​大正・昭和の空を駆けた、ある女性飛行士の物語 ── かかみがはら航空宇宙博物館を訪ねて

「勘当」から「和解」へ。飛行機越しに父と握手した女性パイロット・上仲鈴子

​先日訪れた「かかみがはら航空宇宙博物館(空宙博)」。

きらびやかな最新の航空機や宇宙探査の展示のなかで、私の心を激しく揺さぶった、あるひとりの女性パイロットの物語があります。

​彼女の名前は、**上仲 鈴子(かみなか すずこ)**さん。

現在の岐阜県高山市出身の飛行士です。

​女性が飛行機を操縦するなんて誰も想像しなかった大正から昭和初期。

強い意志と情熱だけで大空に挑んだ、日本の女性パイロットの先駆者です。

​── 「勘当」されても諦めなかった夢

​大正から昭和の初め、女性が空を飛ぶなど言語道断とされた時代です。

鈴子さんが飛行士を目指したとき、厳格なお父様からは猛反対され、ついに「勘当(親子の縁を切ること)」を言い渡されてしまいます。

​身内からの応援すら失い、経済的にも精神的にも追い詰められたはずの彼女。しかし、大空への情熱の炎が消えることはありませんでした。彼女は孤独のなかで血の滲むような訓練を重ね、1933(昭和8)年には、女性パイロットとして我が国初となる「大阪ー東京間の単独無着陸飛行」という偉業を見事に成し遂げます。

​当時の飛行機は、屋根すらない「むき出しの操縦席」。風雨にさらされ、命がけで操縦する時代に、彼女はひとりでノンストップで飛びきったのです。

​── 10年ぶりの故郷、そして飛行機越しの和解

​鈴子さんが輝かしい実績を積み重ねていく姿に、頑なだったお父様の心も、少しずつ動かされていきました。

​そして1935(昭和10)年、彼女は念願だった生まれ故郷・飛騨高山への「郷土訪問飛行」を行います。じつに10年ぶりとなる故郷の土でした。山に囲まれた飛騨盆地へ飛行機を着陸させるのは、当時としては非常に難易度が高く、命がけの挑戦です。

​彼女が無事、故郷の大地に舞い降りたとき。

即席の飛行場を埋め尽くした大勢の見物客のなかに、誰よりも彼女の無事を祈り、誇らしげに待つお父様の姿がありました。

​博物館には、ひとつの有名な写真が展示されています。

それは、コクピットに座る鈴子さんと、地上から手を伸ばすお父様が、飛行機越しにしっかりと固い握手を交わしている写真です。

​夢のために親子の縁を切った娘と、それを命がけの操縦席から証明してみせた娘。言葉ではなく、お互いが信じた「空」を挟んで交わされたその握手は、10年間の葛藤と確執がすべて溶けた、最高に美しい和解の瞬間でした。

​── 博物館で、当時の風を感じる

​空宙博の広大な航空エリアには、彼女が駆けた「サルムソン2A2」の実物大レプリカや、現存する貴重なオリジナルエンジンが展示されています。

​目の前にある、木と布とワイヤーでできた繊細な機体。

これに乗って、彼女は本当にひとりで東京の空を、そして飛騨の山を越えて、お父様の元へと帰ってきたのだと思うと、胸が熱くなって展示の前からしばらく動けなくなってしまいました。

​時代を切り拓く人の情熱と、それを乗り越えた家族の絆。

岐阜の空の歴史が教えてくれたこの物語は、今も私の心の中に心地よい風を吹かせています。

いいなと思ったら応援しよう!