家族の背中を押すこと、支えること
noteをはじめてから、いろいろな形で書く挑戦をはじめました。
昨日は、その中のひとつである公募に挑戦しました。
応募の要件は看護・介護のエピソード。
長く看護師をしてきて、たくさんの経験や失敗を積んできました。
こんな患者さんがいた、患者さんの家族とこんな話をしたとすぐに思い出せるのに文章に表すとなると難しく感じることがあります。
ただ、たくさんのエピソードからその時自分が何を感じたのか、時間が経った今の気持ちはどうなのかと考える時間を持つことに繋がっています。
たくさんのエピソードの中のひとつを紹介します。
(公募作品ではありません)
A君は悪性の病気で入院を繰り返していました。
治療の甲斐なく、これから先は緩和的な治療へと移行。
痛みが強く、食事も摂れなくなり入院。
ご両親が毎日交代で付き添いをしていました。
ある日の夜中。
A君のお部屋に行くと、暗闇の中でアイスクリームを持ったお父さんがいました。
「アイスクリームを食べたいというから買ってきたんですが、ひとくち食べたら寝てしまって。私もこんな時間にアイスなんて食べたくないけど、仕方ないですね」と、寂しそうに笑う姿がありました。
看護師が様子を見に行くたびに、A君のベッドの下で小さくなって寝ているお父さん。
「休んでいてください」と伝えても、A君の体の向きを変えたりしていると一緒に起きて「ありがとうございます」と声をかけてくださる。
そんな姿を見て、これが息子と過ごす最期にふさわしい形だろうかと、胸につかえるものがあった。
お父さんと付き添いを交代したお母さんに、「本当にこのまま病院で、最期を迎えてもいいですか。ご家族が、家でA君との時間を過ごしたいと思っているなら、私たちでなんとかしますよ」と、声をかけた。
本人はもちろん、ご家族の意向が一番大切だ。
今までもそういったお話はしてきていた。
決断できないでいる印象があった。
もう一度、考える機会を作ってみようと思った。
家族を看取るのは辛いことだ。家族に優劣があるわけではないが、ことさら自分の子供を看取るのだ。可愛い、たくさんの可能性がある、将来を楽しみにしてきた自分の子どもが先に逝ってしまう。
どんなに両親にとって辛いことだろう。
一日でも、1時間でも、1分でもそばにいたいのではないだろうか。
それも誰かに気兼ねをしてではなく、家族の時間を過ごしたいと思うのが本音ではないだろうか。
翌日、お母さんから「家に帰るには、どんな方法があるだろう」と、打ち明けてくれた。
お母さんはA君の気持ちを一番に、そしてお父さんとA君の妹さんとみんなで話し合い、家に帰って家族で過ごすという選択をされた。
そこからは、担当医師・スタッフみんなで、訪問診療や訪問看護、介護タクシーを手配して、痛み止めを持続で注入する器械の使用方法をご家族に説明した。
お母さんが打ち明けてくれた後、全ての手配が整った。
A君の体調はさらに悪化し、A君から「こんなに体がだるい、家に帰るのは今じゃない。」と、泣いていた。
お母さんとお父さんからA君に「大丈夫、お父さんとお母さんがいるから」そして、私たちに「準備をすすめてください」と、きっぱりと話された。
介護タクシーが自宅に着く時には、訪問看護師と訪問診療の医師が自宅で待機してくれるという、万全の体制が整い見送った。
自宅に戻って3日後にA君は息をひきとった。
3日間の間に、高校の同級生と会い、記念撮影もした。
ご家族はA君をはさんで川の字になり、家族4人で眠ることができたそうだ。
私は直接お会いすることはなかったが、葬儀が終了したと報告に来てくださったお母さんから「あの時、このままでいいですかと言ってくれなかったら、いま頃後悔していたかもしれません。思い切って家に連れて帰ることができて、最期は家族で過ごし、みんなで見送ることができて満足しています」と話していたそうだ。
仕事の先には、大切な誰かがいる。
もし、目の前に起きていることが自分だったらと考えると、おのずとやらなければいけないことが見えてくる。
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