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”書く”の履歴書

最近、”書く”ということを毎日続けている。
これは、ここ数年の自分の人生の中ではかなりの生活習慣の変化ではあるのだけれど、よくよく考えてみたらそんなにびっくりするほどのことでもない気もしてきたので、自分自身の”書く”ということについて改めて振り返ってみようと思う。

まず、”何かを書く”こと自体は幼稚園生の頃から、ひらがなっぽいものを書いたりしていただろう。

私はよく自分の名前を”おい”と書いていた。”あ”が書けなくて、”お”になってしまう。あいはおいに。至る所の所有物においと書きまくっていた第一次、書くブーム。

この頃なんと思っていたかははっきりとは覚えていないが、文字を書くことが、生きる中での新しく手に入れた知識ではあるのと、親に褒められるので、そこに大した意味はなくとも、書くこと自体が楽しかったのではないかと思う。

字や文章として書くことを覚えた小学生の頃。書道も習い始めたのもあって、純粋に文字を楽しんでいたと思う。また、国語の授業で詩を書いたら褒められたこともあったし、書道の先生も「元気のいい字だね」と花丸をくれたのでとっても嬉しかった思い出がある。

私は転校をしたので、引っ越す前の友達とは文通をしていた。この手紙のやりとりが私の書くことへの定着を生んだのかもしれない。
書かないと伝わらない想いがあった。(その頃はネットもメールもないから手紙を書くしかない)それなりに書くことに親しんで過ごしていたと思う。

中学生になって、一気に環境が変わってくる。交換日記がブームで、たくさんの交換日記を掛け持ちしていた。それほど真剣に書くことはないはずなのに、友達と交わす文章はとても楽しかった。

FAXも流行って、家に帰ってから友達の家にFAXを送り合った。交換日記もしているのに確実にコミュニケーション過多である。(ゆえに本当に何も意味はないことをただ書いていた)

何の意味もないとは言ったが、あの頃にしか書けないすべりまくっているギャグ、流行りのギャル文字の書き方、幼い人生相談、全てが今に繋がる最高な無駄だったはずだ。

そうこうしているうちにネット環境が普及し始めて、ポストペットが流行った。これもほぼ内容はないのだが、このタイミングでメールを送るようになった。タイピングで書くことを始めたのはこの頃だと思う。

高校生になって、授業中は手紙ばかり書いていた。休み時間に交換するのだけれど、多い時で同じ友達と1日に3,4回やりとりをしていた、いや、授業に集中しろ。本当にそれはそう。

この頃から、現代文の授業で詩を書くわけでもなく、小論文の対策だとかノートの書き写しだとか、勉強の点では文章で褒められることは少なくなってしまう。

携帯も持ち始めて、携帯のメールを打ち始める。ガラケーだから両手で文字をピコピコ打つ。最近まで、会社携帯でガラケーを渡されていたが、この頃の経験がなければ、ガラケーでメールを打つのに戸惑っただろうと思う。現に現役時代の速さではもう打てなかった。あのスキルはまた使う時が来るのだろうか。

日記も一時期ブームで書いていたが、大学生になって辞めてしまったように思う。

大学生になると直筆で何か長文を書くという機会は少なくなった。課題もパソコン、何か連絡をとるのも携帯に打ち込む。
ただ、その頃もよく考えたら私は長文は書いていた。mixiだ。

振り返れば、mixiが爆発的に流行っていたので毎日のように投稿していた。よくこんなに毎日書いていたなというくらい、ネタもあれば(中身はないんだけれど)、分量もあるんだけれど、こうやって振り返るまでは、自分がその頃に毎日のように書いていたという意識はなかった。

その後、Facebookが出てきて、同じような感じで投稿はしていたけれど、写真を挿入して記事を書くことが多いので、あまり文章に注力しなかったと思う。

程なくしてInstagramが流行り始め、これこそもう文章があまり必要なくなってきてしまい、Instagramが主流のSNSになってから最近までは、”毎日のように書く”ということから遠ざかっていたように思う。

よく、仕事でSNSの投稿とか資料作りとか、上司には「すぐ出来るでしょ」的なことを言われて思うのは、「いや、文章ってそんな簡単に出来上がらないから」。

だけど、仕事でも上手く書きたいこと、上手く書ければもっと表現出来ること、伝わることはたくさん出てくる。
書いていないから筋トレと同じで書く力が鈍っている。それが悔しい。

ここまで書いてきたように、生きていく上で書くこと自体が日常であるからこそ、そこかしこで蔑ろにされがちだが、本来は書くこと自体は複雑でとても面白いことなのに、分かっている私でさえ丁寧に扱えなかったりする。

日々に追われ、なかなか愛を持って書く時間が持てていない、それを嘆いていても仕方ないと思っても自己嫌悪。

何もないところから書くことで読むものが生まれるって、素晴らしいって思っているから書いていきたい。

紙と鉛筆と自分さえいれば書けるのだし。
お金もかからないものだし、ずっとやってきたスキルだし。

そんな悶々と過ごしていた時に、世の中にはnoteがあると気付けた。これは毎日書けていた時代のように、今の私のための”書く”スペースだ!場所が用意されたらあとはやるだけである。

これからも、私の人生で文字を読まない日なんてないんだから、文章を読まない日なんてないんだから、そんな日常のひとつを大切にしていける自分になりたい。

余談だが、大河ドラマや朝ドラにハマっていて、歴史上の人物たちも昔から文を書いたり、本を執筆したり、和歌を詠んだりしているのを見て、「やっぱり書くことってずっとみんな好きなんじゃん!」って、微笑ましくなっている。人生の大先輩方に見習って、粋な文章を書けるようになりたいものです。

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