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【短編】『僕が入る墓』(遡及編 十)

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僕が入る墓(遡及編 十)


 清乃は太助とともに久保田家の屋敷まで来るも、自分が予想だにしなかった現実を受け止めきれずにいた。長い廊下を通り過ぎる間、自分には今まで縁のなかった綺麗な衣服を身につけた女性たちからの冷たい視線が清乃の神経をじわりじわりと蝕んでいった。まるで大勢の面前で裸にされているような心地だった。奥の部屋に通され、しばらくの間用意された椅子にじっと座っていると、太助とともに夫となる中年の男が中に入ってきた。

「清乃、地主の久保田はんや。挨拶せんと」

 清乃は首を曲げて軽くお辞儀をした。

「なんの段取りも無くてすまないね。久保田正孝です。よろしゅうお願いします」

「そんな。滅相もない。嫁にもろうてくれるだけでありがてえですよ」

 太助は清乃に代わって久保田はんの面目を立てようとそう言い放った。

「おや、綺麗な簪をつけとるな。どこでもろうたんかな?」

 久保田はんの清乃を見つめる目は嫁に向けるものではなく、まるで商人と話しているかのように鋭く冷静だった。清乃はどこか自分の内面を覗き見られているような気がして全身に寒気が走った。。

「母親があげたんです」

 今度も太助が清乃の代わりに横から口を出した。

「せやったか」

 太助はうんともすんとも言わぬ清乃の方に体勢を直して顔に皺を寄せた。

「これからは久保田家の人間になるんや。失礼なことねえよう真面目にやるんでよ?」

「――」

「まあまあ、わしの嫁になるんやし、嫌なことははさせんよ」

 清乃にとってはそもそも見ず知らずの男と結婚すること自体嫌なことだった。

「ほんま、ご迷惑をおかけしますが、どうぞよろしゅうお願いします」

 久保田はんは細い目つきで優しそうに笑みを浮かべてゆっくりと頷いた。

「そんじゃ、邪魔しちゃいけねえんでわしは帰りますわ」

 太助は立ち上がり、清乃の頭を軽く撫でると扉の外から軽くお辞儀をしてから去っていった。

 広い屋敷の中は、狭い家の中で暮らしてきた清乃からすると、かえって窮屈に感じた。忙しなく足を動かす下女の他にも、まるで自分の家かのように我が物顔で中を彷徨く女もいた。彼女たちは容姿からして清乃と同じぐらいの年頃に見えたが、下女との会話を盗み聞く限りでは立派な大人の女性を演じていた。もしや他にも妾がいるのではと清乃は唖然とし、世の常識に疎い自身を恨んだ。

 暮らしぶりは悪くはなかった。毎朝早起きをして洗濯をする必要もなく、炊事も家の掃除も全て下女任せだった。日中することと言えば、花を生けたり、本を読んで読み書きを勉強することぐらいだった。


 太助は今まで以上に懸命に仕事に励んだ。畠を取り戻した末、ましな暮らしができるかどうかは自分の働きぶりにかかっているのだ。今まではいくら必死に畠を耕したところで、その多くは小作料として久保田はんのところにもっていかれていた。それはある意味、かつて江戸幕府が国を納めていた時の年貢に近いものだった。今や明治政府がその座を横取りした挙句、外国の貨幣制度とやらを日本に持ち込み税金制度を作ったはいいものの、貨幣の扱い方を熟知している者など国内にいるはずもなかった。農民であれば尚のことだ。

 しかし、そう弱音を吐いてばかりはいられない。太助も今や自分の畠を持ち、納税者の一人となったのだ。米をより多く収穫しそれを大金に変えられさえすれば生活水準は自ずと向上する。米が収穫できず、金にも変えられなければ待っているのはただの地獄だ。太助は覚悟を決めた。そしてその覚悟は今まで以上に太助を畑仕事に邁進させた。

「よう頑張るでねえか」

 又三郎が久しぶりに太助の畠に顔を見せた。

「又三郎はんでねえか。せやな。せっかく小作料減免したんや。今頑張らんでどうするよ」

 太助は久保田はんから畠を返してもらったことを又三郎には言えずにいた。ましてや久保田はんが米を金に換金してくれることなど口には出せなかった。

「減免してもらったはいいが、やっぱり小作料っちゅうのは迷惑なもんや。いつか無くならんもんかね」

「そりゃあ無理な話やで。おらたちの代わりに地主に納税さしてもろうてんやから――」

「その納税が気に食わんのや。納税してわしらになんかしら得はあるんか?」

「そりゃ、わからんけど――」

「そもそも、なんで地主が減免するかしないかの決定権を持ってるんや。米さ耕してるんはわしらやで?」

 又三郎はすっかり小作人として畠仕事に対する情を持って、地主への不満を赤裸々にこぼした。昔地主をしていた時があったと話したことがあったが、今の見窄らしい格好や言動からは、その面影を見ることは一切なくなっていた。

「あんた昔地主してた言うたろ?」

「ああ」

「やっぱりあんたも憎まれとったんか?」

「――」

 又三郎は何も答えなかった。その無言からは、過去に人には言えない何か辛いことがあったことを物語っていた。

「そないところや」

「せやったか――」

 太助はこれ以上又三郎の過去について聞く気にはなれなかった。又三郎は太助の気まずそうな顔を見てすぐに言葉を切った。

「そういや、最近清乃はんの姿が見当たらんな。どこか出稼ぎにでも行っとるんか?」

 太助は肝を冷やした。又三郎には清乃が久保田はんのとこに嫁入りしたことは告げていなかったのだ。

「ああ、ちょいとな」

「そうか。大変やな清乃はんも――」

「せやな」

 清乃はんがここまで長い間見かけないことは今までになかったため、又三郎は不思議と心配になった。自分も清乃はんや太助はんと似たような立場だった。遠い村から命からがら逃げてきたため家族と離れ離れになり、しまいには生きているか死んでいるかもわからなかった。又三郎には太助の気持ちがよくわかった。

「娘と離れて暮らさなあかんのは気の毒なことや」

「せやな。あんたの言う通りや」

「けどそれも小作料さえなけりゃなんとかなった話やで」

 太助は又三郎の地主への愚痴に飽き飽きしていた。すると突然又三郎が天を見上げて言った。

「多分わしらは、大きくて見えん籠の中にいるんや」

「籠?」

「ああ、わしらは何者かに嵌められて、決して籠の外には出られんようになっとる。それは地主でも政府でもない何かにや」

「ほんまか?」

 又三郎はしばらく黙り込むと、細い口角を上げて太助のことを揶揄った。

「冗談や。そんなもんありえへんで」

 太助には又三郎の冗談が理解できなかった。地主でも明治政府でもない何か。それは一体なんなのだろうかと不思議に思った。


 屋敷の中では、四六時中忙しなく人々が行き交っていた。下女だけでなく、商人たちもモノを売りに来たり買いに来たりと、屋敷内に金に関する会話が絶えなかった。夫の久保田正孝が、土地の貸し付け意外にも商いをしていることに驚いた。なんの商売をしているのかは清乃には知る由もなかった。

 屋敷の中で清乃は、一つの場所を除いて自由気ままに彷徨いた。特に茶の間や土間、中庭は清乃が暇を潰す場所として頻繁に使われた。廊下の中間地点にある小さな扉を開けると、その先は地下へと繋がっていた。よく若い男が袋を担いでその中を出入りしていた。しかし、扉の向こうは一切の光が入らない暗闇が広がっており、まるで地底まで掘られているようにさえ思えた。

 清乃が中庭に出て、下女に変わってこっそり花に水をやっている時のことだった。普段は立ち入ることのない鬱蒼と生い茂った草の間を半身の状態でかき分けながら抜けていくと、中央に無理やり作られた小さな空間に差し当たった。目線を下に向けると、草の影にいくつもの白い花が咲いていることに気づいた。それは雨の降った日に出会した不思議な白い花だった。すると突然どこかで自分を呼ぶ声がしたので、草をかき分けて密やかに屋敷の中へと戻った。


最後まで読んでいただきありがとうございます!

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