名を冠された、世界文学史に屹立する壮大な物語の完結篇、第三部天国篇。巻末に「詩篇」を収録。

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『神曲 天国篇』は上で紹介した『神曲 煉獄篇』の続きになります。

著者であり主人公のダンテは『地獄篇』で案内人ウェルギリウスと共に地獄を巡り、そこから『煉獄篇』で煉獄という場所を巡ることになりました。そしてこれから紹介する『天国篇』ではいよいよダンテは天国へ向かいます。

本書挿絵より

天国は私たちの生きる現世とは違い、いとやんごとなき光の世界でもあります。そして高貴な方々や天使たちがそこにおられます。そして彼らは群をなしダンテの前に現れることになります。

ほん本書挿絵より

無数の天使や天国の住人がこうして列をなし神への讃嘆を唱えているのがこの天国になります。

天国の住人たちは大いなる天で神を称えて生活していたのでありました。ダンテもこの作品の中でその圧倒的な光景にただただ感嘆するのみでした。

・・・ですが、この作品を読んでいる私たち読者はどうでしょうか。

正直申しまして、私はこの天国篇が読みにくいことこの上なかったのです。

このように言ってしまっては西洋文学最大の古典に対して非常に失礼になってしまうのですが、『地獄篇』『煉獄篇』『天国篇』と先へ進む度に面白さが減じていくように感じてしまいました。一番最初の『地獄篇』が最も面白く、ダンテの筆も生き生きとしているように感じてしまうのです。

天国の住人たちはただひたすら集団で神を讃美し続けます。その描写がかなりワンパターンになってしまうのも大きな要因でしょうし、やはり天国というのは煩悩を具えた私たちにはなかなか理解することが難しく、憧れることすら困難だということがあるのかもしれません。

私が『天国篇』を初めて読んだのは大学三年生の頃、つまり10年以上前のことになります。その時一番感じたのは「なんか、天国はそんなに楽しそうじゃないな・・・」という、何とも身も蓋もない思いだったのを今でも覚えています。

とてつもなく罰当たりな考えを持ってしまった私ですが、実はこれと同じことを感じていた人がやはり世の中にはいたようです。松田隆美著『煉獄と地獄 ヨーロッパ中世文学と一般信徒の死生観』ではこのことについて次のように語られています。

「つまらない」天国

天国の喜びが身体的欲求とは無縁で、光や宝石の輝きによって象徴的にしか表現できないものであれば、世俗文学においては、こうした天国の情景がつまらないものとして揶揄されることも理解できる。前述のコカーニュの国では、今や第三圏に上げられた地上楽園の魅力の乏しさが次のようにあげつらわれている。

楽園は光り輝き愉快かもしれないが、
コカーニュのほうがもっと美しい。
楽園には野と花と緑の小枝以外には何があるというのか?
大いなる喜びや楽しみがあったとしても、
食物は果物しかない。
館もあずまやも長椅子もない。
渇きを癒すには水しかない。
人だって、エリヤとエノクの
2人しかいなくて、もう誰も住まない場所を、
哀れっぽく歩いているのだ。

また、一二九〇年頃にフランス語で記された宮廷風騎士物語へのパロディ、『オーカッサンとニコレット』では、騎士のオーカッサンが天国に送られる者たちの退屈さを嘆いている。

天国でわたしに何をしろと申すのか。これほどにいとしゅう思うている恋人ニコレットが一緒でなければ、天国には行きとうもない。天国にはこれから申すような人間どもしか行かないのだ。

そこに行く奴原やつばらはあの老いぼれの坊主どもに、老いぼれのびっこひき、腕のない不具者、この連中ときたら日がな一日、夜は夜通し祭室や古い地下祭室クリプトうずくまっている輩だ。それに例のごとく擦り切れた外套や古いぼろをまとい、靴も股引もはかず裸同然、飢えと渇き、寒さと貧窮のために死にそうになっている連中さ。こんな手合が天国に行くのだ。そんな奴らに用はない。

わたしが行きたいのは地獄さ。地獄には美男の僧侶に騎馬試合や大合戦に討ち死した美丈夫の騎士、勇敢な郎党どもに高貴な者が行くのだ。そんな連中とこそ一緒になりたいものだ。おまけに夫のほかに二人、三人と情人を持つほどに典雅美麗なる婦人たちも行きまするぞ。金や銀、玉虫色や銀鼠色のりすの毛皮、竪琴弾きに旅芸人、はては浮世の王様方も行きまする。わが愛しのニコレットさえ一緒なら、わたしが行きたいと思う所もそこなのだ。


キリスト教の天国は物質的な豊饒と現世的快楽の延長線上には存在しない。しかし、喜びをそのようにしか認識しない俗世の主人公にとって天国は魅力に乏しく、そしてそうした人間たちの世界を描く世俗の物語文学にとって天国は対象外なのである。
※一部改行しました

ぷねうま舎、松田隆美『煉獄と地獄 ヨーロッパ中世文学と一般信徒の死生観』P195-197

そしてもう一カ所、こちらは天国ではなくその直前の地上の楽園について書かれた場所なのですがこちらも非常に重要な指摘がなされているので引用します。

楽園では生きるために食物自体を必要としないと考えるならば、豊饒を享受する意味もない。現世での欠乏の代償として与えられるのは飽満ではなく、むしろ必要自体からの解放であり、死後世界探訪譚では、煉獄で償罪を完遂した結果として迎え入れられる地上楽園はそうした場所として描かれる。(中略)

地上楽園は光と色に満ちている。硫黄の火が弱々しく反射する「可視の闇」によって特徴づけられる煉獄とは対照的に、地上楽園になると視野が開け、人間の視界がとどく限り美しい野が広がり、純粋な明るさのもとで、さまざまな美しい色が「調和のとれた多様性」によって風景を作り上げている。

澄んだ空は常に明るく輝き、夜が訪れることはない。そこには互いに祝福しあう大勢の男女がいて、神を称える聖人たちの歌声に満ち溢れている。暑さも寒さも感じることなく、すべてが平和で穏やかな憩いの場である。

地上楽園の悦びは身体的必要の満足とは無縁なもので、それは味覚や触覚ではなく、五感のなかでも上位に位置する嗅覚、視覚、聴覚を満たすものとして展開される。そこでは、人間を現世につなぎ止めている肉体的な欲求から解き放たれた、言い換えれば環境を意識する必要自体が生じない、理想的な自然状態が存在している。
※一部改行しました

ぷねうま舎、松田隆美『煉獄と地獄 ヨーロッパ中世文学と一般信徒の死生観』P175-177

「現世での欠乏の代償として与えられるのは飽満ではなく、むしろ必要自体からの解放」であるというのはとてつもなく重要な指摘です。

これはどういうことかといいますと、次のようになります。

私たちが求める喜びや楽しみというのはそのほとんどが肉体の欲求から来ています。食欲だったり、快適な生活だったり、あるいは性的な欲求だったりと様々なものがあるでしょう。

これらの喜びや楽しみを得られることを私たちは求めてしまいます。その喜びの反映が理想郷として描かれます。

ですがキリスト教の天国や地上の楽園はそうした喜びが満たされる場ではないのです。

上の解説でも示されたように、そもそも肉体的な欲望が消え去ってしまうのです。つまり、そもそも欲望を感じない状態になるのでこれまで求めていた喜びとか楽しみにも全く興味関心を失ってしまうのです。

だからこそひとつ目の引用に出てきた中世の騎士は「そんな天国などごめんだ!」と悪態をつくのです。天国に行ってしまったら愛する人への肉体的恋情も無くなってしまいますし、戦いを通じての肉体的興奮もありません。そもそもそうしたものへの興味関心も全く失われた境地になるのです。

う~む、これは難しいですよね。

天国というのは欲望が充足される場所ではないのです。

私たちは天国や極楽浄土というと、「あ~極楽極楽」というようなものすごく快適で何もかも満たされたような場所や、これまでの苦労に見合ったご褒美をたんまり味わわせてくれるような場所を想像してしまいます。

ですがそうではないのです。「私たちが今欲しいと思うものをそもそも欲しいとすら思わなくなる境地」になるのが天国やお浄土なのです。

これはなかなか行きたいとは思えないですよね。

実はこうした「天国に行きたくない」問題は浄土真宗の開祖親鸞聖人の言葉を記した書物として知られる『歎異抄』にも出てくる問題でもあるのです。

『歎異抄』の中で弟子が「私はお浄土に行きたいという気持ちになれないのです」と親鸞聖人に相談したところ、「私も同じだ」と答える有名なやりとりがあります。

この「天国やお浄土に行きたくない」問題は非常に大きな問題であり、同時に宗教とは何かを問う上でも非常に興味深い問題であります。

死んだ先に全ての欲望を満たしてくれる場所に行くことを願うのが宗教なのか。

それともすべての欲望から解放された境地になることを願うのか。

こうしたこととも繋がってきます。

仏教で語られるお浄土については浄土真宗では『阿弥陀経』というお経に詳しく説かれます。その描写はまさに今回お話ししてきたこととも繋がっていますし、さらに言えばダンテの『神曲』自体が源信の『往生要集』とまさしく重なってきます。

源信(942-1017)Wikipediaより

平安末期に活躍した天台宗の僧侶源信は『往生要集』という作品を書き上げました。

『往生要集』は985年に完成し、日本仏教にとてつもない影響を与えた書物です。きっと皆さんも日本史の授業で一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

この本ではまず地獄の様子が克明に描かれ、その後で極楽浄土の様子や、書名にありますように「浄土へ往生するための要」が書かれていきます。

つまり恐ろしい地獄へと堕ちることなく極楽浄土へ至る道筋をこの本で述べていくことになります。

ただ、源信としては極楽浄土にいくための正しい生活や修行法を広めたかったのでしょうが、前半の地獄の描写があまりに恐ろしかったので読んだ者はこの強烈なインパクトに恐れおののき、地獄にだけは堕ちたくないという風潮が一気に広がっていったそうです。地獄を導入部として書いたはいいもののそちらの印象が強すぎてそこばかりがクローズアップされるという現象が起こってしまったのです。

しかしこうしたことがきっかけとなり日本の浄土教は一気に広がっていったのでした。何がきっかけでどうなるかはわかりません。源信和尚もきっと驚いたことでしょう。(もしかしたら計算済みだったかもしれませんが)

さて、源信の『往生要集』の方まで話は流れていきましたがダンテの『神曲』は中世の人々の死生観を考える上でものすごく興味深い作品でありました。

『地獄篇』『煉獄篇』『天国篇』と続けて読んできましたが日本の地獄と浄土と比べながら読むのもとても刺激的なものになると思います。ぜひ仏教とセットで読んで頂けましたら幸いでございます。

以上、「ダンテ『神曲』~仏教の地獄と浄土との比較も面白いイタリア文学最高の古典について考えてみた」でした。

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