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星のむふたり

 星をのみに行こうか
 あなたはそう言った。
 星を?のむ?
 うすら寒い風の出るエアコン、なかなか温もらない床暖房、朝の、弱い陽の光。かぶった毛布を引きずりながら台所でぬるいお湯を飲むわたしへ向かって、あなたは確かに。
 ふしぎな事を言うものだ、星は遠い遠い宇宙に光っているものだと言うのに。

 うん。今は日が一番短い頃だからね。元気が出ないのはわかるけれど、きれいなものを飲んで、順応しなければならないよ。
 あなたはいつも説教臭くて社会的だ。そして、しばしば詩人。よくわからない事を言い出すし、こういう時に逆らう気力を、今のわたしはもう、持ち合わせていなかった。

 さて、そうと決まれば出発だ。電車に乗って、バスに乗って、今日は山へ行くよ。あなたは的確に交通情報を調べ、何やら宿を確保し、テキパキと出発の指示を出した。
 古いナイロンの上着をクローゼットの最奥から引っ張り出し、適当なズボンを履いて、足元は普段のスニーカー。タオルとティッシュ、最低限の着替え、携帯電話に財布しか入っていない、ガバガバのリュックサック。もちろん化粧なんてしていないから、直す道具も必要ない。
 使い古したバケツハットをかぶって、もう完成だ。

 よれよれだね。と、わたしよりふくらんだリュックを背負いながらあなたは笑う。
 よれよれですから。とわたしは開き直る。もう、開き直るしかないのだ。

 あなたの装備はわたしよりは幾分パリッとして見える。歩くのが好きで、時々、一人で近郊の低山に登っているらしい。
 あの山の頂上にはねこがいるよ。そう言って誘うあなたをわたしは布団の中から見送ってきたことを、すこし後悔する。

 朝の下り電車は空いていた。それでも都会に住んでいるから、人がいないわけではなくて、おじいさん、おばあさん、おじさんにおばさん、赤ちゃんを連れた人もいる。
 わたしは公共交通機関に乗ると、ひどく手持ち無沙汰になってしまう。車を持っていないから、移動手段として欠かすべからざるものなのだが、どうにも楽しく過ごすということができない。自分が車内でいちばん弱い生き物になった気がするのだ。
 喉がつかえたようになって、喋ることもできず、外の風景を眺めることもできず、ただ俯いて、隣に座るあなたの温かい手をぎゅっと握り締め続けた。

 電車を乗り継ぎ、いいかげん握り疲れたころ、終点に着いた。
 バスは二時間に一本しかないんだ。昼食に駅前の食堂で、急ぎ、あたたかいとろろ蕎麦を食べる。お腹に温かいものを入れたので、少し落ち着いた気がした。

 ほとんど人のいないバスに乗り換える。バスの中は寒かったけれど手は繋がなくても平気だった。お腹がぽかぽかして、すこし強くなった気がする。
 バスが一際大きく揺れて止まった。目的地に着いたようだ。

 森の中でバスから降りたのは、私たち二人だけだった。もう夕方。言外に、遠いとぼやくと、あなたはまだ昼過ぎだよ。こちらを見て笑う。すこし歩くから、足元に、気をつけて。

 バスで来た舗装道路を渡り、山道に入る。足元はもう、半分ばかり暗くなっている。わたしは鳥目なのだ。かろうじて整備された下り道をくねくねと下る。まさか明日、帰るときはこれを登らなければならないのだろうかと呪いながら足を運ぶ。木々の気配が、土やら何やらの爽やかな匂いがする。わたしの息はどんどん上がっていく。下る。息をする。見えない。息を吸う。息を吐く。息を吐く。息を吸う。吐く。呼吸が浅い。目が霞む。さっきから同じところを歩いている。足を出す。息を吸う。吐く。出す。霞む。吸う。吐く。出す。霞む。止まる。止まる。止まる。動けない。
 動けない。

 もう少しだよ。
 しゃがみ込んだわたしの肩を、あなたが撫でる。息を、吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー。大丈夫だよ。歩けるよ。
 そしてガーゼのハンカチでわたしの涙を拭う。そうだ、目が霞むのは泣いていたからなのだ、と気づく。
 元凶が、何を言っているの。と悪態を吐くと、あなたは笑った。
 笑ってくれた。
 笑ってくれてよかった。わたしはまだ、あなたの隣にいる資格を持っている。

 しばらく行くと道が平らになって、歩くのがずいぶん楽になった。呼吸もできているし、目も霞まない。視線の先には、森と、あなた。道は相変わらずがたがただったけれど、快適。

 そうして歩いていると、不意に森が途切れて、湖が現れた。湖のそばには小さなホテルがあって、あそこが今日の宿だよ、とあなたが言う。
 窓から湖は見える?と問うと、見えるよ、朝日がきれいだよ。と。
 川のそばに住んでいる私たちは、水辺が好きだ。

 ホテルで荷物を整理すると、夕飯前にもう少し散歩をするよ、と言われた。もうじゅうぶん歩いたと文句を言っても、こういう時のあなたには全くの無意味。渋々ついていくと、湖のそばまでやってきた。湖面は凪いでいて、小石だらけの岸に少しだけ、波が打ち寄せている。風がない、穏やかな夕方。空はマジックアワーでピンクとむらさきと青と、ほんのすこしのみどり。

 わたしが湖を眺めている間に、なにやら道具をかにやらして、あなたは一杯のコーヒーを手渡してくれた。

 日が落ちるのが早い。釣瓶落としと言ったのは誰だったか、まさに、ガラガラバシャンといった風情。暗い湖面にムーンリバーが見える。
 あたりは真っ暗になっていた。

 コーヒーのおもてには、夕星、つまり金星が映っている。トールキンが大好きな私たちにとって、金星は特別な星だ。
 星をのむとは、こういうことか。ふたりコーヒーを啜りながら、ひとり、合点する。

 冬はこれからが本番だけれど、もう冬至だから、陽は伸びていくばかりだよ。
 と、あなたはわたしの隣でほほえんだ。

🌟🌟🌟🌟

森野きのこさんのクリスマスアドベントカレンダー、20日を担当いたしました。
きのこさーん、クリスマスじゃなくて冬至の話になっちゃってすみません!いやもう本格的にさむいですね!!

読んでくださってありがとうございました!

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