なぜ日本人男性は英欧米女性から憧れられにくいのか
――多様性の時代に、あえて「立ち姿」を問う
国際結婚の統計を見ると、一つの傾向が浮かび上がる。
日本人男性が外国人と結婚する場合、その多くは東南アジアを中心としたアジア圏の女性であり、英欧米の女性との結婚は少数派だ。
この事実はしばしば、
• 「文化の違い」
• 「出会いの機会の差」
• 「単なる好み」
として認識されてきた。
だが、それだけで済ませてしまうと、ある違和感が残る。
なぜなら、この問題の核心は、一見そのデータで納得させられてしまう数の大小ではなく、その内訳にあるからだ。
⸻
これは差別の話ではない
まず明確にしておきたい。
本稿は、特定の国籍や文化の優劣を論じるものではない。
また、恋愛や結婚を競争や義務に変える意図もない。
そして、個人差に依るところが大きい事も前提としている。
それらを踏まえて、問いはただ一つだ。
なぜ日本人男性は、対等な関係を前提とする英欧米女性から、
魅力や憧れの対象として弱いのか。
これは他者批判ではなく、
我々日本人男性の立ち姿を問う提言である。
⸻
「優しさ」は、常に魅力になるとは限らない
日本人男性は、誠実で、勤勉で、協調性が高い。
これらは我々が持っておいてもおかしくない自負だ。
だが英欧米文化圏では、それらが必ずしも「魅力」とされない場合がある。
ご存知のように、理由は単純だ。
彼女たちが魅力として感じ取るのは、
• 自分の意見を持ち、それを言葉にできること
• 衝突を避けず、対話を続ける姿勢
• 相手に合わせるのではなく、自分の立場を定義する態度
であり、
「察する」「空気を読む」という振る舞いは、
しばしば頼りない態度だと受け取られる。
ここで重要なのは、
その姿勢が、己の芯を持った意志として認識されていないという点だ。
⸻
なぜ東南アジア女性との関係は成立しやすいのか
一方で、日本人男性の控えめさや穏やかさ
(あえて加えるなら傲慢さ)が、
東南アジア女性との関係においては、魅力として受け取られる場面がある。
日本という社会が「安定」や「成熟国」として見えやすいこと、
日本人男性が「誠実で信頼できる存在」として共感されやすいこと。
これは優劣ではなく、
文化的・経済的・歴史的な傾向だ。
しかしここで一つ、見落としてはならない点がある。
それは、
成立しやすい関係が、必ずしも持続しやすい関係とは限らない
ということだ。
実際、日本人男性と外国人女性の国際結婚は、
日本人同士の結婚と比べて、離婚率が高い傾向が指摘されている。
これは愛情の欠如ではなく、
対話不足、役割期待のズレ、相互理解の難しさといった
民族間の問題が影響していると考えられる。
⸻
「楽であること」と「逃げであること」は違う
ここでよく出てくる反論がある。
「結婚は楽である方がいいに決まっている」
確かに、それに異論はない。
だが、問いはそこではない。
その“楽さ”は、
十分な対話の末に獲得されたものか。
それとも、
対等さを重視しなかった安易な妥協によるものか。
この二つは、似て非なるものだ。
⸻
多様性とは、迎合ではない
多様性という言葉は、しばしば
• 「相手に合わせること」
• 「自己主張を控えること」
と誤解される。
しかし本来の多様性とは、
自分の立場を明確にした個人同士が、
違いを前提に並び立ち、
その価値を自然と認め合うこと
である。
主語を持たない優しさは、寛容ではない。
それは、主体性の不在を意味する。
自らの立場を放棄しているに過ぎない。
⸻
日本人の男よ、奮い立て
最後に、あえて率直に言おう。
日本人の男性諸君。
そりゃ、モテないより、モテた方がいいだろう。
英欧米女性に憧れられることを
最終目的にしようと言うのではない。
だが結果として、
憧れられてもおかしくない立ち姿を
日本人男性が取り戻し、
その姿に魅力を感じさせ、
その感覚を自認する事は、
男女問わず、日本社会にとって損であるどころか、むしろ誇らしい。
多様性とは、
自分が何かの一部に過ぎないと言う事ではない。
自分の立脚点を確立し、
その上で他者と並び立つ存在である事を明確に発信する事。
そして、その価値観を共有し合うこと。
無理やり先述したデータを
ひっくり返そうと言うのでは無い。
あくまでも
日本人男性としての誇りを再認識し、
その意識を共有する事によって、
自然に憧れられる存在であろうではないか。
奮い立とう、日本人男性!
ご無礼。
※日本人女性については本稿では言及していないが、
動機となる違和感があれば、その魅力についても分析していきたい。
