【短編】君の好きだったキライ
好きな人ができた。
きっと彼女も、少なからず僕に好意を持ってくれている。バイト先の居酒屋で何度も聞かれた。「彼女、いるんですか?」と。
バイト終わりに飲みに行った先で、僕のくだらない話に口角をあげ、ふふふと上品に笑う。帰り道、ちょこちょこと小走りでついてくる小柄な彼女。そんな彼女に聞かれると、僕はこう答えるしかない。
「今は、います」
僕はたぶん、いや、きっとズルい。誰に対して投げた『今は』だったんだろう。自分の中では決まっていたのかもしれない。でも、それをサクラに告げるのは、今じゃない気がして、ずっと彼氏という立場に甘んじていた。
サクラの存在が、僕の生活の重しになっていたわけじゃなかった。彼女と過ごす休日の午後は、これまでどおり癒しだったし、後ろから急に腕を絡め取られると、抱きしめたくなるくらい好きだった。
なぜだろう。例の居酒屋の女性が、飲みの帰りにコンビニでミルクティーを手に取った。その瞬間、自分でも説明できないほど自然に、サクラではない未来を想像してしまった。
サクラの代わりになるとか、そういった打算があったわけじゃない。でもなぜか、僕のなかで、ミルクティーを飲む二人の順位が入れ替わってしまった。
サクラと会ったのは二日後の土曜だった。いつもの喫茶店で、僕は日替わりのブレンド。今日は深煎りのブラジル多め、苦味の強いブレンドだ。彼女が頼んだのは、ホットミルクティーだった。
透明感と小悪魔さが同居するシースルーバング。扇状にバッチリ決まったマスカラ。僕の大好きな水色のワンピース。その全てに思わず漏れそうな「かわいいね」をぐっと飲み込む。
「ね、このあとどこ行く?」
カップを両手で包み、僕の顔を覗き込む。喋るとき、笑うとき、ちょっとだけ歯茎が見える。あばたもえくぼって言うけれど、それがあばたに見えたとき、僕の口から言葉が漏れ出していた。
「……別れよう」
三秒、いや、もっとだったかもしれない。世界が止まるって表現は好きじゃないけど、本当にゲームのポーズボタンを押したように、全てが止まった。
隣の客の声も、カップがソーサーと奏でるカチャカチャという音も。彼女の呼吸や心臓すら止まった気がした。もちろん、僕の方も。
「……どうして?」
そうだよね。ごめん、僕にその答えはないんだ。君のことは好きでしょうがない。何か言おうとしても、愛情の言い換えしか出てこないんだ。でもそれじゃ納得いかないよね。だって、たぶん、好きの強さは変わってないから。
「歩くの遅いのが嫌いだった」
「笑うと歯茎が見えるの嫌だった」
これぐらいしか思いつかなかった。いや、別に嫌いだったところじゃない。でも、何か言わないと、世界が永遠に止まってしまうようで、絞り出した言葉がこれだった。
要は、サクラを泣かせることができれば、なんだってよかった。
「ちょっと……ごめん」
サクラが口元を抑えて席を立つ。
今しかない。そう思った。次の会話はきっと答えの出ない問答だ。いや、僕が全面的に悪い。もう弁解なんて残っていなかった。
とっさに財布から千円札を引っこ抜き、半分残った珈琲の横に叩きつけるように置く。ボディバッグを手に席を立ち、出口に足を向ける。隣のカップルが「マジか……」という顔で僕の顔を見てくる。勝手に人のドラマを観ていたくせに、僕を責めるな。
カウベルの音と一緒に店を飛び出すと、向かいのトンカツ屋の油臭い匂いに包まれた。なぜか、安全地帯に逃げ込んだようでほっとした。
アパートまでは15分。
今日はきっと、居酒屋の彼女には連絡できない。サクラとの思い出しか考えられない。好きだった。いや、まだ好きだ、たぶん。
歩きながら、歩幅を少しだけ狭くした。
(了)
こちらのアナザーとなっております。
