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なぜ、熊本日日新聞なのか。足元の一紙を、とことん使う。

なぜ、熊本日日新聞なのか

先日、こんな質問をいただきました。

「note、読んでます。でも、どうして熊本日日新聞なんですか?日経新聞とか、観光経済新聞とかじゃないんですか?」

読んでくださっているんだ、と素直に嬉しくなりました。まずは、ありがとうございます。

たしかに、観光や経済を仕事にしている人間なら、全国紙や業界紙を題材にしたほうが、それらしく見えるのかもしれません。

それでも私は、地元紙である熊本日日新聞、いわゆる熊日を読んで、そこで気づいたこと、気になったことを調べながら、note記事を書いています。

なぜ熊日なのか。
今日は、その理由を書いてみます。
理由は、大きく四つあります。

理由その一 毎日、家に届くから

いちばん大きな理由は、拍子抜けするほど単純です。

毎朝、家に届くから、です。

日経新聞も、観光経済新聞も、立派な媒体です。
学びも多い。でも、私の家のポストに毎朝入っているのは、熊日です。

手を伸ばせば、そこにある。

朝のからお茶を飲みながら、当たり前のように広げているのが、熊日なのです。

続けることにおいて、この「当たり前にそこにある」というのは、ものすごく大切だと思っています。

特別な準備が要るものは、続きません。
わざわざ買いに行く、わざわざログインする、わざわざ探す。

その「わざわざ」が一つあるだけで、人は途中でやめてしまいます。

毎朝ポストにある新聞をめくる。

それ以上の手間がないからこそ、私は毎日、記事を書き続けられています。

地域づくりも、仕事も、結局は同じだと思います。

気合いで一日だけ頑張ることより、無理なく毎日続けられる仕組みのほうが、ずっと強い。

私のnoteは、その実験でもあります。
手元にある一紙を、毎日めくる。

それだけで、書き続けられるかどうか。

理由その二 南小国の人が、読んでいるから

二つ目の理由は、読者の顔が見えるからです。

熊日は、熊本の多くの家庭に届いています。
南小国の人たちも、たくさん読んでいます。

つまり、私が記事で取り上げた話題を、同じ町の人が、同じ朝に読んでいる可能性が高い、ということです。

これは、書き手として、とても幸せなことです。

「今朝の熊日の、あの記事ね」と言えば、話が通じる。同じ情報を、同じタイミングで共有している相手がいる。

私の書いたnoteを読んだ人が、「ああ、あの記事のことか」とすぐにわかってくれる。

地元紙には、その町の人たちの「共通の話題」をつくる力があります。

全国紙の記事について書けば、より多くの人に届くかもしれません。

でも、私が本当に語りかけたいのは、まず、この町の人たちです。

同じ新聞を読み、同じニュースに触れ、同じ地域に暮らす人たちと、考えたことを分かち合いたい。

半径200メートルの人たちに届くことを、私はいつも大事にしています。

地元紙を題材にすることは、その距離感に、いちばん合っているのです。

理由その三 熊日に、続いてほしいから

三つ目は、少し踏み込んだ理由です。

私は、熊本日日新聞という地元紙に、これからも続いてほしいと思っています。

新聞業界が厳しい時代だということは、よく知られています。

購読者は減り、紙の媒体は苦しい。
全国紙でさえそうなのですから、地方紙の置かれた状況は、もっと厳しいはずです。

けれど、地元紙がなくなってしまったら、その地域のニュースを、誰が日々追いかけてくれるのでしょうか。

だから私は、自分なりのやり方で、地元紙の価値を示したいと思っています。

熊日を読むだけでも、これだけ深く掘り下げて、毎日でも記事が書ける。

一つのニュースから、地域の未来を考え、自分の仕事に引きつけ、いくらでも思考を広げられる。

「地方紙は、こんなに豊かな素材の宝庫なんですよ」ということを、私のnoteを通じて、少しでも伝えられたら。

地元紙を読む価値を、自分の書くもので証明したい。

それが、地元紙への、私なりの恩返しのつもりです。

立派な媒体を引用して賢く見せるより、足元の一紙をとことん使い倒す。

そのほうが、よほど意味があると思っています。

理由その四 熊本のニュースが、たくさん載っているから

四つ目は、内容そのものの話です。

当たり前ですが、熊日には、熊本のニュースがたくさん載っています。

全国紙では数行で終わるような、いや、そもそも載りもしないような、地域の出来事が、熊日にはきちんと書かれています。

県内の町の取り組み、地元企業の動き、地域の祭りや文化、身近な行政の話題。

私が仕事で関わる阿蘇や、観光や、地域づくりに直結する情報が、毎日のように見つかります。

私の仕事は、地域づくりです。

その素材は、東京の経済の話の中にではなく、足元の熊本の出来事の中にこそ、たくさん転がっています。

山鹿の灯籠踊りの定期公演も、給食の話も、人口減少の話も、すべて熊日で出会った話題です。

これらは、全国紙を読んでいたら、たぶん素通りしていたニュースです。

地域のことを考えたいなら、地域の情報に浸るのがいちばんです。

熊日は、その情報の、いちばん豊かな水源なのです。

足元にあるものを、とことん使う

四つの理由を並べてみて、改めて気づくことがあります。

毎日届く。地元の人が読んでいる。地元紙を応援したい。地元のニュースが豊富。

どれも、「すでに、足元にあるもの」の話です。

私は、遠くの立派な何かを探しに行くより、すでに手元にあるものを、とことん深く使うほうが好きです。

毎朝ポストに届く一紙を、ていねいに読み込む。

気になった一行を調べ、自分の仕事に引きつけ、考えたことを書き留める。

たったそれだけで、毎日、考えることはいくらでも生まれてきます。

派手ではありません。

でも、足元にあるものを、ていねいに、深く使い切る。

それが、私のnoteのやり方であり、たぶん、私の仕事のやり方そのものなのだと思います。

立派な道具をそろえることより、手元の道具を使いこなすこと。

新しい何かを足すことより、すでにあるものの価値を引き出すこと。

地域づくりも、きっと同じです。

だから私は、明日もまた、熊日を広げます。だいたい朝の5時過ぎくらいに。


いつも読んでくださって、ありがとうございます。これからも、足元の一紙から、考えたことを綴っていきます。

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