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【2】 母の2度目の乳がんに、母より私の方がダメージを受ける

私が高校生のとき、母親が50歳で乳がんになりました。

(死ぬの? ねえ、死ぬの?)

 急に襲ってきた出来事に、私は動揺しました。

「大丈夫よ~」
 母はあまりショックを受けていない様子です。
娘の前だから頑張って元気なフリをしているのかな……。

イヤ、良くも悪くも、そういうタイプの母ではありません。本当に大丈夫と思っているから、大丈夫と言っているのです。

私は恐怖で怯えながら、母親不在の約一か月間、下手くそなお弁当をこしらえて高校に通いました。

母の腫瘍は、幸い5ミリほどと小さく、当時導入されはじめていた温存手術(全摘出せずに、患部を中心に小さく切り取る)と放射線治療をし、無事に事なきを得ました。

「池袋でショッピングしてきちゃった。ステキなセーター見つけたのよ~」

さしたる悲壮感もなく、軽やかに放射線治療に通う母。
「大丈夫」と言った通りに、母の治療は無事終わり、5年経ち、10年経つ頃には遠い昔の話になっていました。

そして、私は40代に、母親が70代になりました。
あるお正月のこと、実家に帰省した際に、母が「おできみたいなものができているのよ」と胸を見せてきたことがありました。手術をした側の胸でしたが、触るとそれほど硬くはありません。
「うーん、これは違うと思うけど……でも一応病院行って調べてもらってきて」
そう母を促しました。

年が明け、母が病院に行ったところ「これは違う」と医師も断言。特に検査をするでもなく帰されました。

しかししばらくすると、母が「おできが大きくなっている気がする」と言ってきたのです。もう一度、別の病院に行ったところ、乳がんが確定。母がガンを疑ってから、実に1年半もの時間が流れていました。

ヤバい……。私は焦りました。
20年以上も経って、再発なのだろうか?

二度目であること。
同じ側であること。
長い放置期間。


調べれば調べるほどに、母のガンはすでに胸以外の場所に転移しているのではないか。その不安に苛まれ、検査の結果が出るまでの数週間、私の精神はすり減り、うまく眠れない日々が続きました。

一方で、母がこの間どのように過ごしていたかというと、「なるようになるわ」という感じで、あまり落ち込んでもいない様子なのでした。「お父さんより、長生きしてあげたいけどね」とは口癖のように言っていましたが、ガン患者の本人が落ち着いていて、娘である私の方が、よっぽど病人のようです。
この母娘の図式は長く続き、気づかぬうちに私自身を蝕んでゆきました。

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