noteには商店街がある。でも、商圏はあるのだろうか
本屋に入ると、1,500円の本を、それほど抵抗もなく買う。
少し乱暴に言えば、本を買うことも、誰かの言葉や考えにお金を払うことだ。
ところが、noteで300円の有料記事を見かけると、一度立ち止まる。
1,500円の本は買えるのに、300円の記事には少し身構える。
金額の問題ではないらしい。
本屋では、棚に並んでいるものは、すべて有料である。
手に取り、裏表紙を見て、少し迷ってレジへ持っていく。昔から繰り返してきたので、本を買うこと自体に説明はいらない。
Amazonも、その習慣の上で商売を始めた。
Amazonが「本にお金を払う文化」をつくったわけではない。
すでにあった本の経済圏に入り、検索、レビュー、決済、配送を便利にした。
そして、本屋から売上だけでなく、
「次に何を読むか決める場所」
まで自分のところへ移していった。
ここまで来るのに、20年以上かかっている。
では、noteはどうだろう。
noteには、店を開く場所がある。
記事を並べる棚があり、有料記事を置く小さな販売台があり、チップを受け取る小皿もある。
スキやコメントで、店主同士の挨拶もできる。
通知欄を見ていると、商店街はそれなりに賑わっている。
ただ、この通りを歩いている人のうち、純粋に買い物へ来た人は、どのくらいいるのだろう。
書き手が別の書き手の記事を読み、スキを置き、コメントを残す。
ときには、300円の記事を買ったり、チップを置いたりする。
それは温かい交流だと思う。
けれど、店主同士がお互いの店で買い物をしているだけでは、商店街の外からお金は入ってこない。
noteには商店街がある。
商店会もある。
でも、商圏はまだ細いのかもしれない。
そんなことを考えていたら、前橋の中央通りや馬場川通りを思い出した。
あの辺りには、好きな店がいくつもある。
目当ての店があれば、そこを目指して出かける。
ただ、何となく通りを歩き、店を次々とのぞき、気軽に何かを買って帰る。そんな回遊の仕方は、まだそれほど多くないように見える。
店主同士の交流はある。
顔の見える関係があるから、店を続ける力にもなる。
けれど、それだけで商売を続けるのは難しい。
noteも、少し似ている。
私は2025年12月に「横で考える人」を始めた。
半年以上が過ぎ、記事は104本になった。
全体で3,321ビュー、511スキ、103コメント。
ほとんど読まれていない記事にも、スキやコメントが残っていた。
一度店に入った人は、何かしら置いて帰ってくれている。
古い記事を再編集して棚に戻したら、久しぶりの読者も戻ってきた。
だから、商店街が存在しないわけではない。
人もいる。
つながりもある。
ただ、そこで買い物が習慣になるかは、また別の話なのだと思う。
私も最近、300円の有料記事を一本置いた。
無料の喫茶店の奥に、小さな販売棚をつくるような気持ちだった。
店の全部を有料にするつもりはない。
普段はコーヒーを飲むように、無料の記事を読んでもらう。
その中で、もう少し奥まで見てみたい人がいたら、引き出しを開けてもらう。
今のところ、そのくらいの距離がしっくり来ている。
それでも、売る側にいるだけでは分からないことがある。
だから今度は、自分が客になって、ほかの人の有料記事を何本か買ってみようと思う。
なぜ、その記事を開いたのか。
どこまで無料で、どこから有料だったのか。
読み終えたあと、何が残ったのか。
書き手同士の応援ではなく、知らない本を買うように記事を買えるのか。
まずは、自分の財布で確かめてみる。
経済圏の調査という名目で。
コイン配りオジサンになるかもしれないけど。
知らんけど。
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お代はいただいていませんが、店の隅に小皿だけ置いてあります。
何か残った日に、そっと一枚。
次のコーヒーと、店主がまた考え込む時間に使わせていただきます。☕️