「そういうことか」と思った日
「そういうことか」って、思った日のことを今も覚えている。
それは20代、バイク屋さんの奥さんと話をしていた時のことだ。
「店を持った最初の頃は、大変で店を閉めたあと、二人で内職してたよ。
大好きなビールだって買えないから、紙パックのワインをふたりで毎日少しずつ分けて飲んでたよ」と、話していた。
実家の庭に咲いていた花を分けてもらったと、嬉しそうに話しながら、花瓶に花を活けている。
10代の頃は、「幸せ」ってなに?なんて、考えることもなかった。
20代になると、「幸せ」になるために、たくさんお金を稼ごう、そのために、同期に負けたくない。そんな風に思っていた。
バイク屋さん夫婦を見ていると、こっちまでなんだか楽しくなる。
もしかして、私が考えていた「幸せ」って、なんだか向いてる先が違うかもって、思うことが増えた。
その頃の私は、幸せを決めるのは他人軸にあった。
自分以外の人がみて、「幸せ」に見えるかどうか。
流行りの服、バッグ、仕事での成功、そんな風に他人から見てわかるものが「幸せ」の基準だと思っていた。
バイク屋さんと話していると、自分が信じていた「幸せの基準」がぐらぐらと揺らぎそうになった。
そして、そこに集まっている人達の中には、欲しかったバイクを手にするためや目標にしているレースに出るために、少ないお金をやりくりしている人達がいた。
お金はないけど、大好きな物やことに向き合っている姿は、誰もが楽しそうだった。
もしかして「幸せ」って、私が決めていいの?
「え、そういうこと?」
そう思ったのだった。
私にとってこれが「幸せ」って、思ったら幸せなんだ。
ゆっくりとおいしい珈琲を飲めるお店をみつけた。
花を飾った。
そんな小さなことも、私が「幸せ」と感じたら「幸せ」だ。
きれいごとのように感じるかもしれないけれど、20代でこのことに気づけたのは、その後の人生にとって大きな意味をもった。
その時はまだ知らなかった。
「幸せは自分で決めていい」という気づきが、後になって私を支えることになるなんて。
夫はバイクのレース中に事故にあった。
まだ、娘は幼稚園に入る前だった。
夫は、ケガの治療のために長く入院していた。
夏真っ盛りの時期で、ご近所が楽しそうに家族で遊ぶ姿をみて、娘に対して申し訳なく思った。
夫は入院中で、帰ってきても障害があるけど、決して娘は不幸な家の子ではないはず。
寂しい気持ちや悲しい気持ちにならないように、どうしたら自分たちが楽しく過ごせるか考えた。
そう、自分たちが幸せであるために。
そう考えることが出来なければ、障害のある夫とまだ小さい子供のことを考えてずっと泣いて暮らしていたかもしれない。
だけど、今いる自分の場所で幸せになることを考えることができたから、立っていることが出来たように思う。
今でも毎日、「げっ、今日はついてないな」と思う日はある。
思い通りにならないこともあるし、落ち込むことだってある。
それでも私は、その日のどこかに小さな「よかった」を探している。
大好きな本に出会ったこと。
窓から気持ちのいい風が入ってきたこと。
花がきれいに咲いていたこと。
そんな些細なことでも、私が「幸せだな」と思えたなら、それはちゃんと幸せなのだと思う。
あの日、バイク屋さんの奥さんと話をしながら気づいたこと。
幸せは誰かに決めてもらうものではなく、自分で決めていいということ。
その考え方は、今も私の人生を支えてくれている。
いいなと思ったら応援しよう!
読んでいただきありがとうございます。いただいたサポートは、本の購入・車いすフェンシング活動費として使わせていただきます。