徳島で"じんぞく"に会えなかった20260725
通り向いの家に並んだ桜の木で蝉が鳴き散らかすのが聞こえて、まだ気温が上がりきっていないことを知る。蝉たちの活動時間が、アナログ時計で180度変わっているようで、それにこちら側としてもすぐに慣れてしまうのが恐ろしいところだと思う。
徳島の田舎に遊びに行く、日帰りなので早朝に起きた。珍しく平日に活動し、土日にお休みの生活をしているので、昨日の疲れが少し残る土曜の朝。
階下に降りて母と犬に挨拶。飼い犬とは少し喧嘩中なので撫でない。撫でようとすると飛び退くのでむかつくし傷つく。傷は、心身ともに、少ないほうがいいのだ……。
プロテインとクラッカーに鉄分ミロ入りコーヒーの朝食を摂り、顔を整えて出発。平日と休日と、施すメイクは同じで、ファンデーションを塗るか否か(平日は色付き日焼け止めだけ)なのに、気合いが筆に乗るからかして、休日のほうが鏡に映る自分がかわいい。
真っ黒のレンズのサングラスを突き抜けて目を刺す日光。助手席には母、後部座席には犬。朝7時半の出発。最近は今までを取り返すように私がハンドルを握ることが多い。遅まきに免許を取ったので、まだ愛車のお尻には若葉マークをはっつけている。
乗る高速、上がる速度。左側の車線で出す時速80km。晴れてよかった、気温は38度に届きそうだけれど。

実家のある奈良から、高速に乗って大阪や神戸を経由し、淡路島を通って徳島に入る。今回のメインイベントは、大叔母とのランチ。チェックポイントは「くるくるなると」という道の駅。気に入りである淡路サービスエリアにも寄っておきたい。
そしてこのドライブの楽しいのは、なんといっても大きな橋を二度も渡るところだろう。青い空に聳え立つ明石海峡大橋と鳴門大橋が、楽しみである。
途中でお手洗いに行きたくなって、兵庫県に入ってから、京橋サービスエリアに停車した。このサービスエリアの面白いのは、すごく狭い土地に無理やり建てたのであるらしく、立体道路の入り組んだなかでつくったパーキングエリアの中空、階段をたくさん上ったところにお手洗いやお土産売り場があったりする点である。
ちょっとしたことなのだが、女性用お手洗いの前でプレゼントと渡し合いっこをしている若い女性のグループがいて、邪魔だったのでどこかに行くのを待っていたら、4人全員に不審なものを見るような目で見られたことを記しておきたい。ある種の女性の集団の、あの脈絡のない被害者意識というのには眉を上げてしまうことがある。
用を済ませて、滅多に買わない炭酸飲料を、たくさん並んだ自販機から買った。『愛のスコール』、そのままで小説の題名になってしまいそうなこの飲み物は、味も好きだがやっぱり名前買いであると言わざるをえない。CDをジャケ買いするようなことだ。
再び車に乗り、神戸のあたりで少しだけ渋滞しつつ、淡路島に入った。


気に入りの淡路サービスエリアはどうやら、朝から混んでいるようだったので帰りに寄ることにした。
淡路島南パーキングエリアでも少し休憩。

お腹が空いてきたので、試食のおせんべいをつまんで、よい気持ちになる。試食って、衛生面とかどうこう置いておいて、楽しくて好きだな。
車の流れは、淡路サービスエリアを素通りしてからこっち、すっきりすきすきで、やっぱりみんな淡路島で降りてしまうよなあと思う。関西に生まれた人ならわかると思うのだが、彼らの淡路島好きというのは目を見張るものがある。ドライブといえば淡路島、デートといえば淡路島、海鮮を食べるには淡路島、BBQには淡路島。いわば淡路島まで行くということは、大人になるということなのだ。少しだけ足を伸ばして、どこでもないアイランドへ。そこでならなんだってできる、生まれ育った府県を少し出て、自立した気持ちで。海に囲まれて非日常に浸る、淡路島は、気軽に行ける特別なリゾート地なのだ。
そんな関西の聖地・淡路島を今回は素通りして、車は「くるくるなると」に滑り込む。駐車場は四国・中国ナンバーの車でいっぱい。日焼けした誘導のおじさんたちがそこここに立っている。
徳島に行く、とお友達に言うと勧められた「くるくるなると」は、とにかく鳴門金時製品がうずたかく積まれ、海鮮が安いとのことだった。そして、その通りだった。人々は狂ったように芋製品を買い物カゴに詰め、海鮮丼に列をなしていた。母が買ってくれた芋けんぴは時間制でフレッシュなものが売り場に出されるのであり、おいしかった。
いちばん嬉しかったのはしかし、レンコンが安いことであった。徳島というのは、蓮根畑が多い土地なのである。「くるくるなると」を出て「ゆめタウン徳島」へ向かう道も、両側を蓮根畑に囲まれていた。白く大きな、迫力のある花々を嬉しく眺めて田舎道を走る。
何を隠そう、3年くらい前に運転免許を取得しにやってきたのも徳島であり、ドライバーとしての私の生誕の地なのである。そうして阿波弁全開の教官が言っていたように、徳島の道は狭い。誰もがほとんど100%車で移動するのに、その道はあまり走りやすいとは言えない。入れ違いになるのが困難な道や、民家の間に唐突に現れる信号機などを通り過ぎ、「ゆめタウン徳島」へ急ぐ。
「ゆめタウン」とは、中国・四国・九州地方で展開する商業施設である。イオンモールの地方バージョンで、休日にはキンキンに冷房の効いた店内に徳島っ子たちがたむろする。今回用事があるのは、そのなかのペットショップだった。大叔母たちとランチをする間、犬にはそこにいてもらうことにしていた。
久しぶりに会う大叔母と、大叔母の娘ちゃん(母の従姉妹)の顔を見ると嬉しかった。大叔母に会うのは2年ぶり、娘ちゃんに会うのは10年以上ぶりなのであった。「えっとぶりやなあ」と大叔母が笑う。「えっとぶり!?」と笑う私に、「久しぶりってことだよ」と母が言う。
そうしておうちにお邪魔して、私たちを待っていたのはテーブルに山盛りのお野菜とはちみつであった。なにかマーケットにでも出すのかなと思っていたら、ぜんぶ私たちへのプレゼントのようで驚いた。わあ、夏の収穫祭だ、と歓声を上げた。収穫祭、素敵な響き。私自身は「収穫」をしたことがないので、いいとこ取りになってしまうのだが、山盛りの、大きく育った野菜を見ると、お祭り、という感じがしてめでたい。
大叔父に分蜂(ぶんぽう、というのだそうだ、女王蜂のお引越し)の様子をおさめたビデオを見せてもらい、母が悲鳴をあげる。「(母)ちゃんは虫 嫌いじゃったなあ」と大叔父が笑い、そうか母にとってはこの人は叔父さんなのか、と思う。私は小学生のころ、このお家に夏休み、妹とお邪魔してスイカやBBQを頂いたけれども、そんな楽しい思い出のいっぱい詰まった大叔父の家だけれども、母はそれより前の記憶が彼らとあるんだもんなあ。親戚というのは妙である。私の人生を、私が世界を認知する前から丸ごとなんだか目撃されているような気分になる。そしてそれは居心地の悪いものではなく、安心なものでもあるのだが、こんなふうに自分の知らない頃の母の感じが覗き見えると、ちょっとちぐはぐでこそばゆい感じになる。
お昼ご飯の前に、自家栽培で冷え冷えのスイカの大きな一切れと、メロンを頂いた。メロンは甘みが少ないというので、これも自家栽培のはちみつ(県に許可を得ているのだそうだ)をかけて頂いた。どれもすごくおいしかった。感謝したい気持ちになった。そういえば日本という国を美しいなあと思ったのも、3年前に徳島に遊びに来たときだった。
テレビでは夏の高校野球がやっていた。板野高校と阿南光高校が戦っていて、阿南光高校というのは聞いたことがない学校だなあと大叔母と大叔父が話した。新しい学校かなあ。阿南の光っていい名前やねえと母が言う。私は大叔父が法事でうちに来てくれたときに居間のテレビでお相撲を観ていたことを思い出した。
たくさん出していただいてちょっとお腹いっぱいだなあ、とちょっと思っていると、大叔母の娘ちゃんが「猫の準備見る?」と言ってくれた。明日、新しく猫ちゃんをお迎えするので、その前日である今日は、もう準備万端用意しているのだそうだった。
「うん!見る!」と答えて、階段を駆け上がるとき、階下では大人たちが話していて、なんだか子どもに戻ったような気持ちになって嬉しかった。明確な区切りはなく、いつの間にか、それも最近、まあ26歳くらいから、徐々に大人になったのであるが、子どものような言動をするとき、それが許される空間、というのはこそばゆく嬉しいものである。ものであるなんて子どもは言わないのでやはりちぐはぐなのであるが。
娘ちゃんのお部屋は整頓されていて、そのなかにキャットタワーが、どん、と鎮座し、封を開けていない水飲み器や、爪研ぎ、災害時用のキャリー、などほんとうにすべてが揃っていた。「小さいときここで3人で眠ったよね」と娘ちゃんが笑う。ゆっくりした話し方も笑顔も、優しさも、娘ちゃんは、いっちょも変わっていなかった。2階は窓が開け放たれていて、気温は高かったけれども風がすうすう通って、クーラーなしで眠った小さい頃を思い出した。
お野菜をぜんぶ車のトランクに運んで、ランチに出発しようとすると、大叔父も娘ちゃんも来ないというので少し寂しかった。みんなで「たらいうどん」を食べられると思ったのに。
ほんとうは焼肉に連れて行ってくれる、と大叔母は言っていたのだが、私が直前にやっぱりたらいうどんが食べたい!とわがままを言ったのだった。私は徳島で食べるたらいうどんが大好き。だってそれはそのまま、親戚や妹、母たちと囲んだ丸い「たらい」の思い出を象徴している。
「たらいうどん」は、徳島県の土成という地域に特有のおうどんだそうだった。というのは、今回の”ジェネレーション越え帰省(私は奈良県産なので)”にいたって調べて初めて知ったことだった。徳島の人はみんな、大きなたらいでおうどんを食べるのだと信じて疑っていなかったわけだが、事実は少し違った。というか、大阪で自分以外にたらいうどんを食べたことのある人に出会ったことがないので、これは意外ではないはずであった。
「宮川内谷川」という川の周辺で、木こりの人たち(木こり……?)が、釜揚げのおうどんを茹で汁と一緒にたらいにうつして食べていたのが発祥で、昭和初期くらいからあるのだという。特徴的なのがつけ汁で、「じんぞく」という川魚から出汁をとっていたらしい。今では漁獲量の減少などの理由で、ふつうのお出汁で食べるそう。
自分の幼少期では当たり前に生活のなかにあったものが、局地的な郷土料理だったのだと知ることは、またしても不思議だ。徳島に来たら「たらいうどん」だったもの、大きなたらいからなくならない太い白いおうどん、すぐに薄くなってしまうつけ汁、人がたくさんいる大きな広間みたいな畳敷きのお店、落書きスペースと撮影スペースが一緒になったプリクラ、スライムのガチャガチャ、飾られたスズメバチの巣……。
大叔母の車の運転手を代わり、後ろに母と大叔母を乗せて徳島の道を行く。観光ホテルの廃墟、小さな道の駅を越えて、たらいうどん屋さんの並ぶ山道で見当をつけたお店に入る。

しかしそこは、母も大叔母も私も誰も来たことのないお店であった。いつも行くのは坂をひとつ下ったところ(蜂の巣が飾ってある)と、ふたつのぼったところであった。ふたつのぼったところの方は、若き日の母がすってんころりんした川がお店のすぐ外にあるので、みんな見たかったのだが、ぐうぜん入った「新見屋」も、長い階段を下ってたどり着く川から吹く風が気持ちよかったので、そこに入ることにした。

建物はすごく古く、別館のようになっているところはもう完全に使われていなかった。お手洗いは改装されていたが、崖がすぐ裏にあって湿度が高く、ドア枠に小さなきのこが生えていた。
私たちは靴をめいめい脱いで、お座敷に上がった。先客が4組ほどいて、賑わっていた。クーラーのすぐそばの席が空いていて、陣取る。他のお客さんのひとりが、畳用の小さな椅子に座っていた。畳用の小さな椅子をなんとなく私は好きだ。用途が限定されていて、かつ、理にかなっているから(床に座り続けるのはしんどい)。
たらいうどんの麺はすごく太いため、茹で上がりには時間がかかった。昔はよくさわがにの揚げたのを一緒に食べたのであるが、さいきんのたらいうどん屋さんの流行りである鶏の焼いたやつが私はわりと好きなので、それもいただいた。



大きなたらいを、高校生みたいに見えるつるっとした女の子が運んできた。大叔母が「まだ”じんぞく”で出汁をとってるんですか」と訊いた。女の子は、「は?」という顔をした。「じんぞく」がなにかもわかっていないようだった。続いて訪れたオカミさんらしき人に訊くと、「もうじんぞくは獲れないんですよ」と、テーブルに置いてあった資料を参照して説明してくれた。オカミさんらしき人は丸い顔にこってりと厚化粧を乗せて親切そうだった。思うのが、私が子どものころにはまだ「じんぞく」で出汁をとっていたのだろうか。どんな味だったんだろう。川魚でとった出汁。
大叔母は最近 身体を壊していたので心配だったが、「楽しいね」とはしゃぐ笑顔が変わらず可愛くて、早く元気になってほしいなと思った。優しくて可憐で可愛い大叔母が私は大好き。
おうどんと鶏肉を平らげて、また長い階段をのぼり、運転席に座る。失念しかかっていたのだったが、今回の"ジェネレーション飛び帰省"はお墓参りも兼ねていたのであった。少しだけドライブして、鬱蒼としげる山のなかの先祖の墓へ。
車のドアを開けると容赦なく襲う熱気に怯む。道は、熱帯のような気温に舌なめずりをするようにもりもりと蔦や枝を伸ばす草木に覆われ、未開のジャングルのごとくであった。ご先祖のお墓にたどり着く前、間違って曲がった獣道に干からびた蛇の抜け殻が白く伸びていた。風がびゅうと吹いてもう訪れる人のなくなった墓たちが自然に還ろうとしているのが、木々の下に見える。
母が無事にお墓を見つけ、道を少し入ってお参り。真新しい卒塔婆、中身が分離してしまったペットボトルの飲み物。水受けに葉っぱが干からびていて、装備不足の私たちは手でざらざらと除ける。
ご先祖とは違う苗字だし、生まれた場所もこことは違うのだけれども、祖母の血筋である徳島のご先祖にいちばん親しみを感じる。それは繋がりというほど、でも強固ではなく、実際の距離に比例して近くもなく、でもやっぱり親しい。
えっとぶりですが、大叔母の快復を見守ってくださいとお願いして、また涼しい車内に戻る。ハンドルを握り、少し遠くのジェラート屋さんに行くも、大満員の大行列で挫折。土曜日のお昼過ぎ、外気温は40度に届こうとしていて、あんまり他に「なんちゃない」徳島で、ジェラート屋さんに列ができるのは仕方ないかあ。
少し遅くなったけれども、ゆめタウン徳島へ戻り、犬を引き取って大叔母とばいばいした。もう少し涼しくなってからまた来るねと言うと、待ってるよ、と笑ってくれた。そしてお小遣いを握らせてくれるのだった……。もう私は大人なのに!! とはいえやっぱり親戚が少なくてお小遣いやお年玉を母以外からもらった経験の少ない私にはお金そのものよりもその出来事自体が嬉しい。
帰路の車窓に、新しくできたおうどん屋さんが数軒過ぎ去る。「なんちゃない」としきりに大叔母は言うし、数年前までたしかになんちゃなかったけど、奈良に住んでいる今では、奈良よりもなんちゃ”ある”と思う。
帰りしなには、ちゃんと淡路サービスエリア(ハイウェイオアシス)に寄る。気に入りの立ち寄りスポットは、10年くらいまで人が誰っちゃおらんくて、無人の庭を妹と駆け回るのが楽しみだったのだが、今ではオニオンスープなどを求める観光客で賑わっている。

私たちはお月様のしたで犬を散歩させた。坂を上ると、明石海峡大橋を見下ろすビューポイントがあったりして、ぬるい潮風にも気分良くなった。

旅も終盤、車を飛ばしていると、大阪のあたりで分岐点に気づかずに左車線を走行し、右ウインカーを出して路側帯で停車してしまうという出来事があった。「ああー!」と叫んでいると、1台の車が私の行きたい車線の後方でパッシングし、停まっている。「な、なんだってー!?」と私はまた絶叫せざるを得ない。疲れて眠そうな母に力説する、「初心者マークが困って停まってるからって、ちょっとブレーキ踏んで待ってくれるってどんだけ心が広いわけ!?」「きっとちょっと笑って、はいはい行きや〜ってパッシングしてくれたんやわ!!」「私も、あんなふうになりたい!!!」
右往左往するどんくさい若者に笑って道を譲れるような心に余裕のある大人になりたい、と、私はいたく感動してしまった。ちょっと立ち止まる、ちょっと時間を割く、そのちょっとに実は多大な心の余裕が必要であることを、もう学びつつある私は年齢にあるのである。いつか自分ももう少し歳を重ねたら、ふっと笑って余裕を示せる大人になりたい。そのためにはあらゆる意味で足りていないといけないだろう。
譲ってくれた車両は、ミニだった。高校の時の数学の先生がちょっと嫌な感じの太り方と話し方で、カスタマイズしたミニに乗っていたので、ミニに乗ってる人に対する偏見が少しだけあったのだが、もう撤廃することにした。ミニは人格者の乗る車。
そうして無事に帰宅し、シャワーを浴びて疲れて眠った。次の日の日曜日はピザをとった。そんな週末がありました。
