お気に入りの服と、部屋着のままの自分。
「自分らしくいればいい」
そんな言葉を、
何度か聞いたことがある。
人の評価なんて気にしなくていい。
誰かに否定されても、
自分らしく生きればいい。
たしかに、
そうなのだと思う。
でも、
人に否定されるのは、
やっぱりつらい。
嫌われたくないと思うし、
認めてもらえれば嬉しい。
強がって「気にしていない」と言いながら、
本当は傷ついていることだってある。
だから、
「自分らしく」という言葉も、
少しだけ考えてみたい。
もしかすると「自分らしく」は、
ときに傷つかないための逃げになることもある。
「これが私だから」
そう言ってしまえば、
変わらなくてもいい。
誰かに理解してもらう努力をしなくてもいい。
傷ついたことを認めなくてもいい。
そんなふうに、
「自分らしさ」という言葉の中に隠れてしまうこともある。
でも、
だからといって、
いつも自分と向き合わなければいけないわけでもない。
逃げたくなったら、
逃げてもいい。
無理に向き合わなくてもいい。
ただ、
逃げることを悪いことにしない代わりに、
逃げている自分のことまで見失わない。
「本当は傷ついたんだな」
「本当は認めてもらいたかったんだな」
「今は、向き合う余裕がないんだな」
それくらいに気づければ、
十分なのかもしれない。
自分を変えることよりも、
変えられない自分を許すことが、
必要な日もある。
改善しようとする自分と、
そのままでいいと許す自分。
そのどちらかだけを選ばなくていい。
だから、
「居場所」だけを探さなくてもいいのだと思う。
居場所とは、
自分を整える場所なのかもしれない。
お気に入りの服を着て、
少し背筋を伸ばしていられる。
「こんな自分でいたい」
と思える。
誰かに見られることも嫌ではなくて、
そこにいる自分を少し好きになれる。
そんな場所が、
自分にとっての居場所なのかもしれない。
けれど、
そんな場所にいることに、
疲れる日もある。
そのときには、
逃げ場所があってもいい。
そこでは、
お気に入りの服なんて着なくていい。
部屋着のままでいい。
格好をつけなくてもいい。
強くなくてもいい。
何者かにならなくてもいい。
泣いていても、
迷っていてもいい。
「今日はもう、これ以上頑張れない」
そんな自分のままでいられる。
それが、
ありのままの自分へ戻るための逃げ場所なのだと思う。
逃げ場所は、
自分を取り戻す。
居場所は、
自分を整える。
許容が、自分を取り戻す。
改善が、自分を整える。
どちらか一つだけではなく、
きっと両方が必要なのだ。
そして不思議なことに、
逃げ場所がいつか居場所になることもある。
反対に、
かつて居場所だったところが、
いつの間にか逃げ出したくなる場所になることもある。
人も、
場所も、
ずっと同じではない。
だから、
居場所にしがみつかなくてもいい。
逃げ場所を恥じなくてもいい。
お気に入りの服で出ていける場所があればいい。
そして疲れたときには、
部屋着に戻れる場所があればいい。
外に出るための場所と、
帰ってくるための場所。
誰かに見せる自分を整える場所と、
誰にも見せなくていい自分を取り戻す場所。
その二つを行き来しながら、
私たちは自分らしさを探していくのかもしれない。
自分らしく生きるために必要なのは、
いつでも自分らしくいられることではない。
疲れたときに、
ありのままの自分へ戻れる場所を持っていることなのかもしれない。
逃げてもいい。
立ち止まってもいい。
一生、
自分と向き合えない日があってもいい。
ただ、
逃げた先で部屋着に着替えたら、
またいつか、
お気に入りの服を着て出ていけばいい。
その日が、
すぐに来なくても。
