AIにデータを読み込ませるために、大量の古書が購入され切断された後に廃棄されているらしい、という話。
そんな話をふと目にした。
その本は、今そこに在っても、誰からも読まない本なのかもしれない。
ただ場所をとっているだけの書棚の肥やし的な存在なのかもしれない。
けれど、もしかしたらいつかは誰かに読まれるかもしれない。
必要な人が現れるかもしれない。
けれど、その時になって、その人にその内容が「伝わる」かはわからない。
とはいえ、物理的な本が消えたとしても、その内容がデータとして残るのであれば、それは本が存在している状態と同じではないか、と思うかもしれない。
だが、率直に言えば、そのデータにユーザーがアクセスする権利まで、後々まで保持されたままになる保証があるとは限らないということだ。
なぜなら、AIがその読み込んだ内容を、ユーザーにそのまま提示してくれるかどうかは、そのAIの企業の方針によるからだ。
ユーザーが知りたいと望むデータが、AIの記録の中にあっても、それを企業(あるいは国)が、どのような理由であれ、これはユーザーに提示するべきでないという判断を行ったとしたとしたら(それが一般的な感覚で、いかに無害で何の不都合もないものだとしても)、それはその瞬間から、誰の目にも触れないし、つまるところ「存在しない状態」と同じになってしまうだろう。
何を見て、何を見ないか、その選択肢を自分で決める権利は、すでに無くなりつつあるのかもしれない。
また、それは、ある意味で現代の静かな検閲であり、焚書でもあるのかもしれない。
