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「聴こえない母に訊きにいく」を読んで思うこと。

本を読むと、実際に自分が経験していないことを深く知る機会になります。私は、今年の春から、手話講座に通っています。
手話言語の学習の他に、手話の歴史、言語としての手話、聾唖者の生活や聾唖者が受けてきた差別なども学んでいます。
講師は聾唖の方たちで、聴こえないことで不便なことへの工夫なども教わっています。
そして手に取った本が「聴こえない母に訊きにいく」です。


コーダ=ろう者の子ども。聴こえない親をもつ子どもという意味です。
聴こえない両親をもつ子である五十嵐大さんが、書かれました。
五十嵐さんは、お母さんにまつわる人にインタビューします。
それは、子どもの頃どうして両親と自分は違うんだろうと思って生きてきたから。
お母さんはどう思っているのか知りたいと思ったから。
聴こえる自分を生んだこと、聴こえないお母さんは聴こえる子どもと聴こえない子どものどちらが良かったのかということ。
だから、お母さんの生い立ちを知りたくなった。
そして、愛情たっぷりに育ったお母さんを知り、同時に苦労を知り、さらに国からの差別を知ることになります。

五十嵐さんの気持ちを読んでいて、ふと我が子のことが頭に浮かびました。
私の夫は事故により腕の麻痺があります。障害者です。
娘の幼稚園の運動会。
園児と父による競技がありました。
競技終了後、輪になり「お父さんはお子さんを抱っこしましょう」という流れがありました。
腕の動かない夫は、娘を抱っこできません。
その時は、特段変わったことはありませんでした。
昼のお弁当の時間、娘が突然泣き出しました。
みんながお父さんに抱っこされているのに、自分だけしてもらえない。
でも、わがままは言えない。
そんな気持ちがわっとあふれたようでした。
気づいたのは、私達夫婦ではなく祖父母たちでした。
私達は、夫の腕は動かない、抱っこできなくても当たり前で仕方ないと思っていたのです。
幼稚園の娘には寂しく悲しい思いをさせていたかもしれません。
祖父母の指摘に「はっ」としたことを思い出しました。

五十嵐さんにはもっといろいろあったのかもしれません。
雷が怖くても、両親には音が聴こえない。
小鳥がさえずっていても、大好き歌を歌って聴かせることができない。
音声言語を持つ五十嵐さんにとって、手話言語の両親に伝えたくても伝えきれない想いがあったのではと。

この本を読んで、聾唖の方への理解とともに、ろう者の子ども、障害がある親をもつ子について考えたのでした。

この1冊を読んで、聾唖者の生活・教育・差別について考えることにつながると思います。
これはたくさんの方に読んで欲しいです。

こちらは、小説で聾唖者の不利益な状況・手話通訳士について知ることができます。こちらもおすすめです。
10年振りに読み返しました。




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