【メモ】父がくれたのは可能性だった
将来の夢がなければ、とりあえず勉強だけはしとけ。父はそう言って学習教材を山ほど買い与えてくれた。正直嫌だったが、いま思えば恵まれた環境で育ったのだと思う。
中学の教師だった父は、厳格で、暴力的で、我が子にも敬語を使わせる昭和の男だった。勉強をサボれば怒鳴りつけられたし、テストで赤点なんか取ろうものなら手も出した。だが、やりたいことは全てやらせてくれた。吹奏楽も、テニスも、原付の免許も。頭ごなしに「駄目だ」とは言わなかった。
当時、特になりたいものがなかった僕は、誰かに聞かれれば「教師になりたい」と言った。父の機嫌が良くなるから。でも、本心はおそらく見抜かれていた。父にあの台詞を何度も言われたからだ。
その当時は「勉強なんかしたって何の役にも立たない」と反抗していた。だが、大人になって理解した。やりたいこと、なりたいものに近付こうとしたとき、勉強不足がいつも邪魔をする。経験不足ではない。学んでこなかった過去が、未来の僕の前に立ちはだかった。
機会は与えられていた。父の目を誤魔化すために、振りをして身につけてこなかったのは僕の怠惰だ。傍目には「教育熱心な父」ということになるのだろう。その有り難みに気付かずに、僕は愚か者のままで社会のスタートラインを踏み超えてしまった。
父がくれた「あたりまえ」は、世界では「あたりまえ」ではなかった。学校へ行けない子、教科書すら持てない子がいることを知ったのは、大人になってからだった。
教育は可能性だ。あの日、嫌々開いた問題集は、未来の僕に渡されるはずの選択肢だった。人生のゴールが見えている人間は、その道を最短距離で突っ走れば良い。だが、僕ら平凡な人間にとって、幼い頃には将来のゴールなんて見えてない。足元すら本当に見えているか危ういくらいだ。だからこそ選択肢を増やす努力をせねばならない。霧の向こうにいつゴールが見えてきてもいいように。
機会すら与えられない人もいる。少なくとも僕はそうじゃなかった。でも幼い頃に与えられた機会は、もう取り戻すことはできない。機会のない子たち全員に、僕一人の力で教育を届けることもできない。
いま、父と同じことを、娘に繰り返し言っている。
教育のありがたみが分かる子を育てたい。その子がいつか誰かに同じ言葉を渡してくれたら。その思いが、より多くの子どもへ教育の機会を届けられる人に受け継がれていくことを願っている。

