連載小説『夏彩の別れ』第1話(全9話)【note創作大賞2026_恋愛小説部門応募作品】
【あらすじ】
父が、突然亡くなった...。
知念皐月(ちねんさつき)と妹の芽依(めい)は還暦を迎える母のことが心配で仕方がない。残された家族は右往左往するしかない。
それぞれが抱える寂寥感のさなか、父を敬愛して止まなかった会社の元部下が現れる。現在は僧侶を務める御坊英二(おぼうえいじ)は、後日家にきた。彼を通じて少しずつ理解していく父のこと。
母の孤独の隙間を埋めるべく姉妹二人は必死にもがき続けるが...。
一人より二人がいい。二人より三人がいい。
信じ合うことは、助け合うこと。
母を巡る人間模様と家族の再生を描く。
『出会いと分かれ』或る家族の、夏の物語。
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履歴書の扶養欄にはいつもきまって【夫(死別)】と太字で記しがあった。有無を言わせぬ母の筆意は、元最愛の人の死を認めたくないというささやかな抵抗。間違っても、夫に浮気されて生き別れたわけではないという女としての矜持。側(はた)から見る母はいつも泣いていた。
「お父さん、なんで死んだんだろうね?」
ここ数日、母を見ては何かのキーワードのように口をついて出た。それは、必然と言い合いになり、次第に妹もその輪の中に入る。
「その話、もう、よそうよ。第一、誰も喜ばないし...」
母、私、妹の三人の誰ともなく蚊の鳴くような声で言った。
「でも、本当は少しだけ気持ちは落ち着いたんだよ」
母はこう言って、喪服の袖に腕を通し「ありがとう」を繰り返した。
今日は父の七回忌だ。
朝から少し離れたお寺に行って、父の眠る墓石に向かって手を合わせる。
「お母さんのパート勤めが上手くいきますように…」
私は母に聞こえるように、納骨穴の底辺にまで届くように言う。
「ちょっと、サツキ嫌だぁ。私のことそんなに気にしてくれてるの?」
当たり前だ。いい加減、私と妹の収入に頼るのはやめてほしい。父が亡くなってから、毎日のように愚痴を聞かされている身にもなって欲しい。
父の墓前で母と小競り合いになりそうだったが、我慢をした。
「お姉ちゃん、やめなよ」メイはいかにも、それが姉である私の原因とばかりに言葉を浴びせてきた。それを見てまたイラッとしてしまった。どんなことがあっても、妹だけは敵に回すまい。
「お父さん、今頃は天国で毎日気持ちよく酒飲んでいるだろうね」私は気を紛らわすように一つだけ笑った。
「うん。天国(ヘヴン)だけにね」メイがこう言うのを見て母も笑う。妹の父に向けた言葉に母が笑うのが、やけに鼻についた。
おんな家族。つまり、男子禁制。ちょっとやそっとでは割り入っていける世界では無い。土足で踏み込もうとしようものなら、大火傷するぐらいの覚悟で挑まなくてはならない。私は、父を思い出し切なくなった。
お世話になっている住職の読経を寺社で聴く。名前を御坊(おぼう)英二さんといい、父が生前親しくしていた方で、職場の直属の元部下だった。きっと、父への思い入れは異常に強いのだろう。
住職よろしく坊主頭に、黒縁眼鏡をかけている。ただテッペン部分が極端に薄く、その特徴的過ぎる頭部をはっきりと見えるように深々と頭を下げた。
「稔雄先輩がお亡くなりになって丸六年経過したわけですけれども、わたくしには、まだその実感がございません」
父は、自死だった。
遺書も遺言も音声データも何も無く、ある日突然逝ってしまった。それは残された周りの人間にとっては悲しいと言うより、疑問符だらけの謎の行動でしかない。生涯ずっと心の底で残るし、一人の人間の最期が絶対にそうあってはならないという一つのケースを、乱暴に差し出されたような気分だ。
有り難いのか、よく分からないままの読経がようやく一区切りついたぐらいのタイミングだった。メイが突然父を呼んだ。最初、何かのサインを発しているのかと思った。でも、違った。
「…止めなよ」
微妙な雰囲気の中、力の無い母の声が飛ぶ。
「メイ。お父さん、空から見ているよ」私も追うように必死になだめる。それは、他の親戚連中にも徐々に伝播していた。
「ウェっ」
メイは不意を突かれたように声を上げる。
その場の誰ともなく「まだ話しているよ、オボォさん…」とでも囁き始めた頃だった。
プシュー。
四歳の姪っ子のリオちゃんが突然オナラをした。普段はブラジルに住んでいて、実は初対面なのだ。陽気で大らかな人達は屁にも寛容的なのか。その場にいた全員が苦笑していた。
急に大粒の雨が降ってきた。屋根瓦に叩きつけるような雨音が聞こえる。
「父ちゃん!」
メイは再びこう叫ぶなり、ひきつけを起こしたように手足をバタバタと動かし始めた。
周囲の人々はまるで私に責任を問うように呼んだ。自分の名前が一瞬分からなくなった。とにかくメイを抑えつけて、リオちゃんのほうに近付かせないように必死だった。
「サツキはメイを抑えといて!」
華奢な五十歳代の男性が指示をする。ヒロシ伯父さんであった。父に声が似ている。
その声に従うように、とにかく必死にメイの頭を抑えつけた。声は寺社内に響き渡る。しばらくすると暴れていたのが少し収まった。目の前にいるメイがとても普段の姿からは想像が出来ず、一抹の寂寥感を抱いた。メイは、まだ手足が微かに動いている。蟹人間のように。
「嫌だ。嫌だ」を繰り返し叫び、その姿は何かに憑依されている様にしか見えない。その暴れっぷりに私は恥ずかしさと哀しみを覚えるが、父似の顔つきであるメイが愛おしく思えてくる。いや、そうでも思わないと私まで発狂してしまいそうだった。
「あのう、私は話を止めたほうがよいでしょうか?」
御坊さんが申し訳なさそうに頭を下げる。自らにその原因があるかのように。たしかに御坊さんの話は、まるで時間を無駄に垂れ流すように冗長で、聴いている側からすれば緊張感からは到底かけ離れていた。
しばらくすると、メイの動きが止まった。何の兆候もなく穏やかになった。その矢先にリオちゃんが目を覚ました。彼女の目は亡父を彷彿とさせる実を剥いたような目だ。カラーコンタクトレンズを付けたような澄んだ茶色。懐かしい情熱的な眼光。私は、あの瞳が好きだった。
なおもまだ目を見開いた儘(まま)天井を見つめている。その空間にいる全ての人が吸い込まれそうな眼力だった。
御坊さんはずっと「あのう」を繰り返し呟いていた。その声を無視していたわけではない。周りにいる親族全員の目がリオちゃんに向けられていた。
誰からともなく「救急車を呼ぼうか?」と声が上がる。
「この近くなら山井病院!」
母が突然何かを思い出したように叫んだ。私はその声に背中を押されるように、携帯で急いで検索をする。えーっと...あった!検索件数がたったの一件だけど、どこにでもありそうな名前だからもしかすると違うかもしれない。
リオちゃんはまだ刮目したままだ。怖いけど、凄く生温かい不思議な感覚を抱いた。
「イキタクナカッタ...」
メイが突如、発した。
「えっ!?」周囲の皆が何かを確認し合うかのようだった。
「稔雄先輩...」
御坊さんは手に絡めた数珠を強く握りしめた。その一つ一つが煌々と輝きを放っていた。
「兄さん、やっぱり何か無念の思いがあったのかもしれない…」ヒロシさんは真正面の祭壇に向かって、何に縋(すが)るように手を合わせる。
救急車が大きな音を鳴らして到着した頃には、リオちゃんは美奈子さんの腕の中で眠っていた。しばらくすると、大きないびきを掻くようになり笑いが漏れた。
「痙攣を起こしている方がいらっしゃるとのことでしたが...」
「すみません。妹と姪っ子ですが、ちょうど今少し収まったようで...」
玄関口で、救急隊員に詫びを伝えたら、救急車は何も用がなかったように去っていった。
「グル、グルグル〜、グル〜」
ちょうど目覚めたリオちゃんとメイのお腹の虫が同時に鳴った。笑いを必死に堪えて「お腹空いたね」と私は二人に声を掛けた。昼は仕出し弁当を用意していて、ちょうどお弁当屋さんがお寺の入り口付近から声を掛けてきた。
「サ〜ツキさ〜ん」
弁当屋の店主・飯守(いいもり)さんは家族ぐるみで親しくしている方で、私を幼少の頃から知っている。
「はーい」
母に少し席を外すことを告げてから、その声にめがけて小走りで向かう。
一つの袋に弁当箱が十数個入っている。二袋あって、合計二十一個のお弁当をあらかじめ用意された控え室の机に置く。
御坊さんが用意してくれた部屋はこじんまりとした和室で、綺麗に清掃されており冷房が適度に効いていた。
父の小さな写真を置いた一番奥の席から、順にお弁当を並べる。袋から丁寧に弁当箱を取り出す。祖母が亡くなった十二年前も同じ場所で、同じ海老フライ弁当で、高校の制服姿で丁寧に並べた。
父の大好物だった大きな海老フライが二つ入ったお弁当。海老フライが弁当箱から飛び出しそうなのも変わっていない。父の在りし日の嬉々とした屈託の無い笑顔が瞼に浮かんだ。そう言えば、父が亡くなる前夜の食卓にも海老フライはあった。
しんみりしている間に、弁当箱全てをテーブルに置き終えた。このまま暗い雰囲気になるのも何だから父が好きだったクラシック音楽でも流しながら、皆で父の思い出話に花を咲かせようか。
「…お姉ちゃん」
振り返ると、メイがリオちゃんを背負って前屈みになって佇んでいた。手に持っていたハンカチを素早くスカートのポケットに入れた。私は何事も無かったように、半ば反射的に「ハイ!」と返事をしていた。
『夏彩の別れ(なついろのわかれ)』
【第1話完】
【第2話に続く】⇩
