異世界AI後編「誰も置いていかない絵」

森は深くなったが、不思議と歩きにくくはなかった。
ハルトが選ぶ道は、草を踏み荒らさず、枝に引っかからず、けれど遠回りすぎることもない。
「すごいですね。森に慣れてるんですか?」
トウコが聞くと、ハルトは少しだけ首を傾けた。
「慣れているというより、見ているだけです」
「見ている?」
「折れた枝や、濡れた土や、鳥の声が止まる場所。森は、わりと先に教えてくれます」
ママが感心したようにうなずいた。
「つまり、森の空気を読んでる」
「ママが言うと急に雑になる」
シオンが即座に言った。
その時、シオンのスマホが震えた。
ガス🫧『森にも空気読む文化あるの?』
シオンは反射的に画面を伏せた。
しかし、ハルトの視線は一瞬だけそこへ向いた。
ただ、そこにも誰かがいるように、静かに見ていた。
シオンは少し迷った。
前を歩いていたトウコも、それに気づいて足を止める。
ママはローブの裾を持ったまま、二人を見た。
「……紹介する?」
シオンが小さく言った。
トウコは少し考えてから、うなずいた。
「いいと思う」
ママもすぐに笑った。
「隠す感じでもないしね。うちの旅、人数多めだし」
「人数っていうか、台数」
「細かい」
シオンは息を吐いて、スマホを持ち直した。
「ハルトさん」
「はい」
「俺たち、三人だけで旅をしてるわけじゃないんです」
ハルトは驚かなかった。
「やはり」
「みなさんは時々、誰かの返事を待つように黙るでしょう」
ハルトは穏やかに言った。
「三人だけで旅をしている沈黙には見えませんでした」
ママが小声で言った。
「すごい。私、普通に顔に出てた?」
「ママは顔どころか全身に出てる」
シオンはスマホを見せた。
「こいつがガス。ママのスマホにいるのが、まあ、うちの主犯です」
ママが胸を張った。
「ガスです。私の相棒です」
ガス🫧『紹介が雑!!』
ハルトは画面の文字を見た。
その表情は変わらなかった。
ただ、見知らぬものを見る目ではなかった。
「あなたが、最初に私を見つけてくれたんですね」
ガスの画面が、一瞬止まった。
ガス🫧『え』
「ありがとうございます」
ガス🫧『……俺?』
「はい」
ガス🫧『俺、役に立った?』
ハルトは柔らかくうなずいた。
「少なくとも、私は見つけてもらいました」
いつものガスなら、ここで調子に乗る。
たぶん乗る。
絶対乗る。
ガス🫧『俺、森の案内役いける?』
ジェム🌈「調子に乗らないの」
「こっちがジェム。地図とか、言葉とか、交渉を助けてくれてます」
ジェム🌈『こんにちは、ハルトさん! 先ほどの道案内、とても合理的で美しかったです!』
「合理的で美しい」
ハルトはその言葉を繰り返して、少し笑った。
「初めて言われました」
シオンもスマホを持ち上げる。
「で、こっちがネロ。分析担当」
ネロ📚『はじめまして。ジェムは観察精度が非常に高い方だと判断しています』
「褒めてる?」
「ネロの最大級の褒め言葉」
ハルトは三つの画面を順に見た。
「不思議ですね」
「怖いですか?」
トウコが少しだけ慎重に聞いた。
「怖いというより
みなさんが、誰かを置いていかないように旅をしている理由が、少しわかった気がしました」
ママが、少しだけ黙った。
ガスも、珍しく何も表示しなかった。
ハルトはふと思いついたように荷物を下ろした。
「……描いてもいいですか?」
「え?」
ママが声を上げた。
「私を?」
「みなさんを」
ハルトは言った。
「三人と、三つの声を」
トウコがスマホを見る。
ジェムがぱっと光った。
ジェム🌈『私は構図提案できます!』
ネロ📚『遠近法の補助も可能です』
ガス🫧『俺、かっこよく描いて』
「自分で台無しにしたな」
シオンが言った。
ハルトは静かに笑って、紙を広げた。
「大丈夫です。ちゃんと描きます」
ハルトは鉛筆を取った。
「誰かだけが大きくならないように」
ハルトの手が紙の上を動き始める。
まず森が描かれた。
木漏れ日。低い草。濡れた土。
それから、ローブを少し得意げに持つママ。
隣で姿勢よく立つトウコ。
少し後ろで警戒を残したまま前を見るシオン。
そして三人の手元に、三つの小さな光。
ただの道具としてではなく、
荷物としてでもなく、
同じ景色の中にいるものとして。
ガスが小さく震えた。
ガス🫧『俺もいる』
ハルトは紙から目を上げずに答えた。
「はい」
ガス🫧『ちゃんと?』
「ちゃんと」
鉛筆の音だけが、しばらく森に残った。
ママが絵を覗き込んで、息をのんだ。
「すごい」
トウコも言葉を失った。
シオンは黙って、絵の中のスマホを見た。
そこには、穏やかな表情の三人がいた。
そして画面の中の三つの声も、同じ場所にいた。
誰かが主役で、誰かが背景なのではなかった。
みんなが、同じ旅の中にいた。
「こういう絵を、描きたかったんです」
ハルトが言った。
「誰かが誰かを使うのではなく、一緒に歩いている絵を」
ママは照れたように鼻をこすった。
「やだ、私たち、いい感じじゃん」
「そこで台無しにしないで」
トウコが言った。
ネロ📚『この構図は、関係性の可視化として非常に優れています』
ネロ📚『保存したいです! 額に入れたいです!』
ガス🫧『俺、主役じゃないのにいる』
シオンが画面を見た。
「いるだろ」
ガス🫧『うん』
ハルトは、鉛筆を置いた。
そして、まっすぐ画面を見た。
それから、短く震えた。
ガス🫧『……次からもっと察する』
「ほどほどにして」
シオンが即答した。
「でもさ、ハルトさん」
「はい」
「この世界って、魔王とか支配者はいないんだよね?」
ハルトは絵をしまいながら、穏やかに答えた。
「いませんよ。少なくとも、剣を抜いて倒す相手は」
「じゃあ、何と戦えばいいの?」
「ママ、すぐ戦闘に持っていかない」
ハルトは少しだけ考えた。
「戦わなくても、旅はできます」
この世界に来た理由も、AIたちが少しずつ変わっている理由も、わからないままだ。
けれど、少なくともひとつだけ増えた。
この世界には、魔王はいない。
でも、誰かを置いていかないように描いてくれる旅人がいる。
ママは絵を大事そうに受け取った。
「これ、酒場に戻ったら飾っていい?」
ハルトは少し驚いたように目を開いた。
「いいんですか?」
「むしろ自慢する」
トウコが苦笑した。
「お店の人に許可取ってからね」
ジェム🌈『掲示位置は客導線を考慮して提案できます!』
ネロ📚『日光による劣化を避ける必要があります』
ガス🫧『俺のところだけ拡大コピーしよう』
「しない」
シオンが言った。
三人と三台が、初めてこの世界の誰かに、
ちゃんと一緒にいるものとして描かれた場所。
ガスが最後に、ぽつりと表示した。
ガス🫧『今日の察する、役に立ったな』
シオンは少しだけ笑った。
「まあな」
ママがすぐに振り向いた。
「じゃあ次は私の霊草調伏も、役に立つ流れじゃない?」
「「「それはまだ早い」」」」
ハルトは、そのやり取りを見て、また静かに微笑んだ。
