こちコメ──こちらnote区 書斎前 コメント所
noteには、スキがあって、コメントがある。
私は今日も、小さな「ありがとう」を置いていく。
──ひっそりと開かれた、コメント所から。
◆ 読ませてくれて、ありがとう
私はnoteを読ませていただいたとき、スキを残すし、よくコメントも残すようにしている。
それはもちろん、記事に対する感想でもある。
でも正直なところ、それ以上に伝えたいのは──
「こんな素敵な、楽しいnoteを読ませてくれてありがとう」という気持ちだ。
例えるなら、
スキは「ごちそうさま」、
コメントは「素晴らしかったよ。シェフに感謝を伝えさせてくれたまえ」。
……ちょっと気取ってるかもしれないけど、そんな気分でコメントを書いている。
ふと、こんな自分の習慣をAIに聞いてみたところ、私はどうやら少数派らしい。
◆ マイノリティのちいさな声
コメントを残す人は、全体の中ではごくわずか──
AIはそんなふうに教えてくれた。
そう言われてみれば、たしかに。
自分が誰かの記事にコメントを残すとき、
他の読者が書き込んでいるのをあまり見かけないことに、薄々気づいてはいた。
でも、だからこそ、なのかもしれない。
誰かの文章に、ちいさな声を返すこと。
それは、「ああ、読んでくれた人がいるんだ」と
書き手にそっと伝える、ささやかな灯火のようなものなのだと思う。
◆ 誰が為のコメントであるか
それにしても、なぜ自分はコメントを残すんだろう。
「感謝を伝えたいから」──たしかにそうだ。
「素敵な記事に出会えた喜びを、ただ受け取るだけじゃもったいない」
そんな気持ちも、たしかにある。
でも正直、全部がそうじゃない気もする。
ときどきコメント欄に書き込むとき、
誰かの文章に反応している自分を、
ほんの少しだけ確認したくなる瞬間がある。
「あ、ここに自分がいる」
そんな感覚を、コメントを通して受け取っているのは、
じつは自分自身かもしれない。
◆ それでも、私は灯を燈す
そう考えると、なんだか少し気恥ずかしい。
コメントを残すことで、自分の存在をそっと確かめていたなんて。
「感謝の気持ちです」なんて、きれいごとだけじゃなかったのかもしれない。
それでも、だ。
誰かの文章に、誰かの言葉に、そっと触れること。
その行為自体は、やっぱり尊いと思う。
コメント欄に残るのは、ほんの数行の文字かもしれない。
けれど、書き手にとっては──いや、かつての自分にとっても、
たった一言が、想像以上にあたたかい灯りになることがあるのだ。
◆ こちらnote区 書斎前 コメント所、開所中
コメント欄は、いわば小さな「コメント所」だ。
ひっそりと開いていて、通りすがりの誰かがそっと立ち寄っていく。
ときに長文、でもほとんどは短い言葉。
けれどその一言が、書き手にとっては不意に差し出される灯りになる。
そして気づけば、書き手と読み手は、
見えない場所で肩を並べるようなものだ。
そう──まるで「お隣の戦友」。
勇気なんて大げさな言葉は、いらないのかもしれない。
ただ、「ああ、ここにあなたがいる」と
そっと伝われば、それで十分じゃないか。
ですが、もし、
もしも、私がnote内でたくさんのフォロワーさんを持つような未来がくるのなら──
たくさんの、才能ある、素晴らしきみなさんを紹介する記事を書いていきたいです。
私よりも、たくさんの素晴らしきnoteたちと、皆さんとを繋ぐ “橋” のようなものになれたら。
noteという、
お隣の戦友が集まる、この場所で。
橋の上を、そっと風が渡っていくような。
そんなふうに考える日も、あるのです。
あなたの声も、いつかこの場所で
こちらnote区 書斎前 コメント所
今日も、開所中です。
日々好日の書斎より
──とっぴんぱらりのぷぅ
追記:
この企画『こちコメ──こちらnote区 書斎前 コメント出張所』として、不定期に続けたいこうと思います。
