前世療法で見えた、アレキサンドロス大王の記憶
――アーリア様との愛と、光と影
最近、前世療法をしていて、とても不思議な体験をした。
最初に出てきたのは、「アレキサンドロス」という名前だった。
28歳くらいの男性。
金髪で、肩にかかるくらいの髪。前髪がふわっと上がっていて、青い目をしている。かぼちゃパンツのような、ふわっとした衣服を身につけていた。
ヨーロッパの騎士のような雰囲気もあり、とても凛々しく、かなりのイケメンだった。
そして、自分は一国を治めるような立場にいる。
その後、調べてみると、古代マケドニアの王、アレキサンドロス3世――いわゆるアレキサンドロス大王という人物が実際に存在していたことを知った。
彼は20歳で王位につき、ギリシャからエジプト、ペルシア、中央アジア、さらにインド方面まで遠征し、巨大な帝国を築いた人物だった。
「アレキサンドロス」という名前だけではなく、前世療法の中では「イッソス」という言葉も出てきた。
イッソスといえば、アレキサンドロス大王がペルシア王ダレイオス3世を破った「イッソスの戦い」で知られている。
偶然なのか、私の記憶が何かを拾っているのか。
その時点では、まだ分からなかった。
最愛の女性「アーリア」
さらに印象的だったのが、私の妻として現れた女性だった。
私の中に出てきた名前、あるいは響きは、
「アーリア」
だった。
栗色の長い髪。
大きくて印象的な目。
長いまつ毛。
とても美しい女性だった。
後からアレキサンドロス大王について調べると、彼にはロクサネ(ロクサーナ)という妻がいたことを知った。
ロクサネは、現在のアフガニスタン周辺にあたるバクトリア出身の女性で、現地の有力者の娘だったと伝えられている。
私は「アーリア」という名前を感じていたけれど、歴史上の彼女の名前はロクサネ。
この違いも不思議だった。
もちろん、アーリアという名前がロクサネの本名だったという史料があるわけではない。
ただ、前世療法の中で私が受け取った「アーリア」という響きと、後から知ったロクサネという女性が、なぜか自分の中で重なって感じられた。
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豪華な宮廷と、二人の生活
前世療法の中では、かなり具体的な場面も見えた。
天蓋のついたベッド。
城の上層階。
キャンドルと花が飾られた豪華な晩餐。
両親と食卓を囲んでいる場面。
そして、自分たちの子どもたち。
華やかで、誰もが羨むような王族の暮らし。
でも、その華やかさの裏側には、別のものがあった。
妻との関係には緊張があり、自分は彼女に対してモラハラのようなことをしていた。
彼女も私に対して猜疑心を持つようになっていた。
愛しているのに、信じられない。
大切なのに、傷つけてしまう。
そんな関係だった。
「光」だけではなかったアレキサンドロス
アレキサンドロス大王について調べていくと、私が前世療法で感じた「光と影」という人物像と、歴史上の彼の複雑な姿が重なって見えてきた。
アレキサンドロスは、世界史に残る英雄であり、類まれな軍事的才能を持った王だった。
一方で、王位を脅かす可能性のある人物を粛清し、遠征中には親友クレイトスを自ら殺害するという悲劇も起こしている。
反乱したテーバイを破壊し、多数の住民を奴隷として売ったことも記録されている。
つまり、
英雄であると同時に、非常に苛烈な征服者でもあった。
前世療法で感じた、
「傍若無人」
「気に入らない人間を排除する」
「自分の力で周囲を動かす」
という感覚が、歴史上のアレキサンドロスの一面と重なって見えた。
でも、それだけではなかった。
愛する女性がいて、孤独があり、弱さがあり、誰かに理解してほしいという気持ちもあった。
ワインレッドの日記帳
そして、もう一つ強く残っているイメージがある。
ワインレッド色の日記帳。
そこに何が書かれていたのか、すべてをはっきり覚えているわけではない。
でも、
「なぜ私のことを誰も理解してくれないのだろう」
というような、とても孤独な感情があった。
世界を征服するほどの力を持っていても、本当の自分を理解してくれる人がいない。
そんな孤独だったのかもしれない。
湖と、最後の場面
そして最後に現れたのが、水の場面だった。
湖。
妻のアーリア様が水の中へ入っていく。
そして私は、その後を追うように水へ入っていった。
そこで感じたのは、激しい恐怖でも、後悔でもなかった。
むしろ、
「やっと彼女のところへ行ける」
という、深く静かな安堵だった。
すべてから解放される。
もう何も背負わなくていい。
王である必要もない。
誰かに命令されることも、誰かを支配することもない。
ただ、愛する人のところへ帰れる。
そんな感覚だった。
歴史に残る死と、私が見た死
史実では、アレキサンドロス大王は紀元前323年、バビロンで亡くなったとされています。
死因については古くからさまざまな説がありますが、妻ロクサネが湖に身を投げ、その後をアレキサンドロスが追ったという記録はありません。
だから、私が前世療法で見た最後の場面を「歴史上の真実」だと断定することはできない。
これはあくまで、
私の中に現れた前世療法のイメージ
として受け止めている。
でも、だからこそ興味深い。
歴史書に残っているのは、「偉大な王」としてのアレキサンドロス。
私の中に現れたのは、その裏側にいる一人の人間だった。
世界を手に入れても、孤独だった
もし、この物語を一つの人生として見るなら、とても皮肉な人生だと思う。
世界を征服するほどの力を手に入れた。
誰もが羨む地位も、富も、名声もあった。
それでも、一番欲しかったものは、
自分を理解してくれる人。
そして、心から愛する人との安心できる関係だったのかもしれない。
だから、この前世療法で見た物語から私が感じたテーマは、
「力を持つことと、幸せになることは同じではない」
ということ。
そして、
「愛する人を失ってから、その大切さに気づくのではなく、生きている間に大切にすること」
なのかもしれない。
「安堵」の意味
最後に水の中へ沈んでいくときに感じた、
「やっと彼女のところへ行ける」
という安堵。
それは、死そのものを求める感覚というより、
長い間背負ってきた孤独や責任、葛藤から解放される感覚だった。
だから私は、この体験を今世の自分へのメッセージとして受け取るなら、
「死によって解放される」のではなく、
「生きているうちに、解放されること。」
なのだと思う。
誰かを支配しなくてもいい。
無理に強くならなくてもいい。
誰かに理解してもらうために、自分を押し殺さなくてもいい。
愛する人とは、猜疑心ではなく信頼でつながりたい。
そして、自分自身も、もっと自由に生きたい。
前世だったのか。
私の潜在意識が作り出した物語なのか。
それは、私には分からない。
ただ、前世療法の中で見えた映像や感じた感情が、あまりにも鮮明だった。
そして、後から歴史を調べることで、いくつもの不思議な重なりを見つけた。
だから今は、答えを決めるのではなく、
「私の魂に残っていたのかもしれない、一つの物語」
として、この記憶を大切に残しておこうと思う。
世界を手に入れた王が、最後に求めたもの。
それは、もしかしたら世界ではなく、
たった一人の愛する人のそばで、何の肩書きもない一人の人間として、安心して生きることだったのかもしれない。







